精霊から力を借りる為に
ガラス玉が散らばる世界で声をかけられる。ミルク色の背景の中に浮かぶガラス玉は色取り取りで、とても幻想的だった。
「……リン、忘れないで……」
誰かに話しかけられたような気がして、慌てて聞き返した。
「え? ……なにを?」
「……忘れないで……」
ガラス玉がゆっくりと私の周りを回る。
ミルクのような背景、と思ったけれどよく見てみると蜘蛛の糸を何重にもよりあわせたようなものだった。
温かい温度を持つ糸に包まれて、私は繭になる。
「まだ早いね……もう少しだけ、おやすみ……」
抗いがたい気持ち良さに包まれて、そのまま声に導かれるままに瞼を閉じた。
なにか夢を見た気がする……。
思い出せないけれど、大切な事。
それに気付いたのは頬に涙の後があったから。
時間は陽が少し黄色く感じる頃だ。
目をゴシゴシと擦りながらカーテンを少しだけ開けて外を確認してみる。
どうしてカーテンを開けないかって?そりゃあ下着姿に決まっているからでしょ。
誰も居ないかもしれないとは言え、自分の体をフルオープンにするような羞恥心の欠片もない行動はしたくない。
おそらく16時前といった所だろうか。
そろそろトレントが種を作り終えた頃かな。
ローブを着て下に降りよう。
大蛙から取れた黒革のブーツを履き、ベルトを固定してからクローゼットに向かう。
ぽむとぽこはまだベッドの上にいる。プクスープクスーとイビキをかいているのが愛らしい。
クローゼットを開いてローブを取り出した。
儀礼済みの白銀の絹布を黒く染めたものだ。
これも割と高級品でシルバーシルクという特殊な糸を吐き出す蚕の一種からしか取れない。
確か王都近辺でしか養蚕されてない品種だと聞いた。
それを魔術協会の魔術師が耐呪や装着者を守る儀礼魔術を施すのだ。
ママと私がせっせと縫製したローブに私なりのアレンジを加えてある。
フリルに見立てた私の魔力糸を魔導式として縫いつけて、ある程度高い所から落ちても大丈夫なように一度だけ保護する魔術をかけてある。
所謂、車のエアバッグみたいなものだろうか。
箒からの落下事故って割と多いのよね。
ママにリンに羽が生えているみたいね、まるで天使様みたい。と試しに着てみせた時に言われた。
天使なんてそんな御大層なモノと比べられたら私のようなチンチクリンは立つ瀬がない。
そういえばアンヘルって名前は確か天使って意味だったっけ。
アンヘルの綴りはエンジェルと読める筈。
今日やってきた食いしん坊の珍客の姿を思い出す。
私の頭を撫でながら歯を見せて笑っていた眩しい笑顔が浮かんだ。
……ときめいてなんか居ない。
うん、絶対に。咄嗟だったから頭に伸びる手を避けられなかっただけだ、うん。
もう一度言うけれど、ときめいてなんかいない。
頭をフルフルと振り、少年の姿を追い出す。
頭の中で大きな身の丈ほどのリンゴに齧りついているアンヘルのちびキャラがアーレーとか言って飛んで行ったけど気にしない。ザマアミロだ、ふふん。
上からスッポリとローブを被り、ベルトを締める。
ベルトもポーションや小型の杖……ワンドと呼ばれているものを挿して携帯できるように輪っかがいくつかついている。
……私は人形を主に使うからハンドルを挿したかったけれどハンドルはすわりが悪かったので仕方なくポケットに入れてある。
正十字型の人形を操る為のハンドルは輪っかにさしても不安定だしね。
いつか杖も作らないといけないなぁ。
……トレントに頼んで枝を貰おうかしら。……なんかすっごいのが出来そう。
「ぽむ、ぽこ起きて。下にいくよ」
ドールを腕に乗せて、カーテンをシャッと開けて太陽の光を入れる。
「ぽ、ぽ!」
「ぷ、ぷ!」
なんだか寝起きの弟に似てるような抗議の声をあげられた。
「だーめ! あんまり寝すぎると夜寝られなくなっちゃうでしょ!」
弟に叱るようにぽむとぽこを諭す。
「ぷー」
「ぽー」
渋々と言った感じでベッドからモソモソと降りた。
こういうとこも弟のジグみたいね……。
部屋のドアを開けるとリンゴの香りがむわりと襲い掛かった。
「うぷっ!?」
面食らって顔を背けた。
……そうだった、窓を開けておくのを忘れてた。
慌てて家中の窓を開ける。
涼しい風が入ってきて、リンゴの臭気を少し拭い去ってくれた。
いくら甘くて美味しいとはいえども、体に纏わりつくほどのリンゴは遠慮したい。
例えばチョコレートが大好きな人が居て、その人にチョコレートの海で泳ぎたいかと聞けば答えはノーだろう。
それと同じ事だ。
玄関から外に出るとトレントが目を開けた。
「ほっほっほ、随分ドタドタと走り回っていたね。何かあったのかい?」
「えぇ、ちょっと換気をしたくて」
リンゴのせいで、なんて言いたくは無い。だってせっかくトレントが善意で作ってくれたものだし。
幸いトレントには心を読まれなかったようだ。
「そうかそうか。それはそうと種が出来たよ。私の口に入っているから取るといい」
トレントが口をあーんと開ける。恐々と覗き込んでみると丸くて黒っぽい種が見えた。大きさは私の握り拳より一回り小さいくらい。
……発育不良の子供の手だから参考にならないかもしれないけれど。
「ありがとうトレント! じゃあ遠慮なくいただくね」
四つん這いになってトレントの口に手を掛け、精一杯手を伸ばす。
……届かない……。
あ、そうかドールを使って取れば良いかと気付いてポケットからハンドルを取り出そうとした時、後ろからぽこにお尻を押された。
「ぷ!」
「きゃあ!?」
どちゃっとトレントの口の中に入ってしまった。
「いたた……? くない?」
全く痛くは無かった。言うなれば落ち葉が積み重なったような感触だろうか。
モゾモゾとトレントの口の中を這い回って転がっていた種を貰った。
「ヒン、あはいふすふああいえふえ」
トレントが舌というか私が這いずり回っている部分を動かして何事か喋る。
たぶん、あまりくすぐらないでくれと言っているのだろう。
種は貰ったしさっさと出よう。
「ごめんね、トレント。今出るから」
口の端に手をかけてよっこらしょと出る。
高さは私の胸くらいなので何とか出られた。
ついでにぽこもみょんっと出てきた。
「いやぁ、いきなり口の中に入られるとビックリしてしまうなぁ……。ほっほっほ」
「ごめんね、トレント。いきなりこの子が押したのよ」
「ぷ!」
足元でみょんみょんと跳ねていたぽこを捕まえてトレントの目の前に差し出す。
「ほっほっほ。おそらく私の口の中に入っても危険が無いという事を言いたかったんだろうねぇ。もし危なくなればいつでも頼っておいで」
……確かにトレントなら肉食の動物は食べようと思わないわね。
根元の幹もゆうに学校の教室一つ分くらいの太さがあるし。
怖いのは落雷と火災くらいかな。
火の始末には気をつけよう。
あ、落雷避けの魔術をかけてあげるんだっけ。
「トレント、今から落雷避けの魔術をかけるね」
「ほう、種を植えた後でも良いんだよ?」
少しだけ驚いた顔をするトレント。
「いえ、お礼の意味も込めてトレントを優先したいし」
「優しい子だね。まさかこんなに小さい子に気にかけられるとはねぇ。じゃあ魔術師のお手並み拝見といこうか」
まだ見習いですし、小さくても、は余計ですぅ~。
ぷぅと口を膨らませたらトレントが笑い出した。
「ほっほっほ、冗談だよリン。よろしく頼むよ」
気を取り直して詠唱を始める。
「……歓天よ喜地よ、雷の赫怒を隠し、花樹を護り闊達であれ!」
トレントが緑色の光に包まれる。
……うわぁ、対象が大きいから見た目もすっごい……。
気付いている人は気付いているかもしれないけれど、この世界での魔術は韻を踏む。
魔術を考えた人が精霊から一番力を借りやすいのが韻を踏んだ言霊に乗せて魔力を乗せる方法を編み出したのだ。
……もちろん無詠唱でもできる人がいるけれど、王都の魔術研究所では無詠唱は精霊から無理矢理力をひっぺがす説とそうではない説が真っ向から対立しているらしい。
どちらが本当か分からないけれど、仮にでも精霊を苦しませる事をしたくないので私は韻を踏んでの言霊魔術を好んでいる。
……それに私の無の魔力も言霊を使った方がちゃんとした形になるし、丈夫になる。
無詠唱で糸を出したときはプチプチと千切れて使い物にならないのだ。
ぽむとぽこのおやつとしてはいいかもしれないけれど。
ってあれ?あまり魔力が減っていない……。
トレントのような大きな対象は、ほぼ私の魔力使いきるかと思っていたのに。
「ぽ!」
「ぷ!」
足元でぽむとぽこの鳴き声がした。
「まさかとは思うけれど、ぽむぽこが手伝ってくれたの?」
試しに聞いてみたらポムポムと……じゃない。コクコクと頷いた。
他人の魔術を増強できるのかしら。本当に謎が多いなぁ、この生き物達。
お礼に指先から私の魔力で編んだ糸を詠唱と同時に引き出す。ズルズルと。
「ぷ!」
糸の端っこにぽこが飛びつく。あぁ、まだ半分に切ってないのに!
「ぽ!」
もう片方にぽむが飛びついた。あぁなんだか二匹で綱引きが……。
「ほっほっほ、すっかり懐いているようだねぇ」
トレントが笑いながら私達を見る。
「その種は家の近くに植えるといいよ。害獣が嫌う臭いを出すんだ。それでも近づこうとすると破裂して目と鼻が利かなくなる花粉を出すから」
防犯グッズの催涙スプレーみたいなものかしら。
紡時代の学校の授業で習った暴漢対策品の数々を思い出す。
「ありがとう、早速植えてみるわね」
トレントの下でもっちゃもっちゃと糸をひっぱりあいながら綱引きしている二匹を後に、家の前に向かった。
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