セバスチャンの策
「リン、私言いましたわよね?」
「うっ……。ごめんなさい」
ウンディーネは私をちろりと見咎めると溜息をついて錬金魔術のページを開く。
「描いてあるのは水の玉と突風、光球ですわね。まぁこれくらいなら、もし暴発しても大丈夫でしょうけれど」
そう言ってウンディーネは錬金魔術の本を返してくれた。
「そう言えば何故魔力糸のみで書くと危険なのか言ってませんでしたわね。これは女神の力を引き出す技術ですの。クロトがそう言っていましたわ」
ウンディーネが懐かしむ様な目を虚空に向ける。
もしかしてクロトさんも転生者だったのかもしれない。私はそう思った。
「な、なぁ! その錬金魔術ってヤツを使えば女神の力を顕現させられるんだろ? なら……!」
「それは無理ですわ」
アンヘルの提案をウンディーネが止める。
「確かに神の力を引き出せる代物ですけれど、人間が扱うのは無理ですわ。そうですわね、今のリンが神降ろしの魔方陣を描けば発動はできるでしょう。ただし、神と言うモノは融通が利きませんわ」
「え? それってどういう事だよ」
「簡単な事ですわ。もし吸血鬼の殲滅を願えばこの世界から吸血鬼という種族は消え去るでしょうね。勿論吸血鬼化した貴方のご家族もですわ。そしてリンの魂はその力に耐え切れず砕け散りますわ。魂が砕け散ってしまえば生まれ変わりもできませんわね。生きたお人形を作りたいなら別ですけれど」
ウンディーネがアンヘルに冷ややかな声で告げる。
「これってそこまで危ないモノだったの……?」
私は呟くとタラリと冷や汗が背中を流れるのを感じた。
「勿論そんな事はさせませんし、しませんわ。私だってリンを失うのは嫌ですもの」
「ああ、そうだな。大体リンが女神なんてガラじゃねーしな。もし女神様だったらもっと、こう、ウンディーネみたいにあちこち大きくていいもんな。俺の村の女神像だって出るところは出てるし」
アンヘルがアハハと笑う。どうやら緊張した空気をどうにかしたいらしい。それは私を少しからかう事に決めたようだ。せっかくなので、それに乗ってみる。
「べーっだ! あちこち足りなくてすみませんね! でもこういうのが良いって人も居るし、私だってもう少し経てば成長するもんね。その時に謝っても知らないから!」
私はアンヘルに舌を出し、フンと横を向いて拗ねたフリをする。もちろんバレバレの演技で。
「ふふ、仲が良いのう。ま、緊張するのも良いが力を抜いて自然体で受け止める事も重要じゃ。いざという時に体が動かなくなっては困るからの。っと、吸血鬼が帰って来たようじゃぞ」
ノームが好々爺然とした笑みを浮かべて私とアンヘルの三文芝居に似たやり取りを止めてくれる。
と、その時ドアが開く音がした。続いて階段を上がる音、そして私の部屋のドアが開けられアルカードさんが入ってくる。後ろにはセバスチャンさんも一緒だ。だけれど、あれ?レイミーさんは……?
「アルカードさん、レイミーさんは?」
私は不安で早くなる鼓動を抑えつつも、アルメリアの花に似た笑顔を浮かべる人物が居ないのを不思議に思い、声に出す。
「……レイミーは、敵の手に落ちた。居た場所が教会の範囲外だったのだ。戦闘の後があったが、恐らく連れ去られたんだろう」
アルカードさんが歯噛みをする。その表情は相当に悔しそうだ。
「でも敵の数は解ったよー! 吸血鬼の反応が6人、内一人はものすっごく強大な魔力を持っていたからソイツがディランってヤツで間違いないと思う」
シルフがまるで褒めて欲しそうに頭を私に向けてくるので私は苦笑しながらも撫でてあげた。
「そこに、母さんは。……マリア母さんはいたのか?」
アンヘルがガタリと音を立てて近づく。
「少年の母かは解らないが、メイド服を着た金髪の女性を森の木々の間に見かけた。遠見の魔術でちらと見た程度だったがな」
アルカードさんがセバスチャンさんから赤い液体が入ったガラス瓶を受け取り、一気に飲み、言った。
おそらく屋敷の使用人さんの血なんだろう。
「……メイドさんだったらアンヘルのお母さんの確率が高いかと思います。マリアさんはメイド長ですし。アンヘル、家族に太陽の魔力を向けられる? 浄化、できる?」
私はアンヘルに聞くと彼は頷き、口を開いた。
「ああ、奇跡が起こっている状態なら吸血鬼でも人間に戻すことはできる……と思う。けど、一人が限界かもな。それ以上は無理だ。たぶんぶっ倒れる。妹も来ていたら手詰まりだ」
「いや、それは無いだろう。少年の妹の背丈はどのくらいだ? 少なくともリンくらいじゃないのか? それならば居ないと思うぞ」
アルカードさんがアンヘルに声をかけると安心したようにホッと息をつく。
「そうだね、病弱って言っていたし、もしかしたらまだ吸血鬼に成り立てじゃないのかな。アンネの血を得たことでようやくベッドから起き上がれたみたいだし。戦力としては数えられてないんだと思う」
私も気休めかもしれないけれどアンヘルに言葉をかける。
「しかし、どうなさいますか? アルカード様。お父上は蟲惑の魔眼でレイミーを従属させるやもしれません。教会がかかっているので多少の時間は稼げるでしょうが時間がかかるほど不利になります。一番良い策としてはリン様を囮にして、その間に吸血鬼を一掃。後に精霊達と一対多であたるのがよろしいかと」
「なっ!? セバス! それは愚策だ! それにリンが吸血されてしまえば終わりだぞ!」
セバスチャンさんの案にアルカードさんが吼える。
「決断は今しかないのです。それから精霊までも縛る蟲惑の魔眼ですが、おそらく闇の精霊だけで手一杯かと。それに狼化すれば身体能力はアルカード様の方が上でしょう。お父上は蟲惑の魔眼を使い続けなければならない為、人の状態を保っていなければならない筈ですから」
……セバスチャンさん、どれだけ観察眼と状況分析が鋭いのよ。
「くっ! だがしかし!」
「な、なぁ! 囮ってリンじゃなくても行けるか? ……じゃなかった、行けますか?」
アルカードさんの声をさえぎってアンヘルが前に出る。
「……ふむ……。良いかもしれませんな。囮として黒狼竜の外套を被って太陽の魔力を隠しながら結界の境界付近に近づき、吸血鬼が集まって来たら太陽の魔力を発動させて無力化してもらうのは如何でしょうか。勿論命の危険がありますが、もし魔力を使いすぎて倒れたのなら私が回収しましょう。貴方は一度助けられた命です、その恩をアルカード様に返しなさい」
「ッ! 言われなくても!」
セバスチャンさんが顎を撫でながらアンヘルに辛辣な言葉を投げかける。
どうしよう、私も守られてばかりじゃいけない。何かしなくちゃ……そうだ!
「アンヘル、腕を出して!」
「ん? なんだよ、リン」
不思議がられつつもアンヘルが腕を此方に向けてくれた。私はその腕に髪を結っている紐を解き、結ぶ。
「……お守り。私の魔力が篭っているから、もしアンヘルが奇跡を起こして魔力を使いすぎたら紐に込められた魔力を使って」
「ああ、ありがとな、リン」
そう言ってアンヘルは私の頭をポンポンと撫でるように叩く。
「……リン、私には何かないか……?」
アルカードさんが少し寂しそうに声をかけてきた。
「アルカードさんはポーションを持って行って下さい! 私が作ったものじゃないけれど、お祈りを込めてますから! レイミーさんも無事に助けてきて下さいね」
「う、うむ。そうか……。乙女の祈りは何物にも代えがたい物だからな。ありがたく使わせてもらおう」
アルカードさんが何か無理矢理に納得し、ポーションの小瓶をポケットにしまう。なんか、ごめんなさい。
「では少年、頼むぞ。セバスも影となって助けてやってくれ。皆が無事でいればリンは何よりも喜ぶからな」
「ハッ! 畏まりました!」
外套を頭から被ったアンヘルとお辞儀をしたセバスチャンさんが部屋から出て行った。
「では私も行ってくる。シルフ、ノーム、ウンディーネ、すまないが力を貸してくれまいか」
「良いよー」
「解ったぞい」
アルカードさんの言葉にシルフとノームが了と答える。
ところがウンディーネは違った。
「私は少しリンと話してから行きますわ」
彼女は三人を送り出すと、此方に向き直って言った。
「さて、リン。何か隠していますわね?」
口元は笑みを浮かべたまま、けれどその目は笑っていなかった。
閲覧ありがとうございます。
今日はエイプリルフールですが通常営業です。
三点リーダを多用しすぎと指摘を受けたので今回から気をつけようと思います。