ロボットアニメ哲学 イデの意志って?
結構前に、YouTubeでイデオンの劇場版をやっていた。
見ていた友達が一言。
「わけわからん」
んー。
まぁそうなるか。
と思ってネットを見たら概ね、
・イデは負の感情を増幅させる
・最終的にイデが暴走、或いは人類が見放された
・だから、ああいう結末になった
という感じで、説明されてるっぽい。
……それ、おかしくない?
という訳で、筆者なりの見解を述べてみる。
●イデ=無限力のおさらい
かつて栄えた第六文明人が生み出した、感情を元にするエネルギー。
取り分けプリミティブな感情、つまり剥き出しの生存本能ほど、エネルギーとして強くなる傾向にある。
しかし実験の失敗により、第六文明人数億人が取り込まれ。
エネルギーかつ集合意識、という存在になった。
少なくとも、何らかの意志を持っていて自発的に。
矛盾している様にも見える、不可解な介入を行う。
知的生命体の精神領域を、自らの生活の場としているらしい。
融合時に自身の感情が弱く、或いはなくなったらしく、自身ではエネルギーを捻出できない。
次元・事象を越える力を持つ。
例えば設定によるとイデオンソードは、相手に絶対破壊される因果をもたらす、とある。
●イデオンのラストのおさらい
戦いの中から、イデの性質を理解しつつあった、主人公陣営は。
胎内の赤子=メシアに、イデが強い関心を抱いていると確信。
メシアを前面に出す事で、イデの力を利用しようとする。
しかしアテが外れて、メシアはイデに守られる事なく死亡。
しかもバリアの出力も、想定程に上がらず、イデオンも大苦戦。
最後には「その時、イデが発動した」と。
戦争していた地球人と異星人を含む、宇宙そのものが消滅。
争っていた人々は、魂となって和解。
メシアに導かれ、争いのない新たな宇宙への旅に出る。
●暴走・絶望論とラストの矛盾
まぁ確かに、視聴者の視点では。
地球人ことロゴ・ダウと、異星人ことバッフ・クランが。
種族間闘争をしていたら、イデに裏切られて、突然両陣営全滅に見える。
なのでイデは暴走したとか、争いを続ける人類を見限った審判だとか。
そういう理解になるのも、全くわからない訳ではないが。
その理解の場合、明らかに矛盾する事がある。
それは魂の描写だ。
最後は穏やかな表情で魂が、新しい宇宙に飛び立つ。
どう見ても、救済や希望のエンディングだ。
もし、破綻や制裁等のエンディングだったなら。
漫画版マーズのラストの様に、無慈悲に全てが消え去った、でないとおかしい。
メタ的にも、かの「全殺しの富野」ともあろうお方が。
バランスを取る為に、日和って救いの手を差し伸べた、とも思えない。
ならアレは意図的な演出だろう。
●イデの意志という視点
ここで理解しなければならないのは。
実は盤面のプレイヤーは、地球人と異星人以外にも居た事だ。
即ち、イデ=第六文明人の意志の存在だ。
知的生命体の精神領域に、彼らは存在するらしい。
要は宿主に依存する、寄生生物の構造に近しい。
なら、両陣営による種族間闘争は、とても看過できない。
片方の種族の全滅は、生活圏の減少の直接リスクとなってしまうからだ。
つまり、地球人VS異星人の生き残り競争、という構図は正しくなく。
地球人VS異星人VS第六文明人の生き残り競争、という三つ巴だった訳だ。
地球人と異星人は、互いを滅ぼすという行動原理を持つが。
第六文明人は、安定を求めるという別軸の行動原理を持っている。
こうやって整理すれば、矛盾に見えたイデの介入も、途端に整合的になる。
●一直線の生存戦略
序盤イデは、ソロ・シップクルーとイデオンに、手を貸す。
コレは、自分の家が破壊される、という危機に対しての対処だ。
全く疑う余地のない整合的な戦略だ。
都度メシアを守るのも当然だ。
戦略シミュレーションゲームで、収入源となる地域の防衛優先度が高いのと同じで。
生存本能と直結した、プリミティブな感情は。
イデにとって、効率のいいエネルギー源・リソースとなる。
では最後に何故、メシアとイデオンは見放されて、地球人と異星人は全滅したのか。
コレではイデは家を丸ごと失い、無収入になっただけではないか。
実はイデの視点では、問題となってない。
最後、両陣営が最終戦争に臨んだ事で、盤面に大きな変化が訪れた。
生存本能というイデを最も動かす感情が、戦場中に溢れ返ったのだ。
もはやこの段階では、メシアやイデオンという、個に拘る必要がない。
イデは次元や事象に介入できるので、リソースさえ十分なら。
理想的な環境=ラストの争いのない新たな宇宙、を創造できるのだ。
このゴールに手が届いた時点で、メシアやイデオンの死は。
イデにとって、遅い早いの違い、でしかなくなっている。
メシアへの肩入れも、加護の取り上げも、矛盾はない。
イデの発動とは、争いを続ける人類への、最終審判でもない。
全ては、第六文明人が安定して存在できる、環境構築の為のプレイングだ。
要はカードゲームで、通常の勝敗以外の勝利条件を満たした感じだ。
チーム戦で夢中で殴り合ってたら、別プレイヤーがエグゾディアを完成した訳だ。
●イデは優しい?
なら、こういう疑問も湧くのではないか。
わざと拮抗する様に、地球側に肩入れしたものの。
エネルギーの目処がついた時点で、用済みと切り捨てた。
即ち、捨て石、駒として地球人を扱ったのかだ。
コレは多分違うと思う。
もしイデが人類を、ただのエネルギー源と見做しているなら。
新宇宙を争いのない世界になんて、する訳がないからだ。
そのつもりなら、コントロール可能な範囲で争わせ続け。
永遠にエネルギーを搾取すればよかっただけだ。
イデの目的は安定であって、過度な発展ではないのがわかる。
また、転生する魂からも分かる事がある。
死ぬ前は把握していなかった事を、色々と理解しているし。
悟った様に落ち着いている様子だ。
イデの意志を理解したらしいが。
その意志は人の身でも十分に、納得できるものだったんだろう。
そういう所からも、筆者はイデの意志=安定説を推している。
いかがだっただろうか。
第六文明人自体は、神ではないのだから。
当たり前の生存戦略を取ったとしても、なんらおかしくはないだろう。
逆に負の感情を増幅するなら。
最後に救いが訪れるのはおかしいし。
救済だけが目的なら、見捨てる選択はおかしい。
それが主体的なプレイヤー説の提唱理由だ。
筆者はこう思うというだけで。
これが正解である、という保証は別にない。
ただ、巷に溢れる、イデは超常的かつ理解しがたい、という論は。
あまりに思考停止したものではないか、とも思う。
少なくともこの様に、十分な説明を付ける事はできる。




