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真実

「待て、ドレッド!!」

 そして、僕は飛び起きる。

 そこは、いつもと変わらぬ我が家、古臭いアパートの一室だ。

「ゆ、めか?」

 まったく、どうかしている。あんな非現実な夢を見るなんて、お陰でシャツが汗でびしょびしょだ。

「……なんて、都合の良い話なんて無いよな。なあ、奈緒」

「…………」

 奈緒は、何も語らない。ちゃぶ台の前で俯き、じっと動かずにいる。

 よく見ると、そこはいつも通りでは、無かった。

 時刻は、8時、まだ朝なのに煌々と輝く電球。いつも、晴天の外は漆黒、吹き付ける雨風が、窓をガタガタと鳴らす。

 そして、なにより異常なのは、時々、ブレる彼女の輪郭。

 思い出したかのようにノイズが走り、歪み、そして、再び元の姿を取り戻す。

 まるで、長い間、使い続けたビデオのようだ。

「ああ、なんてことだ」

 その姿を見て、つい天を仰いでしまった。ああ、やはり、昨日の出来事は本当だったのだ、と。

 ああ、ドレッド、お前は狂ってない。おかしいのはこのねじ曲がった世界だ。

「体、大丈夫か?」

 その言葉が予想外だったのか、一瞬、固まり、そして微笑む。困ったような、しかし僅かに嬉しそうな笑みだ。

「ええ、しばらくすれば落ち着くはずです」

 嘘だ、と本能的に悟る。何かが、破綻したのだ。この場所も、彼女もあと僅かしか保たないだろう。

「ははっ」

 自然と、笑いがこぼれる。気づく人間は本当に絶望したとき笑うのだと

「本当のこと、教えてくれ」

 この場所、彼女の正体、そして、5時55分に起きた出来事のこと、知らなければならないことは沢山ある。

「……本当のこと、知っても苦しいだけですよ?」

「それでも。僕は知りたい」

 知らないほうが、幸せだった。しかし、知ってしまった以上、無かったことには出来ない。

「なかったことに、出来るとしたら、どうします?」

「無かったことに?」

「……ええ、せんせさえ望めば、昨日の記憶をリセット出来ます。 二度とあんな目にあわせたりしない。 だから、せんせ、この穏やかな世界でいつまでも一緒に……」

 ああ、確かにいい選択だ。もしかしたら、この時間さえ逆流するこの世界なら、彼女も元に戻るんじゃないのか?素晴らしい話だ。すべてを忘れて、彼女とずっと一緒に暮らす……

「なんて、都合のいい夢、有り得はしないだろう」

 逃避は一瞬だ。だが、その逃避が大事なことを思い出させてくれた。彼女と共にいる生活、それを想像しただけで幸せになれた。

 彼女が何者かわからない。僕を騙しているかもしれない。人間でさえないかもしれない。だけど、僕は……

「やっぱり僕は奈緒のこと、好きだ」

「え?」

 忘れてしまえば、いい。そうも思った。だが、ドレッドの言葉を思いだす。

 ――彼女を救いたいと思うのなら、足掻け。 5時55分の壁を乗り越えろ。 そして、その先にある真実を見極めろ。

 絶望するのは、まだ早い。彼の言葉を信じるならば、彼女を救う手だてはまだあるはずだ。

 だから……

「だから、奈緒。ごめん、君の願いに頷くことは、出来ない」

「え? せんせ?」

 僕は、立ち上がり、彼女の横を通り過ぎる。向かう先は玄関だ。

「駄目です。 せんせ、外は不安定すぎます!」

 彼女の言葉に、足が一瞬竦む。この異常な空間だ。外が通常の嵐だとは限らない。

 それでも、進まなければならない。震える手でドアノブを捻る。

「せんせ!」

 彼女が僕を追おうとするが、僕の一歩手前で見えない壁にぶつかったかのように動きを止める。

 そこが彼女の動ける範囲、ここから先は彼女の世界では無い。

「駄目! もどってきて! せんせ」

 彼女の悲痛な叫びを背に、決意が鈍らないように前だけを見る。

 外からの風に押され、扉が重い。玄関の隙間から入り込んだ風が部屋の中で吹き荒れる。

「ぐ、う!」

「せんせ!」

 外界への扉が、開かれる。

 ごっと、体に当たり砕ける雨風。痛い、まるで石つぶてに当てられているようだ。

「……覚悟、決めた?」

 僕でも、奈緒でも無い声が、豪風に紛れることなく耳に響く。

 それは舌っ足らずな、少年の…… 



 いや、少女の声だ。

「え? なんで?」

 奈緒が、その声の主を呆然と眺める。その子は玄関の前、嵐の中、濡れることも揺らぐこともなく佇んでいる。

「久しぶり、もう1人の奈緒」

「……久しぶり、ショッカー」

「案内してくれないか?彼の居場所へ」

 風が強く、自分の声さえ聞こえない。だが、彼女には聞こえたようだ。彼女は、僕を一瞥し、背を向ける。

「行ってくる」

 そう言い残し、風に逆らい前へ進む。

「せんせ!ま……」

 ばたん、と締まったドアに遮られ、彼女の声が遮られる。

 だが、僕にははっきりと彼女の声が聞こえた。

 一人にしないで、と

 後ろ髪が引かれる。今すぐ戻って、彼女を抱きしめたい。だけど……

「来い。ショッカー」

「ああ、解っている」

 胸の痛みを堪え、僕は彼女の背中を追う。

 一歩、一歩が重かった。正面から叩きつけられる重量、気を抜けば吹き飛ばされそうだ。

 まるで、世界がこの先に進むことを拒んでいるかのようだ。

 なのに、僕より小柄な彼女は雨にも濡れること無く、風に揺らぐこと無く、軽い足取りで僕の前を進む。

「くそ、何なのだ? ここは?」

 周囲を気にする余裕はない。が、否応にも、異常な光景が目に入ってくる。

 最早、ここは、のどかな田舎では無かった。

 白い雨、黒い空、白い川、黒い建物、白と黒の二色だけで描かれたモノクロの世界。

 まるで、灰と燃えカスのようだ。見ていて、恐ろしくなる。この世界は、見るだけで崩れ去りそうな不安定さはらんでいる。

「ここは、彼女の思い出を元に作られた世界、彼女が力尽きそうな今、すぐにでも崩れ落ちてもおかしくない」

 彼女のつぶやきが、嵐に紛れること無く、聞こえてくる。

 どれだけ、歩いたのだろう?ふと、風と雨以外の音が耳に入る。何かが崩れる音、その音の先を見ると崩れゆくビルが視界に映る。

「もう、時間がない。 ここは家族でビデオを撮ったあの一日を繰り返す世界、本来、雨が降ることも、ショッカーが5時55分を超えられるはずも無いんだ。 段々、彼女の支配が弱まっている。 多分、この世界も『私』も、もって数時間」

 彼女がぽつり、と呟く。

 『奈緒』が足を止める。もう、道案内は必要ない。彼女の横を通りすぎて、その人影を目指す。

「なぁ、ショッカー。 『僕』はお前を恨んでいる。 お前があんなことさえしなければ、世界はこんなにならなかった」

 だけど、と彼女が言葉を繋げる。

「同時に、『私』は、お前に感謝している。 この世界が出来る前の『私』は、幸せでは無かったけど、それでも、たった一つ、楽しみがあったんだ。 ショッカー、お前の漫画だ。 ただの、娯楽。そうかもしれないけど、それが彼女の生きる気力になったんだ。 そのことだけは覚えておいてくれ」

「奈緒?」

「じゃあな。ショッカー。 『私』をよろしく頼む」

 振り返ると、そこにいるはずの少女の姿は煙のように消えていた。残ったのは、地面に転がったライダーの仮面だけだ。

 風に飛ばされること無く、ライダーの仮面を手に取る。微かに彼女のぬくもりが残っている。

「ありがとう。もう一人の『奈緒』」

 前を向く、振りかえること無く、足を進める。重い足取り、服が水分を吸いこむ、地面はぬかるんでいる。何度も転げながらも、少しずつ、前へと進む。

「よお、せんせ。おつかれさん」

 いつもと変わらず、スーパー前の河川敷、彼は、相変わらずそこにいた。

 豪雨の中、濁流と化した川に釣り糸を垂らし、これもまた、いつもと変わらず静かに対岸を眺めている。

「やあ、ドレッド。今日は釣れている?」

 何を話せばいいか、迷い。結局、いつも通りの挨拶をする。

「はっ、見りゃわかンだろ」

 風に飛ばされること無く、そこにあるバケツは空、世界はこうも変わっても彼には全く変化がない。

 こっちは泥まみれだというのに、ドレッドは濡れてさえいない。

 ああ、やはり彼も、常識から外れた存在なのだな、と理解する。

「それにしても、久しぶりだな。どーせ、お前の彼女に止められていたンだろ?」

「ああ、お前みたいな変質者と付き合うな、ってね」

「はっ、違いねぇ」

 ドレッドが、僕の手にある仮面を見る。

「……ちゃんと、使い魔ちゃん、仕事してくれたよーだな」

 使い魔。あの子供の奈緒のことだろう。

「彼女は、死んだのか?」

「元から、生きてねぇンよ。ただ、彼女の記憶を一部ダビングして、再生した。魂無き複製品だ」

 違う。彼女は確かにここにいた。そう、言おうとした僕の顔を見てドレッドが、小さく苦笑する。

「怒るなよ。ここは、彼女の世界だ。俺のコピー作ったら一発でばれちまう。俺がここから動かないのは、道楽だけじゃねえ。下手に動くと、この世界から追い出されてしまうからだ」

 訳の分らない言葉の羅列が並ぶ。読者を置いて行きっぱなしだ。僕が編集者だったら間違いなく即打ち切りにするだろう。

「なあ、ドレッド。前にお前聞いたよな。 『どんな摩訶不思議な現象であろうと、この世界にいる限りこの法則から逃れることは出来やしねぇ。 が、そんな暴君様も入ってこられない領域を、俺らは知っているだろーが』って」

「おー、ついにわかったか?」

「ああ、こんな非現実的なこと、認めたくは無いがな。これは彼女の夢や想像の類なのか?」

 クイズにもならないような簡単な問いかけだ。ただ、その頃の僕は彼の言葉をまともに聞いていなかった。が、今なら話は別だ。この非現実のオンパレードな状況、今なら彼の言葉に耳を傾けることができる。

「その通り、ここは彼女の思い出を元に作られた世界。 その世界に取り込まれたのは、俺とお前、二人だけだ。 この世界において、彼女は神だ。 邪魔だと感じれば、消されてしまうし、都合の悪いことは全部無かったことに出来る訳だ。 もっとも、時間まで干渉してくるとは予想外だったがな」  

 時間干渉、時間の逆流、6時で終わり0時からスタートする18時間の世界。彼女がわざわざこんなことをする理由は一つしか思いつかない。

「……ああ、やっぱ、あの記憶は本当だったんだ」

 体が震える。雨風のせいでは無い。それはどうしようもない程の恐怖のせいだ。

 連載が打ち切られたあの日、失意と絶望で酒を飲み明かしたあの日の5時55分、僕は……

「……僕は、自殺、したんだ」






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