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第ニ話 共通ルートを知らない彼は

「で、見つかったのはこれだけか」


 家の鍵、20万円ほど入った通帳とキャッシュカード、親名義らしい保険証、1万円ほどの現金の入った安物の財布、携帯の充電器、通学カバンは見つかった。とりあえずこれがあれば生きてはいけるとひと安心する。

 どうやら俺は一人暮らし中な高校生という設定らしいと理解する。如何にもゲームでありがちな設定だ。携帯を確認しても両親らしい番号は見当たらなかった。というかさっきの女神の着信番号しかない。


「にしても、やること多いなぁ」


 色々と足りない物が多過ぎるのだ。家電や食器も一式揃ってる癖に洗剤類はないし、何よりトイレットペーパーも今使っているのが切れたらおしまいだ。早めに気づいて良かった。危ない危ない。

 残念ながら冷蔵庫の中も空っぽだったので朝食はまだだ。社会人の頃はよく朝食を抜かしていたが、今は再び訪れた成長期だ。きちんと食べれば身長も夢の160越えもあるかもしれない。家を出たらまずはスーパー、郵便局、ドラッグストアは行かないと。

 街の探索もしないといけない。裏道の武器屋とか、謎の組織の接触とかあるかもしれないしな。でもその前にテレビでも見ておこうか。9時になるまではスーパー開かないだろうし。そう思いテレビを付けて、チャンネルをコロコロ変えてみる。


『という発言をしておりますが、ぴのさん、この一連の事件についてどう思われますか?』

『いや―許せませんねぇ。国民の税金をこんなわけのわからないプロジェクトに勝手に……』


 ぴの ぽんたって誰さ、と心の内で苦言を漏らす。見慣れないテレビキャスターや、パロディっぽさが滲み出る番組タイトル、全く知らない芸能人の結婚話、どうやら女神のいうゲームの世界という言葉が現実じみてきた。

 こういう些細な所を知っているか否かが攻略のヒントに繋がることはよくある話。大企業とか、世の中の流行とか、主要な政治家とか知って置いて損はないはずだ。黒幕や後ろ盾と成りうる可能性の高いものは要チェック。


 ベッドの上で腕立て、スクワット、腹筋、背筋と筋トレを50セットでローテーションさせながら、情報収集に勤しむ。背を伸ばすには適度な運動は重要だ。それにいざ魔物や異星人、謎の傭兵に襲われた時でも僅かな筋力の差で生き延びることができるかもしれない。

 どんなゲームなのか分からない以上、万全の用意はするべきだ。早い所金策は確立して、システム周りも把握しないといけないな。


 外へ出掛けるべく学生服を身に纏い、鏡を見てブレザーの襟を正しながらふと気づく。俺、高校生じゃん。

 携帯の時間が1月1日だから油断していた、なんて言い訳は無用。もう会社に行かなくていいからラッキーとか浮かれていました。はい。

 幼馴染が寝坊した主人公を起こしに来ると言う展開も、既に登校時間を過ぎているであろう今はありえないだろう。

 それに学校の名前さえ、って「赤薔薇学園」か。しかし名前が分かった所で学生手帳はないので地図も電話番号もわからない。今の情報量では登校は不可能ということだ。誰かに聞くか地図を入手しなければならないだろう。あ、どんなゲームでも地図は必須だな。うん、買おう。


 結局目立ち過ぎる学生服のブレザーは脱ぐことにした。学生服まんまで歩いて補導されたり、病人よろしくパジャマでいるってのも頂けない。

 桃色チェックのパジャマのズボンと、紺のストライプが入ったワイシャツという中途半端な出で立ちだ。


「まぁいいか」


 そう思ったのも束の間。世の中そんなに甘くない。軽薄な行動を俺はすぐに公開する羽目になるのである。







 まずは学校に仮病の連絡を入れるべく電話ボックスを探し当て、置いてあった電話帳で学校に電話を入れる。

 ところが衝撃の事実発見、どうやら今日は入学式だったらしい。連絡してしまった手前、遅刻して登場、なんて真似はもう無理だ。

 学園という文字がゲームタイトルにつく以上、クラスメイトは仲間として重要な位置に居ることは容易に想定される。

 やってしまった、と溜息を吐きながらガラス戸を押し開けた時にそいつは現れた。


「君、こんな時間にどうしたのかな? まだ学校の時間のはずだよね?」


 実に生真面目で紳士的なバリトンボイスで語りかけてくるのは、逆三角形という言葉がとっても良く似合う色黒の警察官なお兄さん。ねぇボディービルダーでもやってるんじゃないかって言うぐらいだよ。仲間だったら間違いなく肉盾だよね。敵だったら……なんて考えたくはない。


「実は風邪ひいちゃって、学校に連絡してたんです。携帯とか持ってないんで……」


 とっさの言い訳とはいえど、我ながらかなり苦しいか。警察官の手入れをしていない逞しい眉の形が歪み、一本眉に成りそうな程に変化する。


「普通、お家の電話があるよね? 今時は固定電話もない家もあるかもしれないけれど、お母さんかお父さんが携帯持ってて連絡するものじゃないのかな?」


 超の字が付くほどに体育会系な顔をしている癖に、単細胞ではないらしい。心根がきっと良い人な分、こういうときは厄介である。

 逃げ道を塞がれた。理論的な意味でも、物理的な意味でも。後ろはガラスの壁、前はきつい程にシトラスを漂わせた筋肉の壁だ。


「ウチ、凄く貧乏で最近固定電話が止められていて……」


 苦しい。実に苦しい言い訳だ。しかしまともに思考回路が機能しない。香水の匂いが狭い空間に充満し始め、鼻孔の奥が脳内へとSOS を発し始めているせいだろう。

 眼元も涙が込み上げてきた。頼む、その脇を上げないでくれ。逃がしてくれ!

 失礼だとは思いつつも、左袖で鼻を抑え被害を軽減しようと試みる。きっとそれが変な勘違いをさせてしまったのだろう。


「君! ちょっと署まで来なさい。お兄さんに事情を聞かせてくれないかい? まだ寒い時期なのにそんなチグハグな薄着で出てくるなんて、よっぽどの事情なんだろ?」


 鼻毛が出入りするのが確認できるぐらい鼻息が荒い。右手が肩へ向かって伸びてくる。

 あ、ヤバい。捕まる。逃げ場はどこか――――あった!!


「ごめんなさい!!」


 一気に身をかがめ、男の股下へとドライブイン。

 ちょっとお尻が突っかかったけれど、壁の向こう側へと脱出することができた。


「き、きみ、っ……くぁ! ふっ……ぅる……」


 背中越しに聞こえてくる奇声が気になって振り返ると、先程潜り抜けたときに金的をかましてしまったらしい。鼻水流しながら股間を抑え悶え転がっている大の大人がそこには居た。同じ男として大変申し訳ない。

 信じてもいない神様へと祈りの十字を切り、この隙に立ち去ろうとする。


「はん、はぁ……き、きみぃ。僕はぁっ、君の事を、考えて……。はぁう。事故は許し……ら、ぅう。僕に、付いて、っ来るんだ……っ。ふぅっ」


 立った。信じられないことにその男は立った。

 小鹿のように足を震わせながら、乙女のように内股になりながらも、男の尊厳を投げ捨ててでもその男は立ち上がった。


 なんという執念、何と言う正義感。きっとこの男は恥も外聞もなく、涙を流しながらでも全速力で追いかけてくるのだろう。


 このまま走って逃げたところできっと捕まる。相手が負傷していれど、体力の差は明らか。あの目からしてどこまでも追っかけてくることは間違いない。

 ふと視界の隅に自転車が目に留まった。鍵も付けっぱなしだ。最低な思考が次々と浮かび上がる。


 早く決めろよ俺。


 さっきからずっと直感と言うべき本能的な何かが、機械のように平坦な声が、故障した目覚まし時計のように頭の中で鳴り響いている。


 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ…………………………


 補導される位ならこんなことはあり得ない。この正義感に溢れた警察官相手に命の危機を感じる。捕まったら実は闇の組織に捕まってモルモットにされるとか――――ありえない。と思いつつも、口の中が乾いていくのが分かる。俺ってこんなに最低な奴だっけ? 

 結局俺は本能に抗えなかった。


「ゴメンなさい」


 人目が全くない所で良かった。スタンドを倒して白チャリに跨る。

 30cm近くある背丈の差のせいで少し漕ぎにくかったが、電動式なおかげで進み出しもスムーズだ。


「ったい、き……を、…………さない、か……な」


 段々と声が遠くなっていくが決して振り返らない。絶対振り返らない。

 そう決めたのに汗と涙と鼻水にまみれたおまわりの顔が瞼の裏に浮かびあがる。

 初っ端から嫌な気分だ。頑張っている人を、親切な好意を踏みにじるのって吐き気が込み上がりそうな程気持ち悪い。決断したのは自分だけど、本当に嫌なゲームスタートだ。


 どれぐらい漕ぎ続けたのか、辿りついたのはどっかの河原の高架下。

 丁度そこは日陰になっていて、汗まみれになった身体を冷たい風に晒すにはいい塩梅だ。


「まさかペナルティも分からないうちに、いきなり窃盗プレイするなんてなぁ」


 人目を奇跡的に掻い潜って、無事に白チャリで逃げのびたことに対し、罪悪感よりも「やってしまっちゃった!」的な達成感の割合が少しずつ大きくなって来ている気がする。


「バイクを盗むのは15の夜と相場が決まっているのに、真昼間から警察相手に盗んじゃったよ。俺」

「おう、度胸あんなお前。そのシャツ、赤薔薇の生徒だろ?」


 突然背中越しに響くしゃがれた声。流れてきた紫煙の誘いが鼻先を掠める。

 真っ赤だ。何よりも先にブレザーの下の真っ赤な英字プリントのTシャツが目に入った。

 そして視線を上げる。坊主頭の左耳の上あたりにハート型の剃りこみがされている。ガチだ、この人。

 猛禽類みたいに尖った眼つき、さっきの警察程でないにしてもきっちりと鍛え上げられた胸筋。きっと典型的な番長とかいうタイプだね。間違いない。



「えぇ。初日から学校サボってるのバレて捕まりそうになったんで、ちょっと拝借しちゃいました」

「ぶっ飛んでんなぁ。新入生。お前、名前は?」

「小柴賢治です」

「おう、じゃお前、シバケンな」


 やっぱりすぐに渾名が決まった。先輩は胡坐姿勢で右隣りに座り込み、わしゃわしゃと俺の髪を撫でまわした。


「あの、先輩のこと何て呼べばいいですか?」

「俺か? 佐々木虎次郎、こじろうの“こ”は“虎”って字だからな」

「もしかして“虎さん”とか呼ばれてます?」

「いや、あんまりだな。でもシバケンならそう呼んでいいぞ。お前の度胸に免じて許す」


 一瞬、虎さんの顔が曇った。多分地雷を踏んだらしかったが、どうやら危機は回避できたようだ。


「シバケン、お前も吸うか?」

「いいえ、気持ちだけで良いです。吸うのは背が伸びてからじゃないと……」


 せっかくの新しい人生だ。身長が伸びるのを妨げそうな要素は極力排除しなければ。せっかくの誘いに申し訳ないが断りを入れる。さっき気まずくなったばかりなので少しドキドキだ。


「あぁ。確かにお前はタッパ伸びてからが良いな。誘った俺が悪かった。でもちょっち、気分悪りぃなぁ俺。代わりにその白チャリの話聞かせろよ。面白おかしく、だぜ?」











 受話器越しの彼は意外と冷静な声だった。むしろ自分の事だと言う実感が欠如しているかのようで、この世界を作った一人としては少し寂しさすら感じる。

 まだこのゲームのシステムは不完全だ。魂の保留所という用途の試験も兼ねているため、チェックの行きわたっていない所は多い。

 ゲームのように子犬ちゃんの恋愛もそんな上手くいくはずがないとは分かっている。でも入学式初日から彼は欠席するなんて誰が予想しただろうか。きっと天界は阿鼻叫喚の声で埋め尽くされているのだろう。年甲斐もなくウキウキしながら登校した私も馬鹿みたいじゃない。


「……共通イベントすっ飛ばして何してんのよ」


 龍君やモンちゃんに立てるべきフラグをいきなりスル―だなんて、なんて超上級者向けのプレイをするんだ彼は。

 同じクラスに潜入したのにもかかわらず、生子犬ちゃんを見れない悶々とした時間が過ぎる。確かに他の美形キャラもいっぱいいるけれど、子犬ちゃんには見劣りする。どうやら彼は風邪をひいたらしい。絶対嘘だと思う。明日は来るのかな、なんて考えていた私の不安は杞憂に終わった。

 何気なく窓辺から見下ろしていると校庭を走る一台の自転車。しかも正々堂々の二人乗りだ。しかもどちらも見覚えのある顔。学校一の問題児である佐々木虎次郎と子犬ちゃんだ。


「え、子犬ちゃんってば……まさかのタイガ―ルート!? それは、そのカプはあり得ない。認めないわよ!」


 それも単なる杞憂だと分かるのはもう少し後の事。彼は私には見えない何かと真剣に戦っているだけなのだった。


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