忘れな草の忘れ形見
「……すまないっ!」
うわぁ、大の男の土下座って初めてみた。
アルカードさんが私の前に手をついて平謝りをしている。
まださっきのよくわからない感情が頭をぐるぐる回っていて、上手く思考が回らない。
首筋にチクリとした痛みが走った。
「……あの、私は吸血鬼になっちゃうんでしょうか……」
もし夜にしか歩けなくなるならそれはそれで困ったなぁ、と考える。
本当は目の前の人を怒るべきなんだろうけれど、吸血鬼と知っててもホイホイ家に上げたり触ったりしていたから当然の事なのかもしれない。
……危機感足りないってトレントに言われたし、実際その通りだなぁ。
「いや、それは無い。もし眷属にするなら何回か血を吸って、こちらの血を分け与えない限り吸血鬼にはならない」
アルカードさんが顔を上げた。
その口元が赤く濡れていて、私の血なんだと理解するのに数秒かかった。
「……さっき、血を吸う事は無いって言っていたから安心しきっていたようです。不用意に近づいた此方にも落ち度があります。ごめんなさい」
首筋の痛みが段々ともやがかかったような思考を活性化させる。
「うぐ……。すまない。許してくれとは言わないが償いをさせてくれないだろうか」
私の言葉を、子供を騙して血を吸う吸血鬼とでも思ったのだろうか。
割と悲痛な顔をしている。
「別にそんなのは要らないんですけれど、私が立てないのは何故ですか?」
まるで痺れ薬を飲まされたように足に力が入らない。
「……吸血鬼の力によるものだ。君が知っているかは分からないが、吸血とは最上の愛情行為と同意義なのだ。私達にとっては、な。なので血を吸った瞬間、此方の考えが全て相手に伝わる。おそらくはその余韻だろう」
あぁ、さっきの感情はそれで……。
でもできればもう遠慮したいなぁ。
あんなの何度も味わっていたら、たぶん普通の人間じゃ脳の回路が焼ききれて廃人になりそう。
「ぷーーー!」
いきなり2階からぽむが声と共に飛び降りてきた。
「わわ、どうしたのぽむ!?」
膝の上でみょんみょんと跳ねている。
何だか怒っているようだ。
駄目だよ降りてきたら。またアルカードさんが気絶しちゃうかも。
案の定アルカードさんが少し脅えている。
動けない私にぽむがよじよじとよじ登って首筋をべろりと舐められた。
「あひゃいっ!?」
体温の高いザラザラとした舌に舐められてくすぐったい。
というか熱い!
「熱!? あつ!? あつ!」
さっきアルカードさんに噛まれた傷口を舐められているようだ。
その傷が熱を持っているようで熱い!
うわぁ、変な病原菌とか入ってないと良いなぁと思いつつぽむをベリと引き剥がした。
……あれ?腕が動く。
さっきまで指一本動かせなかったのに。
「ぼぇ、べっべっ!」
ぽむが何かを吐いている。
まるで猫が毛玉を吐くような仕草だ。
だめだよ、こんなとこで毛玉吐いたらって注意しようとしたらぽむの口からコロリと真っ黒い玉が出てきた。
「……なんぞこれ」
左手でその黒い玉を拾い上げてみる。
形は真球に近い。大きさは数珠に使うくらいで、材質は石だろうか。
重さが石のそれに近いけど金属のような光沢がある。
「まさか、黒真珠か!?」
「ぷーーー!」
アルカードさんが驚いて声を出すとぽむが黙っていろと言わんばかりに威嚇し、鳴いた。
その言葉にまた身を縮めるアルカードさん。
ちょっと不憫。
もしかしたらぽむには毒や悪いものを何かに移し変える能力があるのかな。
……全く持って不思議な生き物だ。
そういえば首筋の熱さも痛みも全く感じない。
手を当ててみると血は流れているような感覚は無いけれど穴が開いてるような感触。
うー……。痕に残らないといいなぁと、恨みがましい目をアルカードさんに向ける。
「……すまない……」
再び土下座をするアルカードさん。
とりあえず立てる様になったから、と転がっていた針を拾う。
「さて、色々と聞きたいことがあるんですけれど」
ハンドルに魔力を通しドールのレインに剣を抜かせ、戦闘態勢を取らせる。
此方は精一杯警戒しているぞ、と言う意思表示だ。
「どうぞ、座ってください」
椅子を勧めて、私も反対側に距離を取って座る。
レインを私の肩に座らせて、ぽむが私の隣の椅子に座っている様な形だ。
先程の黒真珠もどきはちゃっかりとパジャマのポケットに入れておいた。
アルカードさんは意気消沈したような表情で力無く椅子に座る。
「いくつか聞きたいことがあります。どうしてこの子を見たら気を失ったんですか?」
ぽむを撫でながらアルカードさんからは視線を外さず問いかけた。
「私は黒き翼だ。魔力の流れに異常な場所が無いか調べて、王に報告せねばならない」
黒き翼!?本当に居たんだ……。
子供の御伽噺に出てくる存在。
想像上の怪物かと思っていたけれど、目の前の人はただの渋いオジサマ。……吸血鬼だけれど。
私が驚いているとアルカードさんはそのまま話を続けた。
「吸血鬼としての能力、そして魔眼で魔力の淀みを見つける。吸血鬼だからこそ闇に紛れ、行動できる。もしそこで原因を見つけたら排除をするのだ。だからこそ忌み嫌われているかもしれないが、な。魔眼については知っているか?」
自嘲気味に哂うアルカードさんの言葉に私はフルフルと首を振る。
「……魔力が篭もり易い色彩というものがある。上から順に虹、金、赤、青、緑と謂われているな」
そういえばアルカードさんの瞳は赤というか緋で、魅了の魔力を持つと言っていた。
私の……つまりリンの瞳も青だし、鍛えれば何か魔力とか持つのかしら。
だけど淡い機体は次の言葉に打ち消された。
「魔力を持つ眼はほぼ先天的なモノでな、後天的に顕現する例はほとんど無い」
「あ、そうですか……」
少しだけ肩を落とした。残念。
まぁそりゃそうよね、そんなこと言ったら色んな人が魔眼の能力を持つようになっちゃうもの。
「どうやら、その生き物。……ぽむと言ったか、恐ろしいほどの太陽の魔力を秘めていてな。私は吸血鬼だ……。太陽の光で溶けて灰になる。……つまりどういう事か分かるだろうか?」
私はその言葉にコクリと頷く。
トレントに言われた事と大体合っている。
「……私とした事が、少女とトレント、その使い魔だと油断してしまった。その生き物を験視しようとした所、大量の太陽の魔力が眼から流れ込んで気を失ってしまった」
やっぱ吸血鬼って太陽にも太陽の魔力にも弱いのね。
「それで……どうして私の血を吸おうとしたんですか?」
「それについては釈明の機会を与えてくれないだろうか……?」
アルカードさんが縋る様な瞳で私を見る。
正直言って疑うべきだろうけれど、血を吸われた時の思慕というか慕情の感覚が残っているらしく、聞いてみても良いかな?と思ってしまう自分がいた。
黙って頷くとアルカードさんが口を開いた。
「幼少時にリリーという人間の娘と恋仲にあったのだ……」
あぁ、さっきリリーって呼んでたっけ……。
結局私の愛称じゃなかったのね、残念。
「幼い頃だから恋仲と言っても月明かりが差す庭で花を摘んで飾ったりする程度だったのだがな。私が吸血鬼である事を知っても変わらず会いに来てくれる優しい娘だった。……忘れな草の冠が、見事でな。まるで月の王女の様だったよ」
憧憬の眼差しを私の髪に向ける。
なるべく眼を見ないようにしているのは魅了の魔力が私にかかってしまう事を恐れているのかもしれない。
私は頭の中で、そのリリーって人を想像してみる。
吸血鬼と知っても変わらず愛情を向けるって素敵な人だなぁ。
もしかして今のアルカードさんの奥さんだったりして。
「だが、初めて私が牙を突き立てて血を啜ったのもリリーだったのだ……。それまでは秘書や乳母が身を傷つけ、水差しに入れて飲ませてくれていた」
「え……。まさかリリーさんを殺し……」
「違う!!!」
私がその言葉に驚いて、慌てて席を立とうとすると、窓ガラスが震えるほどの声を出してアルカードさんが叫んだ。
「す、すまない……頼む。信じてくれ。私は今まで普通に生きている人間を殺めた事は無い……」
私を驚かせたことを謝ってから下を向いて机の上で組んだ両の掌をじっと見つめるアルカードさん。
……という事は悪人は殺めた事があるという事だろうなぁ。
でも特殊な仕事をしている以上は仕方ないかな?
襲われたりもしただろうし。
……いつのまにか、目の前の吸血鬼をそれほど嫌悪していない私に気が付く。
やっぱ血を吸われたせいなのかなぁ。
まぁ嘘を言っている風には見えないので、とりあえず話の続きを聞こう。
私は椅子に座りなおして先をどうぞ、と促した。
アルカードさんはあまり思い出したく無い様で懊悩する。
「子供の頃の話だ、欲望を抑える術も知らなかった。血を吸った後のリリーは脅えた瞳を私に向けて逃げて行ったよ。……そしてそれきり会う事も無かった。今でも夢に見てしまうよ。私の事を化け物でも見るような瞳をな……」
「私と似ていたんですか? リリーさんって」
さっきからずっと気になっていた事を聞いてみる。
「あぁ……。その銀糸のような髪も、淡い青の瞳も全てがそっくりだよ。魂と魔力の色は違うがな……。リリーは星の魔法が得意だった」
あれ……?
何かがひっかかる。
「アルカードさん、それって何年前の話なんですか?」
ふと、妙な違和感を覚えて聞いてみた。
「……もう20年以上も前の話だ。もし生きているならば美しくなっている事だろう……」
アルカードさんが郷愁を帯びた憂いた瞳を天上のシャンデリアに向ける。
私は頭の中でこんがらがった糸を解す様に整理する。
リリー……リリー……どこかで聞いたような……。
そのうち一本の糸がつつーと紐解かれる。
「リリアだ!」
「ぽ!?」
「うぉっ!?」
私の声にぽむとアルカードさんが驚いて椅子から転げ落ちる。
「な、なんだ? どうした?」
アルカードさんが机に捕まっている。かろうじて床に転げるのは防げたようだ。
「アルカードさん……。それ、たぶんうちのお母さんです……」
「ヘァッ!?」
某変身ヒーローの様な声を出して今度こそアルカードさんは床に倒れた。
ゴンという音と共に。
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