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4/6

5時56分

 ある日の夕方、天井から、コツコツと何かが当たる音がする。

「おや?」

 どうやら、雨が降り始めたようだ。ポツポツという音は次第に、ざー、という音に切り替わる。

「この町で雨が降るなんて、めずらしいな」

 この町に来て、初めての雨だ。

 普段は活気にあふれる街も、今は人影一つ無く、ただ雨音だけが静かに響いている。

 そして、僕は、首をかしげる。

「雨って、こんな音だっけ?」

 インドア派の僕にとって雨はそんなに嫌いでは無かった。

 コンクリートや水溜りに雨が弾ける音は、仕事する上では良いBGMだった。

 だが、何だろう?雨音に感じる違和感は?ザー、と降り注ぐ雨の音も、町を覆う雨のヴェールも、まるでTVに映るノイズのようだ。正直心地いいものでは無い。

「……そんな、何で?」

 僕の耳に届いた彼女の声。振り向くと同時に、彼女の体がよろめく。

「危ない!!」

 慌てて彼女の体を抱きしめる。

「あ、あはは、せんせ。ごめんなさい」

 真っ青な顔で、しかし、心配させまいと彼女は、ほほ笑む。

「奈緒、体調悪いのか? 待っていろ。今病院に」

 そこまで言って、気づく。病院行くには、外に出るということだ。はたして、彼女は外に出ることが出来るのか?

 そんな、僕の迷いを感じ取ったのか、彼女は笑う。

 顔色が悪く、無理に笑ったかのような小さな笑み、だけど、それでも彼女の笑みは、とても美しい。

「大丈夫、ですよ。ただの貧血です。少し休めば直ります」

「だけど……」

「お願いです、せんせ」

 その言葉に、僕は折れる。

「明日、調子悪そうだったら無理矢理でも連れて行くからな」

 その、言葉にほっとしたような表情を浮かべ、そして、恥ずかしそうに言う。

「あ、あの、せんせ、もしよかったら肩、貸してくれませんか?」

 気がついたら、四時を回っていた。もうすぐで、僕にとっての一日が終わる。

 あれから、しばらくして、彼女は落ち着きを取り戻した。

 だけど、僕から離れようとはしない、恐らく、僕の知らない何かが彼女を苦しめている。

「……そばにいて、それだけで、いいんです」

 そういって、彼女は、訳を話して貰えない。何もできない自分がとても歯がゆい。

「静か、ですね」

 彼女が、僕の隣に座り、肩にそっと頭を乗せる。

 彼女の匂いと彼女の控えめな体温が、漠然とした不安を溶かしていく。

「ああ、そうだな」

 普段は野球でうるさい隣人も、今日は物音一つさせない。急に、世界で二人きりになったようだ。

「……せんせ、今の生活、どう思います?」

「何だ?いきなり」

 眠そうな彼女の声、バランスを崩しそうな彼女を支えながら僕は答える。

「もしも、もしもの話ですよ?前のような、私と出会う前のような生活に戻りたいと思うこと、ありませんか?」

 確かに、未練はある。がんばれば、もう一度、雑誌で連載出来るのではないか?と、

 だが、そう思えてきたのは彼女が隣にいてくれたからだ。だから、彼女がこの生活を望む以上は……

「ああ、十分幸せだよ」

 その言葉に、彼女が柔らかくほほ笑む。

「……そう、ですか。じゃあ、私も、頑張らないと」

 そう言って、眠りにつく彼女。よく考えると彼女の寝顔見たのは初めてのような気がする。普段であれば、幸せな気持ちに浸れるだろうが

「がんばる? 何をだ?」

 普段は、そこまで気にしない言葉、しかし、今はやけに引っかかる。

 そう、思った瞬間、カチリと時計の針が進む音が響き渡った。

 吐血、した。

 赤い、血が畳を赤く染めた。

 時計を見ると5時56分。すでに、55分を超えている。


 ―――雨音が、強くなる。ノイズが頭をかき毟る。


「なん、で」

 地面が目の前にある。ああ、どうやら倒れたようだ。体が動かない、なのに痙攣は止まらない。

 息苦しいまでの熱気、吐き気のする熱気――頭からウジがわき出しそうな熱気。

 その周囲の変化に反して、僕の体から体温がゆっくりと失われていく。


―――痛い、痛い。アタマガイタイ。ワルイ、キモチ、ワルイ

 


 彼女の寝顔はやすらかだ。つまりこの異常は僕だけのもの。

 何故?何故?何故?この言葉が脳裏を占める。


 ここに引っ越してから降らなかった雨、

 初めて見た彼女の弱さ、寝ない彼女が見せた寝顔、

 そして、5時55分を1分超えたこと……


 ぐるぐる、と思考が空回りする。ダメだ。熱にうなされた頭じゃ何も考えられない。

 だから、だろうか?こんなことを疑問に思ってしまったのは

「僕はっ、いつ、彼女と、出会った、んだ?」

 そのことに、気づいた瞬間、様々な疑問がわき出てくる。

 なぜ、僕は5時55分で寝てしまう?

 なぜ、僕は病院で診察を受けたと勘違いをした?

 なぜ、ドレッドの言葉に疑問に思わなかった?


 そして――なぜ、連載が打ち切りになったあの日、何故、5時55分から先を思い出せない?


 吐いた。床がどんどん赤くなる。痙攣がひどくなる。背筋を凍てつかせる恐怖。

 ああ、本能が理解する。これは死の気配だ。

「いや、だ。いやだ!いやだ!」

 ひた、ひたと一歩一歩近づいてくるのが肌で感じる。

「……いやだ、死にたくない。まだ、死にたくない」

 這いながら、何かに逃げるように移動する。

 気がついたらTVの前にいた。テレビをつける。ノイズが強くなった。

 気づく。この耳ざわりな雑音の元はこのテレビからだ。テレビのノイズ音、そしてビデオデッキの回る音がやけに大きく聞こえる。

『おとーさーん!撮れてる~?』

 砂嵐の風景の中、舌っ足らずの声、間違いない。

 ノイズ混じりの風景の中、仮面ライダーのお面を被ったあの少年がこちらに手を振っている

『おー、とれているぞ。じゃあ、続きとるぞ。仮面ライダーRX第3話からだ!』

 はーい、と少年が答える。どうやら、息子の仮面ライダーごっこにお父さんが付き合っているらしい。手を振りながら、少年はカメラに近づき…

『いくぞ!ショッカー! ライダーキーーーック』

『ごふぅ』

 画面が大きくぶれ、お父さんが呻く。

『おとーさん、大丈夫』

 少年が慌てて、仮面を取る。そこに映っている顔は……

「……冗談、だろ?」

 TVの音声、それは、あの少年の声だ。なのに…・・・この顔は、間違いなく――

『だ、大丈夫だ』

『ご、ごめんね。ごめんね!』

 そういって、父親は少年の頭をなでる。

『ほら、泣くな。じゃあもう一回、撮るぞ-ー奈緒』

 その瞬間、カチリ、と時計の針が動いた。

 ――6時00分、世界が、本格的に狂いだした。


きゅるきゅるきゅるきゅるきゅる!!!


 世界が叫び声を上げる。

 この音が何か、解る。ビデオを巻き戻す音だ。

 時計が逆回転を開始する。机の上のコップが、勝手に食器棚に戻り、外で降り注ぐ雨が天へと落ちていく。

「ドレ…ッド、君が言って、いたのはこのことか」

 僕は、理解する。これが、この世界の謎なのだと

「え? せんせ?何で?」

 奈緒の声がする。どうやら、目を覚ましたようだ。

 感覚の無い体を捻り何とか、彼女の方へ振り向く。

「な、お」

 そこには、この異常な空間に染まることに無く、いつもと変わらず『そこ』にいる。

 いや、違う。気づいた。気づいていしまった。彼女が、彼女こそが世界の中心。すべてが逆流するこの世界で、 染まること無く、混じること無く、支配下に置く孤独な王だということに……

「せんせ、え?なんでせんせが起きているのですか」

 だが、その世界の中心であるはずの彼女が、困惑している。

 僕の傍に、いや、ビデオデッキに駆け寄り、両手を当てる。

「やだ! 制御できない。 なんで!」

 振り返った彼女の顔は絶望に染まっている。

「せんせ! しっかりしてください! このままじゃ、死んじゃいます!」

 そう、言われてもこの状況で寝られるはずが無い。

 もう、指一本動かない。ゆっくりと、睡魔が近づいてくる。本能的に悟る、この眠気に負けた瞬間、 僕が目覚めることは無い、と。だが、あがなうすべが無い。瞼が、ゆっくり落ちてきて……

「いや、いやあああああああああああああああああああ」

 奈緒が叫び声を、耳に僕の意識は闇へと落ちていった。




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 ――走馬灯のように、『あの日』のことを思い出す。

 きゅるぎゅる、




 ――そうだ、あの日、人生のすべてを失ったあの日、僕は……

 ぎゅるるる、


「よーやく、思い出したか。 ちょーっち遅ぇぜ。 せんせ」

 きゅる、ぎゅ、ぎゅるるるる、るる


「……そろそろ、彼女も限界か。 時間はもう、無いぜ?」

 きゅるきゅる……カチリ



「……さあ、先生。選択の時だ」



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