女神に捧ぐは天使の涙
「ここが俺の家だよ。さ、入って」
アンヘルに案内され、着いた先は赤いレンガ造りの家だった。
屋根が高い1階建てで、屋根裏部屋があるような造りだ。
何故分かったかって?
屋根の中ほどにポッコリと出っ張った窓が付いていたから、なんとなくそ
うじゃないかなって思っただけだけれど。
「お邪魔します……」
促されておずおずと入る私。
ふわりとミルクの甘い香りがした。
「あはは、そんな緊張しなくても大丈夫だよ。今ここにはじーちゃんと俺しか居ないからさ。とーちゃんは街に行商に行ってるし」
あ、良かった。
ちゃんとお父さんも居るのね。
アンヘルに椅子を引かれ、テーブルにつく。
板張りの床がアンヘルが歩くたびにゴトゴトと音を立てている。
どうしてそんな音が出るのだろうと不思議に思ってアンヘルの足を見るといたく頑丈そうなブーツを履いていた。
「あ、これか? 牛に踏まれても怪我しないように古い蹄鉄と鉄板を埋め込んであるんだよ」
私の視線に気付いたアンヘルが自分の片足を上げて指差し、くるくると回る。
その仕草がまるで案山子のように見えて思わず吹き出してしまった。
「お、ようやく笑ったな。昨日から笑わないヤツだと思ってたけれど、笑い方を知らないってわけじゃなさそうだ」
作り笑顔はやっぱりばれちゃっていたかぁ……。
少しだけ自分の浅ましさが恥ずかしい。
気にするなと言うようにアンヘルもニコリと笑い、キッチンの方に向かって行った。
「ちょっと待っててな。その間これでも食べててくれよ」
手を洗ったらしく、水に濡れた手を拭きながらアンヘルが少し黄色味がかったチーズのようなものが載った皿を氷冷箱……所謂こちらの世界での冷蔵庫から取り出し、持ってくる。
氷冷箱とは氷の魔力を込めた石を少しずつ冷気を開放させ続ける事で中に入れたものを冷蔵保存しておく為のものだ。
ところで、目の前に置かれたコレは何だろう。
チーズみたいに薄くスライスされてるけれど……でもチーズとは違って随分甘い香り。
「へへへ、この前偶然に出来たんだ。まぁ良いから食べてみろよ」
キッチンからパンを切りながら此方の様子を窺うアンヘルが声をかけてきた。
そうまで言われてはいただかないわけにもいかないので、食事の前の印を結び、いただきますと心の中で手を合わせ、アンヘルがお皿につけてくれた木製のフォークで一切れ口に運んでみる。
「……美味しい!」
ほのかな甘味とサクサクとしたクッキーのような食感。
チーズかと思ったけれど全く違う味で驚いたけれど、これは……もしかしたら!
「へへ、だろぉ?」
少し得意そうなアンヘルに詰め寄る。
「アンヘル! リンゴのジャムあったよね! 今すぐ出して!」
「おぉ!? お、おう……」
私の剣幕にしどろもどろになりながら氷冷箱から私がアンヘルにあげたジャムの瓶を取り出す。
「あ、あんまり使わないでくれよ」
木匙と一緒にジャムを持ってきてくれたアンヘルに構わずジャムをトロリとチーズもどきの上にかける。
「おわわ! 何してるんだよ、リン!」
「大丈夫。はい、あーん」
アンヘルが驚いて大口を開けたままの状態を良いことに、口に一切れ突っ込んでみた。あ、しまった……。アンヘルに間接キスをさせてしまった。
けれどアンヘルは全く気にしていないようで、もむもむと咀嚼している。 けれどその動きがピタリと止まり、少し間をおいてバタバタと暴れまわる。
ゴキュリと嚥下する音が聞こえてアンヘルが開口一番。
「……っうっめぇ! なんだこれ! なんだこれ!」
……繰り返して言うほど大事な事なの?
アンヘルの目がキラキラしている。
「リン! もう一枚! もう一枚!」
……だからそんなに大事な事なの?
仕方なくフォークでアンヘルの口元に運んであげると、パクリと音を立ててフォークごと噛みついた。
「うひゃあ!」
驚いて悲鳴と共にフォークから手を離してしまった。
アンヘルの口からフォークの柄だけが上下に動いている。
まるで何か別の生き物みたいだなぁと少し呆れてしまった。
うぅ、私まだ食べてないんだけどなぁ。
「あ、悪い。リンまだ食べてなかったっけか」
恨みがましい目を向けているとアンヘルが口からフォークを引き抜いてジャムがかかったチーズもどきに刺して私の口元に運ぶ。
え、ちょっと、それ間接……。
「ほら、リン、ジャムが垂れるぞ」
アンヘルからかけられる容赦の無い一言。
あぅぅ……。
天然って恐い。
仕方なくパクリとさきほどまでアンヘルが咥えていたフォークを口に入れる。
「な! スッゲー美味いよな!? リンすげーよ!」
アンヘルが何かを言っているけれど、正直味なんて分からない。
何故って?
そりゃあアンヘルと間接キスを……。
うああああ、顔!暑い!熱い!
プシューと顔から蒸気が出るほど赤くなっているのが分かるけれど、アンヘルは気にせずにキッチンに戻って行った。
このやり場の無い気持ちは何処へ持っていけば……あぅぅぅ。
アンヘルの癖に!
悶々としているとパンの焼けた匂いが漂ってきた。
「はいよ、出来たぞー」
コトリと湯気が出たお皿が私の前に置かれる。
湯気の元はお皿の上のチーズを乗せて焼いたパン。
良い感じに焼けたチーズがフツフツと音を立てているのが食欲をそそる。
そして煮立てた牛乳を入れたコップがコトリと置かれる。
「遠慮しないで食べてくれ。俺が仕込んだチーズは格別美味いからさ!」
アンヘルが手を拭きながらテーブルの反対側に座る。
「うん、それじゃあいただくね」
齧り付くにはチーズで火傷する事まちがいないので、小さ目にパンを千切って口に運ぶ。
「美味しい!」
私がハフハフとまだ熱いパンを頬張っている姿を見て、アンヘルもウンウンと頷いている。
……美味しいと感じるのは空腹なのと、久しぶりの炭水化物でもあるのだけれど、それ抜きにしてもチーズの塩加減と酸味が丁度良くて、少し焦げた部分がカリカリとした食感で……あぁ、幸せ……。
さっきのチーズもどきはもったいないけれどアンヘルにあげた。
……あのままじゃ食べるたびに赤面してしまうから。
「ねぇ、アンヘル? それってどうやって作るの?」
ジャムがかかったチーズもどきをまむまむと食んでいるアンヘルに聞いてみた。
「ん? あぁ、牛乳を焦げ付かないようにずっと弱火で煮立てていたらできた。カスタードクリームってやつをつくりたかったんだけどなー」
……牛乳だけを煮立てていたのね……。
それじゃあカスタードクリームにはならないと思う。
でもあれって、日本で言う蘇ってモノじゃないのかしら。
何かで読んだ事があるけれど、思い出せない。
まぁ、特に名称は決まってないみたいだし、チーズと一括りにしてしまっても良いかもしれないよね。
「……カスタードクリームを作るなら作り方教えてあげる。材料揃えておくから、また私が暇なときにでも家に来たら教えてあげる」
今日はまだ家に帰ってやらなければいけない事が沢山あるし、アンヘルの方から後日家に来てくれるならば、それが一番都合が良い。
「うぇ!? マジで!? よっしゃあ!」
イヤッホゥとガッツポーズをしているアンヘル。
あれ、そういえば私いつのまにかアンヘルに対して敬語を使うのをやめてるなぁ。
……まぁいっか。あんまり年変わらない相手にいつまでも敬語っていうのも変だし。
他愛も無い話に華を咲かせていると、お皿に乗せられたチーズトーストも食べ終わってしまった。
「ご馳走様でした」
アンヘルにお礼を言い、頭を下げると驚かれる。
「あれ、それだけで良いのか? 女の子ってやっぱ少食なんだな……んじゃパン屋に案内するよ」
「それよりも、黒き翼が恩人ってどういうこと?」
ホットミルクが入ったコップを両手で持ち、コクコクと飲んでアンヘルに質問する。
私の言葉にはしゃぎ気味だったアンヘルからすぅと表情が消えた。
……地雷だったかもしれない。
「……あぁ、うん。村を案内しながら話すよ。その方が分かりやすいと思う」
アンヘルが私の帽子を持って来てくれた。
先程の騒動でいつの間にか落としてしまっていたらしい。
幅広の三角帽子、魔術師見習いである事が大体これを見たら直ぐに分かる。
「……ありがとう」
帽子を受け取って、被る。
アンヘルがお皿を下げてくれたので、椅子から降りて箒を持った。
「あ、あとこれはバスケットな。バターとチーズが入ってる……ってまぁ俺が持てば良いか」
ジャムのお礼としてアンヘルが持ってきてくれたものだ。
上に私が編んだタオルが日除けよろしくかけられている。
「んじゃ行こうか」
ドアを開けて日光が差し込む、その光の中へ誘われるような錯覚を覚えた。
アンヘルに手を引かれ、ゼルスさんに御飯のお礼を言ってからついていく。
しばらく村を歩いていて、気付いた事は随分と魔除けの魔導式が多いという事、女性や子供の数が異様に少ない事。
住人はアンヘルがいるせいか、余所者の私に対して排他的な印象を余り感じられないけれど……。
それどころか、魔術師見習いだと分かると概ね好意的な態度になってくれた。
氷冷箱の魔力石への補充を頼まれたり、魔導式の綻びを直したりしたせいかも知れない。
「悪いな、リン。此処にはあまり魔術師が来ないんだ。……村のあちこちにある魔導式があっただろ。あれが招かれていない客に対しては発動するんだ」
「え? 私は招かれてないような……?」
アンヘルの言葉に聞き返すけれど、少しだけぶっきらぼうな口調で返された。
「昨日言っただろ、牛乳が欲しければ朝来てくれって。俺は人を見る目は曇ってない筈だぞ。……昨日の時はもう少しだけオレも警戒していたけれど」
そういえばアンヘルの一人称が微妙にイントネーションが変わっている。
オレから俺に、少し険が取れたような言い方だ。
そういえばゼルスさんも初対面の時、私に対してほとんど警戒していなかったような?
もしかして昨日の会話、あれだけで信用してくれたのかな。
あぁ、だからアンヘルの知り合いって事でゼルスさんも歓迎してくれたんだ。
少しだけ嬉しくなってアンヘルに引かれている手をギュッと握る。
それに気付いたのか、気付かないフリをしているのか、隣に並んで歩調を合わせてくれたアンヘルが話し始める。
「……この村は、過去吸血鬼に襲われたんだ。随分と身奇麗で気障なヤツだったけれど、村の女には評判が良かったみたいだ。……気付いたときには女子供、弱い人間からノスフェラトゥ化……つまり吸血鬼の下僕になっていった。俺の母さんと妹もな。それを助けてくれたのが黒き翼と教会の人間だったんだ」
道理で、この村には若い女性の姿や少女と言える年の人間が少ないように見える。
出稼ぎに行っているって訳でもなさそうだったから不思議だったのだ。
村の中心らしき広場に着いた。月を模した女神像を見上げながらアンヘルが続ける。これも魔導式が埋め込まれているようだ。
「黒き翼について、詳しくは知らない。あいつらは夜中に戦っていたからな。戦い自体は一晩で終わったけれど、大元の吸血鬼と一部の人間には逃げられてしまったんだ……。俺の妹と母さんもその一部の人間。だからこの村は吸血鬼に対して良い印象を抱いていない。いや、むしろ憎悪に近いかもしれない。……リンもその吸血痕は見られないように気をつけろ」
アンヘルの言葉にキュッと襟元を締め直し、首筋を見られないようにすると先程のバスケットから私のタオルを取り出し、首に巻いてくれた。
アンヘルが女神像が立てられている石段に座ったので私も隣に座る。
「その……アンヘルのお母さんと妹さんは?」
「あぁ……。まだ行方が判らない。妹は生きていたらリンと同じくらいの年だと思うけれど……」
私の問いにアンヘルがどこか遠くを見るような目を空に向けた後、また話し始めた。
「最初に気付いたのは俺だったんだ。リンも見ただろう? 感情の箍が外れると太陽の光を受けているときなら、それを奇跡に変える事ができる。……それで、一度はノスフェラトゥ化した人間を浄化して、人に戻す事ができたんだ。……けど、深く血を送り込まれた人間は駄目だった。全部終わったとき、夜にこの力を使ってしまったせいで気を失った俺を教会に連れて行かれそうになったのを黒き翼が体を張って助けてくれたみたいだ」
アンヘルの力はやっぱり太陽の加護を受けていないと自分の中から絞り出すタイプなのかな。
それならばあんなに生命力が希薄で危い状態になってしまったのも頷ける。
「だから俺は黒き翼の顔は知らない。そもそも黒いコートと仮面で顔を隠していたしな。恩人ってじーちゃんが言ったのはそのせいだ。……数少ない家族を吸血鬼に取られて、俺まで教会なんて場所に連れて行かれそうになるのを守ってくれたんだからな」
そうか、この村の人達にとってはアンヘルは救世主みたいな存在なんだ。
「頑張ったんだね」
アンヘルの頭を抱いて撫でてあげる。
弟のジグに良くやった事だけれど、アンヘルも泣きたいのを無理に我慢している様子だったから。
「……うん……でも、悔しかったんだ……。家族を助けられなかった……助けられなかったんだ……!」
私の体を掻き抱いて胸に顔を押し付けて嗚咽を漏らすアンヘル。
女神像が見守る中で、アンヘルが泣き止むまでずっとアンヘルの金色に輝く髪を撫でていた。
アンヘルがつくったのは牛乳を煮詰めて造る蘇と言います。
砂糖を入れればミルクジャム。
かなり美味しいのでお鍋とお友達になりたい方は是非作ってみてください。
ちなみに古代の最上級の滋養料理に醍醐がありますが、蘇の酒粕漬けではないかと思っております。
此方も素晴らしく美味しいので、興味がある方は是非。
読んで頂いてありがとうございます。
誤字・脱字・文法の誤りなどありましたらお知らせくださいませ、勉強させていただきます。
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