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その人にとって大切な音楽

作者: 山中 千
掲載日:2026/05/13

無名バンドマンの馬場響は、ふとしたときに大切な音楽と出逢った。過去の後悔や現在の歯痒い思いをバネに、彼は彼なりの道を真っ直ぐに突き進む。


スピッツさんの「美しい鰭」「チェリー」「桃」「恋する凡人」という曲を少し引用しています。一応、著作権について調べました。ご了承をお願いします。

   その人にとって大切な音楽


 馬場響が心を折るような絶望をもっている時に、たまたま映画館へ足を運んだのだが、そこで身を任せるような音楽と出逢った。某国民的アニメ映画のエンドロールで流れた曲、スピッツの『美しい鰭』だった。ゆるい明るさのイントロから始まり、ボーカルの草野さんの個性的な言葉選びに、響は曲に夢中になっていった。サビが流れたときには膝から崩れ落ちる心持ちになった。


~流れるまんま 流されたら~

抗おうか 美しい鰭で~

壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように~


 響は鰭をヒレと読むことはできなかった。音でヒレだと読めた時に、自分にも現状に抗うための鰭はあるのだろうかと考えることになった。曲が流れている時間だけは、これから何か見つけられるかもしれないとメロディーに乗って思うことができた。


 響がもっている絶望は、持続性の部分が厄介な種類のものだった。絶望はその時に居座っている絶望ではなくて、これからも永続的に続くかもしれない、そしてより巨大な絶望に直面するかもしれないと思わせるものだった。それが、響を疲弊させる一番の原因だった。粘着性のある負の思考がはびこって、拭いとることができなかったのだ。

 映画館へたまたま足を運ぶことになった理由は、同い年の女の子だった。地毛に少し茶色が混じり、背丈と顔のパーツは小さめで、仔犬を連想させるような女の子だった。彼女は末っ子で、一般的な末っ子の女の子といえばわがままであったり自己主張が強かったりという印象があったのだが、その子はとても大人しかった。それは響の前だからそうなっているのか、元々そういう性格なのかは響視点からは判断ができなかった。映画を観る日にも、お昼ご飯なに食べたい?と響が聞くと、うーんと黙り込んでしまう。そこまでは響にも理解があって、ショッピングモール内の学生が入りやすい飲食店を三つぐらい提示したとしても、うーんと黙り込んでしまうのだ。


 これらは、響の高校二年生のときの苦い思い出だった。脈絡もなく当時のときのことを思い出しては、胸が苦しくなる時があるのだった。気持ちがいいぐらい晴れて薄着で散歩をしているときや、平日にサウナへ行って外気浴をしているときに、よりにもよって後悔をするのだった。何度も何度もリピートをしていると、傷は治癒させてはいくのだが、それでも完治をするというものではなかった。彼女はやさしくて、好意を持って接してくれたのだった。響はそれに向き合うことをせず、ただ自身の中でぐるぐるとぐるぐると回っていたのだ。



 馬場響が過去を思い返して、おもわず叫びたくなるような羞恥心に駆られる出来事は山のようにあった。高校二年生の映画館デートをした子のことなんかは、響にとっては氷山の一角に過ぎない。あることを思い出しては傷つき、一度傷ついた箇所はもう一度思い出すと軽減されているのだが、それによって今までは思い出していない箇所を引き連れてきたり、より詳細な個所が気になったりするのだった。しかし、響には忘却する術も持っていた。これは意識的に排除するといったテクニック的なものではなく、本能的に触れてしまってはいけないと無意識のうちに察知しているような防衛線みたいなものだった。防衛線を張り巡らせるところの数少ない一つには、高校二年生のときに飼っていた絶望を抜けだした後の期間のことがあった。当時の絶望を抜けだしたという爽快感が、並々ならぬ無謀な疾走感へとかわり、あまりにも痛々しいことになったのだった。


 馬場響は現在、カラオケ店の店員として勤務している。響は昔から不器用で自己中心的な性格から当初はかなり躓いた。また働くこと自体経験がないことだったので、とてつもない程の世間知らずだったのだ。失敗をして叱られ、叱られて反省するどころか逆ギレをしてこれまで過ごしてきたが、勤務しているカラオケ店を欠勤することはなかった。どれだけ周囲に冷笑の対象にされたとしても、場を離れるということはなかったのだ。これは自己中心的な人物に垣間見られる唯一の美点といってもよかった。こう考えては響自身、苦笑してしまうが……。


 先週末に、とあるカラオケボックスの一室からスピッツの『チェリー』が流れた。休日の夜ということもあり、店内に設置されたカラオケボックスは満室に近い状態で、どのカラオケボックスか、誰が歌っているのか、響は判断できなかった。歌い手は泥酔といってもいいぐらいの滑舌であったし、カラオケで定番とされた幅広く愛される一曲であったが、響も同様この曲を愛していた。

 太陽光を全身に浴びた穏やかな午後に自転車に乗っているようなメロディーに、その裏腹陰鬱ともいえる詩。そして、全てを覆すようなストレートなサビ。どこを切り取っても美しい曲だ、と響は感じていた。


~ズルしても真面目にも生きていける気がしたよ~


 曲の終盤に出てくるこのフレーズが、響の心に深く突き刺さるのだった。


 この日はアルバイトからの帰り道、今まで何度も聴いたスピッツの『チェリー』を有線のイヤホンから耳の穴から再生させた。意識が途切れ途切れになることや信号機に注意したために、音楽に神経が集中できない状況ではあったが、それでもいい曲だ、と響は思った。

 響は考え事をしていたのだった。カラオケボックスから漏れる音は、自分の厭な過去に重なる部分があると考えていた。カラオケボックスは防音を謳い、馬場響の高校卒業後の過去は予防線を謳っている。しかし、どちらも漏れるのだ。響自身、当時の事を克明には思い出すことは出来なくなっているのだが、とあるシーンやとあるシーンというのが脳裏にちらつくことがあるのだ。大都会の駅で自分の気持ちが先行させ過ぎた暴力的な歌詞と不快極まりない爆音のメロディーを歌い、強制的に止められたこと。歌うため街を転々としていた道中財布を盗まれて、ホームレスたちと並んで夜を明かしたこと。どうにもならないような虚無感に駆られて、どこをどう歩いたのかわからない歩みから両親に捜索願を出されて、連れ戻されたこと。

 これらの事は予防線の力でこれ以上先にはいけないのだが、不健全さは顔のニキビに現れている。今現在の馬場響のニキビ跡は、皮膚科へ相談に行っても治らないと言われるほどに、古傷のように刻まれている。


 人と人の関係は、刹那と呼べるほど短い時間であっても、付き合ってゆくと呼べるほど長い時間であっても運の要素が介入する。良好な関係であろうと誠意や感謝と尽くしても、どうにもならないことがあるのだ。というのも、響は今日の迷惑客に行き場のない思いを抱くことになったのだった。二十時を回った頃、男四人と女二人で入店して来た団体客だった。学生と判断できるほど若く、服装は某スポーツメーカのブランドのものや、だるっと着られるスエットなどであった。女の一人は化粧が濃く人の顔としては不自然な色づかいで、もう一人は眉毛を細くしすぎて目つきが悪い印象だった。その集団は、周囲の人が見えていないような振る舞いで騒音をまき散らし、その態度そのものに誇りを持っているとでも言いたげな様子だった。

 響が対応をして店内のカラオケボックスへの手続きを進めたのだが、その際も店員に向けるような言葉として不適切なものばかりだった。それはあまりにも稚拙なもので、お引き取りを願いたかったのだが、十八歳未満の利用は二十二時までという目安が青少年保護育成条例で決められているので、口出しできなかった。


 二十一時頃に、先程の集団客の爆発的な笑い声が聞こえ、その内一人が会計を払った。自動改札機の前に一人でやってきた男は、その集団の中では最も背が低く、気が弱そうだった。どれだけ服装や周囲の人間で自分を威圧的に見せようが、気の弱さが透けてみえるような男だった。会計が終わってからしばらくすると、集団の全員が走って店を出た。とんずらという言葉が良く似合う様子だった。その内の別の一人が、うぇきもちわりぃ、と漏らしていた。

 部屋の中を確認しにいくと、やはりそこには嘔吐物があった。しかも、ソファー席に吐いていて、隙間の部分に染み込んでいる状態であった。酒と煙草の匂いもきつく、響はおもわず、ぐったりとしたため息をついた。

 今まで嘔吐物の対応も何度もしてきたので、その反復と、匂いもできる範囲で対応した。その上で、この状態の部屋でも営業するに使用していいものか、また清掃面において他に対応があるのかというのを社員のものに報告を入れた。



 馬場響はスピッツの『桃』を聴いて帰った。響の耳には、調子の波というのがあって、夜勤明けの今朝の耳は高性能なものであった。ベース音、ギター音、ドラム音、ボーカルの歌声の高低差と歌詞の意味が同時並行で、体の奥底にするりと丸め込まれて入る感触である。響は、この感触をあるとき不意に見出しては、捉えられたり捉えきれなかったりする。明け方、換気された直後の清々しい空気の中で、馬場響はその感触を捉えることができたのだった。この感触は気まぐれなものではあるが、散々な目にあった日のあったときに微笑むことが多かった。

 それを持ち合わせてもなお、『桃』は手の届かない曲の存在感だった。どこからどのように解釈という手を加えればよいのかわからない独特の浮遊感がある曲だった。人間の官能の部分を示唆しているのかとも思っていたが、それも定かではない。不思議は、響にとって最も喜ばしいことだった。響は休日、小説や映画、ドラマに、漫画・アニメと観て過ごすことが多いのだが、わからないという感覚を大切にしていた。簡単にわかるものに価値を感じず、わからないものを無理矢理考えたり、いい部分はないかと目を光らせたり、フィーリングとして感じるというのが響の創作物に対しての向き合い方だった。

 『桃』の次は『恋する凡人』という曲を聴いた。スピッツのライブで盛り上がると噂の曲。


~走るんだどしゃ降りの中を〜

ロックンロールの微熱の中を〜

定まっている道などなく

雑草を踏み締めて行く

これ以上は歌詞にできない〜


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