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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

惨め割

作者: 村崎羯諦
掲載日:2026/05/04

『自分から惨めさを申告するだけで、こんなにお得になるのか』


 いつも通ってるスーパーの入り口。そこに掲示されていた新しいポスターの前で、僕は思わず立ち止まってしまう。なんでもそのポスターによると、お会計の際、どれだけ自分が惨めであるのかを具体的なエピソードを申告するだけで、最大で半額の割引が適用されるとのことだった。ポスターはあちこちに貼られており、おふざけにしては少し手が込んでいた。そんなものもあるのかと半信半疑のまま僕はいつも通り買い物を続けていく。


「お買い上げありがとうございます。合計で6439円になります」


 いつものように電子マネーでの支払いを伝える。しかし、決済のタイミング、自分のスマホにて今月の支払い上限に達しましたというエラーが表示される。他のことに気を取られすぎて、今月の支払い上限のことをすっかり忘れていた。


 エラーですが、どうしましょう。店員さんが遠慮がちに伝えてくるが、あいにく現金も持ち合わせていない。後ろには客も並んでいる。慌てふためいた僕は、何か他の支払い手段がないかと必死に考えながらも、まるで周囲に言い訳するように話し始める。


「えっと……。もちろんいつもは大丈夫なんですが、ここ最近出費が増えちゃってて、キャシング枠とかフルで使ってしまってるんです。物価高なのに給料も増えず、どうしても生活に余裕がなくて……」


 そんな僕の事情なんて店には関係がない。だけど、僕の言葉に対し店員さんは、であれば問題ありませんと表情を和らげる。驚く僕に対して、店員さんが言葉を続ける。


「でしたら、惨め割が使えるので割引しておきますね。今のエピソードだと30%の割引が適用されます」


 そう言ってレジを操作し、表示される合計金額がぐっと小さくなる。そして、もう一度店員が電子決済用の画面を読み込むと、今度はギリギリ上限内に収まったのか、きちんと支払いが完了してくれた。


 またのお越しをお待ちしています。店員さんの笑顔に見送られながら、僕は狐につままれたような気持ちで、袋詰めスペースへと歩いていくのだった。



 それからというもの、惨め割という言葉はあらゆる場所で見かけるようになった。スーパー、コンビニ、服屋、美容院、ありとあらゆるお店でその割引制度が導入されていた。


 いくらお得だからとはいえ、自分が惨めですと自己申告することに抵抗があった。それでも、お会計の際に伝えられる金額を前にするたびに、僕はそれが当たり前かのように自分の惨めさを打ち明けていた。


「昔から人付き合いが苦手なんです。なので友達もいなくて、誕生日やお正月も、友達登録した企業やお店からしかメッセージが来ません」

「ありがとうございます。20%の割引を適用させていただきます」


 惨めさを自己申告するたびに自分の中の何かがすり減っていく感じがした。だけど、生活に余裕はなかったし、高い割引率を前にしてはそんなことも言っていられなかった。たまに僕と同じように、恥と情けなさで顔を真っ赤にさせながら自分の惨めさを申告している人を見かけると、安心感と同族嫌悪で感情がぐちゃぐちゃになった。


「仕事が全然できません。複雑な業務は当然できないし、誰でもできるような単純作業でもうっかりミスばかりをして毎日怒られたり、周りに迷惑をかけています。学生時代は勉強だけはできたので、それなりの大学を卒業しているんですが、あの大学を出ているのに何でこんなこともできないのと、毎日みんなから笑われています」

「ご利用ありがとうございます。10%の割り引きを適用させていただきます」


 変化は、少しずつだった。


 初めのうちは、自分の惨めさに目を向けるのは、レジの前で惨め割を使う時だけだった。だが、そのうち普段の生活の中でも、自分の惨めな部分ばかりを意識するようになった。


 仕事で小さなミスをしたとき。昼休みに誰とも話さず席で弁当を食べているとき。夜、スマホを開いても誰からも連絡が来ていないことを確認したとき。そのたびに、これは次に話せるかもしれない、と思ってしまう。


 そのことに気がついた瞬間、自分の中に残っていた普通の感情が、少しだけ汚れたような気がした。


「休日に、誰とも話さないまま一日が終わることが増えました。最初は静かでいいと思ってたんですけど、最近は夜になると、自分がその日一度も声を出していないことに気づいて、わざと咳をしたりします」

「ご利用ありがとうございます。20%の割引となります」


 夜、布団に入っても眠れない日が増えた。暗い部屋の中で、今日話したことを何度も思い返す。レジの前で自分が口にした言葉が、後からゆっくり戻ってくる。


 仕事ができない。友達がいない。会社で必要とされていない。生活に余裕がない。将来が見えない。


 一つ一つは、以前から自分の中にあったものだった。けれど、それを何度も人に話して、割引という形で返されるうちに、それらはただの悩みではなく、僕自身を説明するための項目のようになっていた。僕は、そういう人間なのだと思うようになった。


「惨め割はご利用されますか?」


 以前なら、自分から言い出す必要があった。けれどいつの間にか、店員の方から確認してくれるようになっていた。


「最近、自分がこの先もずっとこのままなんだろうなと思うようになりました。何か大きな不幸があるわけじゃないんですけど、良くなる材料も特にないんです。借金も少しずつ増えていて、仕事もできなくて、人とのつながりもない。自分でどうにかするしかないことばかりなんですが、どうにかできないまま、ここまで来てしまった感じです」

「ありがとうございます。15%の割引を適用させていただきます」


 いつもの言葉だった。


 それを聞いた瞬間、なぜかもう駄目だと思った。



 気がつくと深夜で、僕は河川にかかる橋の真ん中に立ち、手すりに手をかけながら、真っ黒な水面をじっと見下ろしていた。


 足元には15%の割引が適用された買い物の品が、レジ袋に入れられたままの状態で横倒しに置かれていた。夜の街は、思っていたより明るく、遠くでは車の音がして、どこかの店の看板がまだ光っているのが遠目からでも見えた。自分がいなくなっても、世界は続いていく。まるでそう世界が自分に伝えているようだった。


 僕はポケットの中のレシートを取り出した。そして、合計金額の上に印字された割引率を見て、自分自身の惨めさをもういちど確かめる。


「惨めなまま生きることができる人もいるとは思うんですが、それはきっと、人の繋がりとか自分を肯定できる何かを持っている人なんだと思います。だけど、僕はそれがない。惨めなまま生きていけるほど、強くないんです」


 僕はいつものように、惨め割を使う時と同じように自分語りをする。もちろん僕の告白を聞いてくれる店員さんはいない。僕は目を閉じる。そして、ゆっくりと身体を川の方へと倒していくのだった。

「それでは、数年前から導入を進めていた、通称『惨め割制度』の社会的効果についての報告を始めます」


 とある省庁の会議室。コンサルタントが長い机を囲むように座っていた省庁職員、政治家に対してそう告げた。正面のスクリーンには、『惨め割の効果検証』というタイトルが映し出されている。


「まず、目的のおさらいから。惨め割制度の目的は、主観的劣位状態を繰り返し他者に自己申告させることで、自身の自己否定感を増強させることにありました。自己否定感を増強させることを通じて、自らの劣位状況は社会が原因なんだとみなす他責思考から、自分が原因なんだという自責思考へと転換させます。


 それによって、他害活動が抑止され治安が向上する、さらに早期的な自死が発生した場合には、その人物に対して将来的に支給される予定だった社会保険の節約につながることが期待できます。ここまでは問題ないでしょうか?」


 参加者が頷く。


「実際にこの制度を導入した効果はこのような形になりました。制度運用にかかった費用、虚偽申告などによって生じた損失を総コストとしたうえで、事件発生の減少率、自死件数から、節約できた治安維持費用や社会保険料を算出しました。結果はこの通り、少なく見積もっても、XX億円の支出削減が実現できたと思われます」


 スライドに映し出された数字にその場にいた参加者が驚きの声をあげ、コンサルタントはその反応を見て満足げに微笑む。そして、参加者の一人がぽつりとこう呟くのだった。


「自分から惨めさを申告させるだけで、こんなにお得になるのか」

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