吸血鬼の婚約者
「あいたたたた……」
アルカードさんが手をつき、床に打った頭を撫でながら立ち上がる。
その様子に人間味臭い所を感じて、少しだけ安堵する。
私の……つまりリンのお母さんはリリアという名前だ。
周りからリリーと呼ばれていた事で自分の名前はリリーだと子供の頃思い込んでいたらしい。
おそらくアルカードさんと出会ったときはその時だろう。
この世界では13歳や14歳くらいで結婚適齢期を迎える。
正確には子供が産める体になれば、だ。
うちのママ、リリアも15歳の時に結婚して16歳の時に私を出産している。
修行に出て、パパを見つけて此方に帰ってきて結婚したらしい。
魔術を志して修行する人達の中には、花嫁修業、または結婚相手探しと割り切っている人達もいるくらいだ。
……私は純粋に魔術の修行をしたいのだけれどねぇ……。
「……驚いたな。まさかリリーの娘だったとは」
感慨深げに私を見下ろすアルカードさん。
その表情は私に魅了がかからないようにしてくれているのか、視線を外しているけれど色んな感情が渦巻いているような気がする。
あぁ、そっか。ママと私を重ね合わせてるって事はパパの存在を考えているのかな。
わずかに流れ込んでくる感情……これは嫉妬かぁ。
あれ?どうしてアルカードさんの考えてる事がわかるんだろう。
まさかトレントと一緒にいるから私にも読心の魔力が!?
でもぽむの考えている事は分からないなぁ……。
アルカードさんや人間限定なのかな?ちょっと聞いて見よう。
「あの、アルカードさん?」
上から下まで私をジロジロと眺め回していたアルカードさんに聞いてみる。
……なんだか貧相な体だと思われている感じが伝わってくる。
「な、なんだ?」
抗議の視線を込めてアルカードさんを睨み付けたら、少しだけ挙動不審になった。
「なぜかアルカードさんが考えている事が、なんとなく分かるんですけれどぉ……貧相な体ですみませんね!」
少し口をむぅと尖らせて見た。
「……あぁ、それも吸血によるものだ。直に吸血した相手が落ち着くと、しばらく私の感情がリンクしてしまう。つまり、私が考えている事が何となくではあるが伝わってしまうのだ」
へぇ、そうなんだ……。なんだか便利ね。
あ、でも一方通行だから不便かも?
確かに血を吸われた直後は頭がぐるぐるして考えられなかったけれど、少し落ち着いた今は冷静に思考を分析できる。
つまり今の状態がアルカードさんの言うリンクというものだろう。
あれ?そういえばママもアルカードさんに血を吸われたなら感情が伝わってる筈だったのに、どうして逃げたんだろう。
「アルカードさんはママの血を吸ったんですよね? それなのにどうしてママは逃げていったんですか? アルカードさんの感情読めた筈でしょうに」
「ハグォッ!?」
あ、アルカードさんが胸を押さえてる。
それと同時に感じるのは、これは……後悔かな?
「だ、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ……。先程も言ったように欲望のままにリリーの血を吸ってしまったのでな……。当然リリーには私が獣か何かに見えたのではないかと思う」
一語一句、自分の犯した罪を確かめるように言葉を捻り出す。
贖罪をしようとしても叶えられない願い……うわぁ、辛そう。
酷い後悔と慕情と憧憬の念が伝わってくる。
もう手に入らないものが壊れていった感触、掌から零れ落ちる砂のように。
「リン? なぜ泣いているんだ?」
「え?」
気がつくといつの間にか頬を温かい水が滴っていた。
これはたぶんアルカードさんの感情だろう。
「アルカードさんのせいですっ!」
グシグシとパジャマの袖で涙を拭う。
あんな感情ぶつけられたら誰だって泣いちゃうでしょう。
……吸血鬼ってずるいなぁ。
「……すまないな」
そういうとテーブル越しにアルカードさんが私の頭を撫でた。
最初に感じたのは温かさ、次いで大きな手だと思った。
吸血鬼だからって体温低いわけじゃないのね。
「ぷー……」
ぽむの鳴き声がして、見ると不服そうな顔をしていた。
その声にアルカードさんはビクリと震えて手を離した。
あぁ、本当に太陽が苦手なんだなぁ。
とりあえずぽむが近くに居る限りは襲われたりは無さそう。
それに幾らなんでも初恋の相手の子供を手にかけたとあっては二度とママには顔向けできないんじゃないかなぁ?
あ、でも私をダシにしてママを脅迫したり……ってそれは無いか。
曲がりなりにも騎士だし。
アルカードさんはここに邪な考えを持つ魔術師や、魔力を際限なく汲み上げるような存在が無いかと気にしているのだ。
私はレインを肩から降ろして、テーブルに乗せた。
「それで、結局私達は問題無い、ですか? まさか此処にきた理由が私の血を吸うだけだった、なんて事はないですよね?」
椅子に座りなおしたアルカードさんを正面から見据える。当然目線は合わせないように胸元に持っていったけれど。
「それについては少々聞きたい事がある。一つ、ここまで魔力を秘めた使い魔を連れ歩くにはリンには負担が大きすぎると思うのだが? 二つ、トレントの存在。トレントが根付くほどの大木をどうやって育てた? そして三つ目、この糸は何だ?」
アルカードさんがポケットから私が紡いだ魔力糸を出す。
「あっ! 私の糸!」
そういえば床に転がってから見当たらないなと思っていた。
咄嗟に声をあげてしまい、ハッと思い出したように口を押さえる。
……ママに言われていたことを思い出したのだ。
魔力を形に出来る人間はとても珍しくて貴族の妾として飼い殺し……。
黒き翼ならそういったことも御伽噺では無いかも知れない。
「やはりリンの魔力で創られたものか……。リン、あまりこれは人前で使うな。理由は後で説明するが、まずは先程言った二つの答え次第だ」
「う……」
すでにアルカードさんに血を吸われた時のリンクが切れたのか、もう感情は読めないので下手な事は言えない。
下を向き、手に握ったレインと魔力で繋がっているハンドルをギュッと握り締めるとぽむが心配そうな瞳で見上げてきた。
……ぽむとぽこは私の魔力が無いと世界と同化してしまう。
せっかく出会えたのにそれは嫌だ!
考えろ、私……。
しばらく考えて、口を開く。
「まず、ぽむとぽこは私の使い魔ではありません。偶然洞窟で出会った存在です。そして私の魔力が無いと消えてしまうそうです。……これはトレントに聞いてください。トレントは嘘をつかないので。もし私の言う事を疑うならば、ですが」
私の答えにアルカードさんはゆっくりと頷いた。本当かどうか推し量っているようだ。
続けて私は口を開く。
「トレントについては家の種を使ったときにぽむとぽこが協力してくれました。おそらく魔力の増幅に近い能力を持っているのでは無いでしょうか」
瞬間移動や重力の制御については伏せておいた。
私もよく分かっていない事を口に出してしまうと後々のトラブルの種になる。
これは紡時代に女子高グループで散々思い知った事だ。
「……つまりリンが居なければこの不思議な生物は死んでしまうと?」
コクリと頷く。
あらゆる点を端折ったけれど、これはこれで間違いは言っていないはずだ。
アルカードさんが何かを悩むように顎に手を当てて考える仕草をしている。
「……では最後だ。これについては?」
アルカードさんが私が紡いだ魔力糸をコロンとテーブルに転がす。
「ぷーーー!」
その瞬間、隠れながら狙っていたらしい、ぽこが階段から飛び降りて糸をひったくっていった。
「ぽこ!?」
「うぉっ!?」
ガタッと音を立てて椅子から立ち上がるアルカードさん。
早速もっちゃもっちゃと糸を食べているぽこ。
それに気付いたぽむもぽこが齧っている糸にかぶりつく。
あぁ、もう!私の糸は縁日のわたあめじゃないのに!
「……驚いたな。なるほど、これがぽことぽむ両方の食事になるのか」
アルカードさんが興味深そうにぽむとぽこの食事風景を眺めている。
それでもぽむには視線を合わさず、ぽこの方を向いているけれど。
「リン、提案がある」
真面目な顔で此方を向きなおすと、アルカードさんが口を開いた。
「ぽむとぽこと一緒に私の屋敷に来ないか? 勿論、今すぐで無くとも良いが」
「それは私がママ……お母さんに似てるからですか?」
「い、いや!? 違うぞ!? 私は純粋に……だな。……いや、正直に話そう。勿論リンがリリーに似ているのもある。しかし、魔力を単体で形にできる人間と言うのは珍しいのだ。もし王都の魔術師に知られたら確実に研究対象として狙われる」
最初は動揺していたけれど、話している内に落ち着いたようで本心を語ってくれた。
「王都の魔術師って悪い人なんですか?」
ふと疑問に思って聞いてみた。
「全員が、と言うわけでは無いが研究の為ならば何を犠牲にしても構わないと思っている頭のネジの外れた輩が多いな」
苦々しげに歯を食いしばるアルカードさん。
ギリと歯軋りした口元から吸血鬼の牙が覗いた。
何か嫌な思い出があるのかもしれない。
どうしよう、確かに不安だけれど、このままアルカードさんについて行っても良いものだろうか。
ふとトレントの事が気にかかった。
人と話すのは久しぶりだと言ってくれたトレント。
その嬉しそうな、懐かしそうな表情を思い出して、伝えるべき言葉を決めた。
「……ごめんなさい、アルカードさんのお屋敷にお世話になる事はできません。それに私は修行の為に親元を離れました。今また人の中で暮らすとどうしても甘えが出るかもしれません。それは私にとってあまり良い影響をもたらすとは思えないんです」
まだトレントと会って半日だけれど、私はこの縁を大事にしたい。それに王都からはかなり距離がある。どのくらいかと言えば箒で飛ばしたとしても7日はかかる。
勿論その間に海を渡らなければならないし、抵抗する人を無理矢理連れ去るならそれ以上の苦労だろう。
「しかし、ぽむとぽこを狙う輩が居るかもしれない。それはどう対応するつもりだ?」
ふと投げかけられた疑問にまた私は悩んでしまう。
確かにぽむとぽこは珍しい。生態も不明だから連れ去って見世物にしようと考える人もいるかもしれない。
しばらくぽむとぽことアルカードさんを交互に見つめているとふぅと溜息をつかれてしまった。
どうしよう、煮え切らない態度の私に愛想を尽かされたのかな。
「……仕方あるまい、私がたまに様子を見に来てやろう。困った事があれば遠慮なく言え」
「え……? いやいやいや! そんなの悪いですって!」
少なくとも領主であるアルカードさんの館からここまではかなり距離がある。
確かに大人の男の人が居てくれるのは心強いけれど、そんな負担をかけるわけにはいかない。
「良いのだ、……私がそうしたいのだからな」
どうしてだろう?私は胡乱な瞳をアルカードさんに向ける。
「……吸血鬼という生き物は生涯で愛する人物はとても少ない。……吸血とは最上の愛情行為だと言ったのを覚えているか? つまり求婚と同意義なのだ。事故とは言え、本当にすまなかった」
そっかぁ、求婚かぁ……って!?
「えぇえぇえ!?」
家中が震えるほどの声が出た。
……やっぱりこの人少女趣味の危険人物!?
「……いや、今すぐに、というわけではない。もちろんリンの気持ちも重要だ」
片手で耳を押さえたアルカードさんが話すけれど、何かこの人私と結婚するつもりになってない!?
そういえば屋敷に呼んだのも実は保護を建前にした遠まわしな求婚?
疑念の眼差しを向けて、レインをそっと私とアルカードさんの前に立たせた。
それで私が何を思っているか気付いたように慌てて口を開いた。
「い、いや!? 違うぞ!? もちろんリリーの娘だからと言って求婚したわけでは無くてだな! ……あぁ、もう何を言っているんだ。私は……情けないな」
はぁと溜息をついて落ち込む目の前の男性が妙に可哀想に思えてしまった。
ママの事忘れられないんだよね、きっと。
椅子の上に立って、この少しだけ情けない大人の頭を撫でる。
「一つだけ言っておきます。私はママではありません。プライドがありますので重ねて見られるのは気分の良いものではないです。それさえ気をつけて頂けるなら歓迎しますよ、アルカードさん」
ニッコリとほんの少しだけ嫌味を込めて微笑んであげる。
ママの事を想っている相手にこれは酷だろうかとも考えたけれど、訳もわからず血を吸われて妙な気分にさせられたささやかなお返しだ。
「……あまり大人の頭を撫でるな」
ぶっきらぼうに言い放つと暖炉の前まで歩き、乾かしていたコートに着けていたボタンを千切り、私の手の中に握らせてくれた。
「私の家の紋章が刻まれている。もし何かあれば役に立つ」
貝よりも重く冷たい感触、象牙だろうか。槍を掲げたグリフォンが刻まれている。
「ありがとうございます。何も無いと良いんですけれどね……」
お礼を言うと、うむとだけ返された。
「そういえばどうやってここまで来たんですか?」
ふと思いついた疑問を投げかけてみる。
私でさえ箒でかなりの距離を飛んできた筈だ。
「私は吸血鬼だ。影と同じ速さで走れる狼になれる……コウモリにも、霧にもな。ここが湖の上に立っていなくて良かった。吸血鬼は水を渡れないからな」
そういえば狼に姿を変えていたって言ってたっけ。でも箒より速いってどれくらい速いんだろう。想像がつかないや。
「そういう事だ。ではまた様子を見に来よう。どうやらこの辺りは魔力が安定していない。……おそらくぽむとぽこ、そしてトレントが根付き、起きたせいだろうが、な」
玄関に向かい、ドアを開けるアルカードさん。
せめて見送ろうと私も外に出るとトレントがジロリと睨みつけていた。
「私は歓迎せぬがな……。新芽に牙を突き立て毒を流し込むような輩は赦せん」
「いつまでも雛鳥を枝から囲い、飛ばさぬつもりか? それこそ過保護であろう」
……うわぁ、何だかお父さんと婚約者の戦いって感じ。
って婚約者!?誰が!?
何処かで見たお話の中での登場人物と同じような情景に自分を重ねてしまった事に頬が熱くなる。
「ではな。もし屋敷に来たいと言うなら私はいつでも歓迎するぞ」
アルカードさんが私に振り向いて一言かけるとコートを翻す。
害獣避けの植物から充分に離れると一瞬で黒い狼の姿になった。
ルビーの様に揺らめき輝く瞳が月明かりしかない夜に赤い残光を残す。
力強い遠吠えをすると駆け出し、あっという間に森の中に消えていった。
「ほう……。あの吸血鬼め、この辺り一帯に闇の魔法をかけていきおった」
トレントが感心したように一人呟く。
「闇の魔法って?」
「あぁ、闇の精霊の力を借りた魔法だねぇ。ここは私の縄張りだと、マーキングして行きおったわい。これで害為す獣はまず近寄れまい。随分と気に入られてしまったねぇ、リン」
ほっほっほとトレントが笑う。
魔術では無く、世界に語りかける魔法を使えた事にも驚いたけれど、マーキングって……マーキングって……!
私は犬猫の雌じゃないやい!
未だ遠くに木霊しているようなアルカードさんの遠吠えを背に家に入った。
「ぽ!」
「ぷ!」
ぽむとぽこが出迎えてくれる。
なんだか今日は色々とあったなぁ……。
さっさと寝よう。
私はぽむとぽこを両脇に抱いて2階のベッドに行き、そのまま潜り込むと夢も見れない深い眠りに入っていった。
読んで頂いてありがとうございます。
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