天使が住むは蜃気楼の砂城
間が開いて申し訳ありません。
「……は? 何言ってんだよ爺ちゃん、ついに呆けたか?」
半笑いを浮かべたアンヘルがゼルスさんの言葉を無視して近づいてくる。
「……そうなのか? リン」
アンヘルがチーズや牛乳、バターだろうか、白いものが入った瓶が入ったバスケットを草の上に降ろして私に問いかけながら近づく。
「アンヘル! じゃからその娘に近づくなと言っておるだろうが!」
「うるさいよじーちゃん! もしリンが俺らに害を為すつもりならとっくに魔術で何かやってるだろうが!」
アンヘルがゼルスさんと言い合いをしている。
庇ってくれるのは嬉しいけれど、私のせいで家族が不仲になるのは……ってさっき言っていた命を失いし者って何だろう。
私は一応生きているけど。
もしかしてリンの命の灯が尽きたときに私が入り込んだのがばれた?
……そんなわけないよね。ないよね?
ありえない妄想に囚われてドクドクと鼓動が早くなり、嫌な汗が出る。
「リン、ちょっとごめんな」
「うひゃいっ!?」
頭の中でぐるぐると堂々巡りに陥っていた思考のせいで反応が遅れてしまった。
私の襟元を押さえていた腕をアンヘルが取り、首筋を見る。
「……! リン、いつ血を吸われた?」
あ、昨日の夜アルカードさんに牙を突き立てられた場所だ……。
アンヘルが私の目線に合わせ、少し屈んで真剣な目で見つめてくる。
新緑の瞳が心まで吸い込まれそうな錯覚を感じさせた。
「……昨日の夜、アルカードさんが家に訪ねてきて、ちょっとした事故で少しだけ吸われちゃったんですけど……」
「ほら見ろ! 良いから離れるんじゃ!」
私の言葉を遮り、ゼルスさんが農業用のフォークを持ち、こちらに近づいてくる。牛の飼葉や草を運んだりする為のもので食器のフォークをもっと大きくした金属製の道具だ、
ギラリと鈍く四本の爪が光り、恐怖感に身を震え上がらせた。
「じーちゃんはちょっと黙ってろ! 今は俺がリンと話してんだ!」
アンヘルとゼルスさんの声に牛が興奮してしまったらしく、乳牛もボメェエブモォオ!と嘶き暴れ始めた。
ゼルスさんはそれを抑えるのに必死な様でフォークを放り投げ、牛の鼻輪につけたロープを引っ張っている。
落ちたフォークがカランコワンと高い音を立てた。
フォークを持ったまま近寄ってこられなくて少しだけホッとしたけれど、アンヘルは私を通して誰か他の人を見ているような視線を首筋の噛まれた痕に送っている。
「……許せない……! リン、その吸血鬼はどんなヤツだ!」
腕をギュッと握られて少し痛い。
あ、昨日もこんなことあったような……?
「え、と、アルカードさんの事?」
「あぁ、もし人に害を為す吸血鬼だったら退治しなければならないんだ」
ギリリ、とアンヘルが鳴らす歯軋りの音が聞こえた。もしかしたら吸血鬼に対して悪い思い出でもあるかもしれない。
けれど、アルカードさんは良い人だ。……少し残念な性格なのは感じているけれど退治されてしまうほど悪い人間とは思えない。
それに黒き翼としての実力は本物だし、ほぼ無詠唱で闇の精霊の魔法を使える人だ。
普通の人間が立ち向かっても返り討ちにあうのが関の山だと思う。
今のアンヘルの状態だとすぐさまアルカードさんの屋敷に乗り込みそうな気迫を感じて、まずは落ち着かせる事にした。
「待って待って! アルカードさんは良い人だよ! 問答無用で退治なんて、そんな非道い事しないで!」
「命を失いし者……吸血鬼に血を吸われた人間は魅入られてしまうんだ。無条件に血を吸った吸血鬼の事を信頼してしまう。……いや、信望と言っても良いかも知れない。そうして何回も血を吸われて、血を分け与え続けられて最後には吸血鬼のいう事を何でも聞く立派な下僕が完成するんだ!」
アンヘルが苦々しげに顔をゆがめる。
その言葉に昨日、アルカードさんに血を吸われた時の事を思い出してしまって赤面する。
私の様子を見て合点がいった様で、アンヘルの太陽みたいな雰囲気が翳り、真夏の飴細工のようにどろりと暗い感情が溶け出しているのが表情に見て取れる。
「お前みたいなまだ幼い子を毒牙にかけるようなヤツを俺は絶対に許さない……!」
アンヘルの瞳がゆらりと燃え上がった……様な気がした。
まるで深緑の海に油を垂らした様に揺らめく。
それは徐々に光を虹色に変えていく……って虹!?
アンヘルの魔力が爆発的に高まり、体にもやがかかるほど揺らめいている。
どれほどかというとアンヘルの後ろの景色が蜃気楼のようにあやふやになるくらい。
なんて魔力量……!
少なくともここまでの魔力はただの人間が持って良いものでは無い……!
アルカードさんが言っていた魔力が篭もり易い瞳、その最上級の素質を持った虹色って……!
……けれど、何故か目の前のアンヘルから生命力を全く感じない。
まだ会って二日だけれど、まるで太陽みたいに生命力を体中から満ち溢れるくらいに感じさせる少年だった筈だ。
「……アンヘルは感情が昂ぶると奇跡を起こすんじゃ……。奇跡が何かは分からんが、教会の人間がそう言っておった……」
ゼルスさんが随分くたびれ果てた様子で戻って来た。
そりゃそうよね。乳牛と言っても牛一頭って1トン弱はあるし一人で引きずって押さえ込むのは並大抵な苦労じゃなさそうだし。
……ゼルスさんが教会って言ってたけれど、アンヘルは聖別されていそうね……。
魔術協会と袂を別っている教会という組織は魔という言葉を使いたくないのか、その全てを法術や奇跡と言った言葉で覆い隠している。
……根本は精霊から力を借りる全く同じモノなんだけれど。
「……リン、ローブのポケットに何を入れているんだ?」
アンヘルが虹色に揺らめく瞳で私のポケットを凝視する。
恐怖感で頭が麻痺してしまったのか、まるで万華鏡みたいだなぁ、と場違いな考えを振り払ってアンヘルに告げる。
「……その前に、約束して。私が血を吸われてしまったのは私の不注意と事故。血は送り込まれても無いし、吸われたのは一口だけ。それでも大の大人が床に額をこすり付けるほど謝ってくれた。だから、アルカードさんを退治するのは止めて」
私の言葉にコクリと頷くと、アンヘルはそっと私の腕を離してくれた。
そしてポケットに入れていたアルカードさんの象牙のボタンを取り出してアンヘルに見せ、渡した。
「……悪意は全く感じないな。……ふぅん、どうやらリンの言っている事は本当みたいだ。じーちゃん、リンに危険は無いよ」
アルカードさんのボタンを太陽に透かして、片目で見ているアンヘル。
心なしか、表情から険が取れている。
……って、ええ!?
どうして解るの!?
頭の中で驚愕の声をあげているとアンヘルが話してくれた。
「解るんだ。なんとなくだけどな、奇跡が起こっているとモノのイメージが頭に浮かんでくる。悪人の持ち物なら悪人の、善人の持ち物なら善人のってね。そのボタンから受けるイメージはリンと、そのアルカードって吸血鬼が浮かんでいる。随分と、寂しい感情が伝わってくるな。……それに、いや、これは言わないでおこうかな」
最後の方は何かアンヘルが濁したけれど、寂しいっていうのはアルカードさんのイメージだろうか。
まさか私の出自も見透かされたなんて事はないよね!?
……ないよね、うん。……無いといいなぁ。
アンヘルは物に残る残留思念を読み取れるのかもしれない。
所謂サイコメトリーと言う能力だ。
この魔力量と合わせて考えれば、そりゃ教会側も喉から手が出るほど欲しがるよね……。
でもどうして教会に目を付けられているのに普通に生活しているんだろう。
正直アンヘルの実情は王都の教会に召抱えられていてもおかしくないレベルだと思う。
「おや? それは領主様の家紋じゃないか! 驚いたな、まさか此処の領主が吸血鬼とは……!」
私の考えはゼルスさんの声で遮られた。
近寄ってアンヘルが持った象牙のボタンを見て驚きの声をあげる。
……まだ若干私に警戒をしているみたいだけれど。
「じーちゃん、此処の領主は人に害を為す吸血鬼じゃないよ。それどころか、ここの税をなるべく抑えたり悪人を裁いたりしてるみたいだ」
アンヘルがコロコロとボタンを掌の中で転がして玩んでいる。
……そんな事まで分かるのね……。
「アルカードさんは黒き翼の称号を王様から戴いているみたいです。領主である事も昨日聞きました」
アルカードさんが退治されない為に、少しだけ擁護しておいた。
「黒き翼か!? そりゃワシ等にとっては恩人じゃないか! ……それはすまんだったなぁリン。手荒な事をしてしまった、この通りじゃ!」
ゼルスさんが剃りあげた頭を掻きながら頭を下げる。
「い、いえ! 頭をあげてください! 気にしていませんから!」
アワアワと腕を体の前に上げ手を振り、慌てる私。
でも、黒き翼が恩人ってどういう事だろう。
そんな事を考えていたら、アンヘルが私の頭をポンポンと叩いて遮る。
「じーちゃん、リンは朝から何にも食べてないみたいだ。良かったら飯作ってやって良いかい?」
アンヘルがアルカードさんのボタンを私の手に握らせながらゼルスさんに振り向き、言った。
「あぁ、お詫びも込めてな。アンヘル、腕によりをかけて作ってやると良い」
ゼルスさんが嫁候補を絶対に離すんじゃないぞ、と小声で付け足したのは聞こえないフリをする。
もー、だから私は修行をしに来たので恋人探しに来たわけじゃないんだけれどなぁ。
「ごめんな、リン? こんな所だとなかなか女の子なんて居ないからさ。じーちゃんも悪気があるわけじゃないんだ」
アンヘルの言葉にフルフルと首を振る。
……瞳の色は深緑に戻っているみたい。
常時発動しているわけじゃなさそうね。
当然か、あんな体から発散するほどの魔力を漂わせていたら魔術の修行をしていない人なら精神がおかしくなるかもしれない。
教会が言う奇跡とやらが発動中の虹色に光る瞳を私に見せた時、妙に儚げな印象を受けたのはそのせいだろう。
おそらくアンヘルの魔眼と言って差し支えない能力は自然から力を際限なく吸収する、または太陽の光を受けて魔力に変換する能力かもしれない。
アンヘルから出ていたもやがその証拠、人間ならあれだけの魔力を体内の魔力だけで発散したら倒れてしまう筈。だからたぶんアンヘルの属性は地面から魔力を吸い上げる木か、あるいは太陽そのもの……!
もし魔術の修行をしていれば相当な使い手になっていた筈だ。但し、一歩間違えれば精神が壊れる、最悪死ぬことだってありえる。
それを思えば、今一番安定している状態。
この牧場で家族と共に暮らすのが良いのかも知れない。
「リンが何考えてるか分かるぞ。……まぁそれについても話してやるよ。おいで、家に案内するからさ」
鼻と鼻が触れ合いそうな距離で真っ直ぐに私の目を見つめられた。
アンヘルの髪だろうか、お日様の匂いがする。
いきなりの事に少し挙動不審になってしまった私のほっぺをムニーとつまんでシシシと笑うアンヘル。
繋いだ手と頬が熱い。
……鼓動も少しだけ早い。
たぶん頬が熱いのは気のせいじゃないだろう。
うぅ、アンヘルの癖に少しだけかっこよかった。
……アンヘルの癖に!
さきほど降ろしたバスケットを拾って、手を引いてくれるアンヘルの背中に毒づいていたら、その後ろからゼルスさんの声がした。
「しっかりやれよー!」
振り向くとこれまたゼルスさんがシシシと笑っている。
遺伝か!
「……そんなんじゃねぇっての」
アンヘルが此方を見ないまま、ボソッと呟いた。
少しだけアンヘルの耳が赤くなっているような……気がした。
今回はアンヘルに隠された秘密が明らかになってきそうです。
次回はアンヘルの家族のお話と謎についてを予定しております。
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