男は皆、オオカミさん
ドアを閉めたは良いけれど、鍵をかけていなかった事を思い出して慌てて鍵を閉める。
未だ黒いコートの男は咳き込んでいた。
「この家に何用かな? 吸血鬼」
「……ゲホッ……。これは珍しい……トレントか。……私も見るのは初めてだが、随分な歓迎の仕方をしてくれるではないか。これが原初の緑と謂われる者の礼儀か?」
皮肉がたっぷりと含まれた棘のある言葉がトレントに向かう。
それよりもさっき吸血鬼って言わなかった!?
私も見るのは初めてだけれど男性にしては少し肌が白いかな?って感じる以外は普通の人間と変わらない。
ただ一つだけ気になるのは恐ろしく渋い声だという事だった。
「狼や熊を避ける為の植物だ。……普通の狼なら嫌がる匂いが撒き散らされていたと思うのだがな」
「そうか……。狼に姿を変えていたら随分甘い香りがすると思って不用意に近づいてしまった私の落ち度か……」
フラフラと玄関の階段についている手すりにつかまる吸血鬼のおじさん……いや、オジサマと言っておこうかしら。
「……ふむ、魔力にさえぎられてよくわからないが敵意は無いようだな」
「あぁ、魔力の流れが異常だったのでな……調べに来た。土地から際限なく魔力を汲み上げるような状態ならば止めるつもりだったが、そうでも無いらしいのでな。害意は無い」
目をゴシゴシと擦っている。もしかしたら刺激成分が目に入ったのかもしれない。
私は慌てて水瓶から水を小さめのボウルに掬うと外へ出た。
「あ、あの! よろしければこれを使ってください!」
私は水を張ったボウルを精一杯伸ばして吸血鬼さんに顔を洗ってもらおうとした。
トウガラシが入っているようなものなら目を擦ったら余計に目を痛めちゃう。
敵意が無いなら悪い人では無いかもしれないし……。
「あぁ……すまない。ありがたく使わせて……おぎゃああああああ!!!!」
「ふやあ!」
ボウルに手を入れた吸血鬼さんが雷に打たれたように絶叫を上げ、ビクンビクンと倒れこんでのたうちまわっている。
それに驚いた私はボウルを手から落としてしまい、そこらじゅうに水が飛び散った。
ボウルがコワンコワンと私の足元で音を立てて鳴いている。
何!?一体なに!?もしかして水じゃないもの入れちゃった!?
「……リン……。それは銀製ではないかね? 吸血鬼にとっては一番苦手とするものだよ」
トレントが同情するような目を吸血鬼さんに向けている。
「あおおぉおお!!? き、貴様、な、何をするぅう!」
「うひゃわ、ごめんなさい! すぐに他の物に入れてきます!」
私は大慌てで家に戻り、今度は木製の手桶に水を入れて吸血鬼さんの前に置いた。
うぅ……重かった……。
「ど、どうぞ……」
吸血鬼さんは木製であることを確かめ、指先でちょんちょんと水をつついて確かめている。
そんなに心配なのだろうか、失礼だなーと思ったけれど一度失敗しているから何も言えない。
安全を確かめると顔を洗い始めた。まだあの手桶は未使用で綺麗な筈だから心配はしていないのだけれど。
「……ふぅ~~~……」
人心地ついたように大きな溜息をついた吸血鬼のオジサマは此方を視界に捉えると口を開いた。
「リン……とか言ったか。お前はトレントの番か?」
「つが……い?」
一瞬、言葉の意味が分からずそのままを聞き返す。
「そうだ。トレントの伴侶かと聞いている」
あぁ、トレントのお嫁さんって事ね……って!
「ええええ!?」
自分の体の何処からこんな声が出るのかと思うほど驚いた。
「何だ、違うのか? 随分とトレントに愛されているようだからな」
「ゲホッ……。そ、そうなの!? トレント!」
大声をだしてしまったせいで擦れてしまった喉を擦りながらトレントの方を向いて聞いてみた。
「ほっほっほ……。確かに愛情は感じているが伴侶にしたいわけではないなぁ。人間と共に生きて行きたいと願っても、それは無理だからね」
そうか、どう考えても世界の始まりから生きているトレントと人間じゃ寿命自体も違うもんね。
体を作り変えてトレントと同化すればできるかもしれないけれど、そんなヤドリギみたいな生活はお互いに負担だし、そもそも人間ではなくなってしまう。
トレントは人間という生き物が好きなのだ。
「……だ、そうです。立ち話も何ですから家へどうぞ」
「ほう……」
吸血鬼のオジサマが何やらニヤリと微笑んだ。
何?私何か変な事言ったかしら?
「あぁ、リン。吸血鬼は招かれないと家に入れないのだよ……。つまりこれで鍵がかかっていようとも入れるようになってしまったねぇ」
トレントがヤレヤレと言った顔で溜息をついた。
だけど私は全く別の事を考えてて。
パン屋さんとかに行くとき招かれないと入れないならずっとお店の前でウロウロしてるのかなって思ってた。
吸血鬼ってそんなに難儀な体質なのねぇ……。
ちょっと可哀想。
そんな視線で見上げていたら、吸血鬼のオジサマは何やら困った顔で私を見下ろして、次にトレントに声をかけた。
「トレントよ、何故この娘は私を憐憫の眼差しで見つめているのだ?」
「あぁ、それは人間の店に入れなくて困ってそうだと考えているようだねぇ。……見てのとおり危機感も全く足りない娘だが、久しぶりの話し相手だ。もし危害を加えるようなら……」
トレントが凄むけれど、吸血鬼のオジサマは軽く手を振ってそれを制した。
「それは心配ない。無理矢理人間から血を吸うような真似はしていないのでな。それにこの様な幼子に手を出したとしたら騎士の称号を持つ私の家の名折れだ。……とりあえず落ち着いて話そう。入っても良いかね?」
「あ、はい! どうぞ! きゃうっ!」
オジサマがドアに向かおうとするので閉まっていたドアを開けてあげようとしたら足元に転がっていたボウルを踏んでしまい派手に手桶の水を前を歩いていた人物にバシャリとぶっかけてしまった。
「わわわ! すみません! すみません! ってあれ? ボウルは……?」
「おぎゃああああ!?」
見るとオジサマの頭にスッポリと銀のボウルが……。オジサマは銀自体に触るのもためられるようで頭から白い煙を出しながら口から泡を吹いていた。
慌ててボウルを取ると、おでこが赤くなっていた。ボウルの当たっていた場所がまるで火傷でもしたように。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……。敵意も無くここまでやるとは末恐ろしい。貴様、教会の聖職者になれるぞ……」
ゼイハアと荒く息を吐いて頭を押さえて皮肉を放つオジサマに申し訳なく思いつつ家に招きいれた。
椅子を勧めるとオジサマはムスリとした顔で腕と足を組んだ。
コートは私が暖炉に火の魔力を込めた軽石を置いて乾かしている。
とりあえず御機嫌取りのためにお茶とリンゴチップスを出しておいた。
改めて、吸血鬼のオジサマの容姿を見てみる。
年の頃は人間で言ったら20歳前半くらいだろうか。
髪の色は金、金と言ってもアンヘルのようなお日様の色じゃなくて、月の光のような冷たい金色だ。
瞳は緋。少しだけボンヤリと光を放っているような感じがしてずっと見ていると吸い込まれそう。
白いシャツと茶色のジャケットとスラックスが高級そうな印象を与えてくる。
……さっき土の上でのたうちまわったせいか少しだけ汚れているけれど。
緋色に揺らめく瞳を見ていたら余り直視するなと怒られた。
吸血鬼の瞳は魅了の魔力があるらしく、ずっと見ていると取り込まれてしまうらしい。
「私はアルカード・クリストファー・ドラクリッドという。この近辺で名ばかりの領主を務めさせてもらっている。昼間は外に出られないのでな。お飾り領主と思ってくれて構わない」
「もしかして……騎士上がりの領主様?」
そういえば私が家を出るとき誰も顔を知らない領主様が居たっけ。あれ?ということは領主様って実はすごい土地持ち?
少なくとも私の家からここまでかなりの距離がある筈だ。
私が村を出る前に見た領主様のお屋敷を思い出す。
「よく知っているな。そうだ、昔に騎士と爵位を拝領してな。そのまま管理させてもらっている。それに私にしか出来ない仕事もあるのでな」
へ~、じゃあすっごく強い人なのかな、と考えを巡らす。
そんな強い人にあんな事やこんな事をしてしまったのだけれど……そこは子供のやったこととして許してもらおう。
「それよりも何故トレントと一緒に暮らしている? 見たところトレントが根付く樹木を育てられるほど魔力が高いようにも思えないが」
「えっと、それは……」
アルカードさんが問いかけて来た答えに、私はぽむとぽこの存在を言っていいものか、腕に抱いたドール……レインをギュッと抱きしめる。
「ふむ……。その人形、妙な魔力が込められているな。リン、お前の魔力か?」
「解るんですか!?」
驚いて声が出てしまった。
私の声に頷くとアルカードさんはゆっくりと目を開く。緋の瞳が煌いて、再び閉じられた。
「……2階にも妙な魔力があるな……。こんな事は初めてだ。リン、危険かそうでないかを見極めたい。でなければ私は君を王都に犯罪者として送らなければならない」
魔力の流れを読んだのだろうか。吸血鬼ってそんな事もできるのかな?
「……2階は寝室ですので、できれば男性は入れたくありません。立場のある方でしたらこの意味がお解かりでしょうか。連れて来いと言うのでしたら聞きますが」
流石にホイホイと寝室まで男性を上げてしまえば襲われても文句は言えない。こんなちんちくりんの体に欲情するような人物では無いと信じたいけれど、最悪の事態を想定してしまうのは紡時代からの悪い癖だと思う。
それに王都に犯罪者として送られるって穏やかではないけれど、ぽむとぽこを見れば害が無いのは分かって貰えるだろうと考えた。
寝室を見てみたいと言うような、少なくともロリコンでないことを祈ろう。
いくら渋くて良い声だと言っても警戒心はあるつもりだ。
私はそんなに安い女ではない。
……ホイホイ家に入れちゃったけれど。
「そうか、では頼む。私も害意があって言っているのでは無い事を解って欲しい。トレントの恨みを買うような真似はしたくないのでな」
少しだけ複雑な表情を浮かべるアルカードさんに頷くと私は2階へ行ってぽむぽこを連れて来た。
「ぽ! ぼぇ」
「ぷ! ぶぇ」
ぽむとぽこはアルカードさんの事を快くは思ってないみたいだなぁ……。
もしかしたらリンゴのチップスを出したから自分達のオヤツが取られると思っているのかもしれない。
「な、なんなのだこれは!?」
アルカードさんの緋色の瞳がぽむとぽこを視界に捉えた瞬間グルグルと回って、疑問に満ちた言葉を発して倒れてしまった。
……何だろう、とても嫌な予感がする。
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