1 兄の影、天才の目覚め
大河に釣られて久しぶりに。。
「小一郎、お前だけが頼りだ! このままじゃ俺は切腹、お前は路頭に迷うことになるんだぞ!」
永禄九年、美濃国・墨俣。
泥まみれの藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、俺の袖を掴んでブンブンと振り回している。
視線の先には、斎藤軍の猛攻によって無残に破壊された「砦の残骸」があった。すでに二度の築城失敗。織田家の宿老たちが匙を投げたこの難所に、兄貴は「一夜で城を造ってみせる」と大口を叩いて乗り込んだのだ。
「……兄貴、落ち着け。計算はもう終わってる。木材の規格化と、上流でのプレハブ工法……いや、『先行組み上げ』をすれば物理的には可能だ」
俺、木下小一郎(後の豊臣秀長)は、溜息をつきながら手元の算盤と図面を叩く。
俺には、前世の記憶があるわけじゃない。ただ、幼い頃からなぜか「数字」と「流れ」が視えるのだ。
どの程度の材木があれば強度が保てるか。何人の人足がどう動けば、最短の動線で資材が運べるか。
俺にとって、この乱世は「あまりに非効率で、計算の合わない」パズルのように見えていた。
「よし、野武士連中を集めろ。ここからは『根性』じゃなく『工程表』で動かす」
俺が冷徹に指示を出し始めた、その時だった。
嵐の予感
「……ほう。面白いことを抜かすではないか」
背後から響いたのは、鼓膜を突き刺すような、それでいて鈴を転がすように澄んだ「死の気配」を孕んだ声だった。
振り返ると、そこには漆黒の馬に跨り、南蛮仕立ての外套を翻す男が立っていた。
織田弾正忠信長。
この尾張の主は、護衛も連れず、ただ数騎の供回りだけでこの最前線に現れたのだ。
「う、うえ、上様ぁ!?」
兄貴がカエルのようにひっくり返る。
信長様は兄貴など目もくれず、俺が地面に描いていた「資材搬入のフローチャート」をじっと見つめた。
「貴様。名を何と申す」
「……藤吉郎が弟、小一郎にございます」
「小一郎か。この図面は何だ? なぜ、川の流れに対して斜めに材木を並べている」
「それは、流体抵抗を減らしつつ、接岸時の衝撃を……ええい、つまり、川の力を利用して勝手に木材が岸に上がるように計算しております」
俺は、このカリスマを前にしても、計算が狂うことの方が怖かった。
信長様は、馬から飛び降りると、俺の描いた図面を軍靴で踏まにじり、ニヤリと笑った。
「藤吉郎。貴様は『一夜で城を造る』と言ったな」
「は、はいぃ! もちろんにございます!」
「嘘をつけ。……実際に造るのは、この弟の方だ」
信長様の鋭い眼光が、俺の脳髄を射抜く。
「小一郎と言ったな。貴様の目は、戦場を見ておらぬ。その先にある『国家の帳尻』を見ておるな。……気に入った。藤吉郎、この弟を俺に寄越せ」
「え? ……えええええええええ!?」
兄貴の絶叫が墨俣の空に響き渡る。
「上様! 小一郎は俺の右腕、いや、俺の脳みそなんです! こいつがいないと、俺はただの猿になっちまいます!」
「黙れ。貴様には、その『猿』としての度胸と愛嬌がある。だが、この小一郎には、俺が求める『新しい世の仕組み』を創る才能がある」
信長様は俺の肩を掴み、強引に引き寄せた。
その手は驚くほど熱く、そして強引だった。
「小一郎。藤吉郎の与力(部下)ではない。俺の直臣として、まずは織田家の全軍備の『在庫管理』と『兵站の最適化』を命ずる。……異論は認めぬ」
こうして、俺の「天下の補佐役(兄専用)」という予定されていたルートは、音を立てて崩壊した。
目の前には、戦国最強にして最恐の独裁者。
そして俺に与えられたのは、槍ではなく、膨大な量の「未決済の書類」と「狂った予算」だった。
「……はぁ。計算通りにいかないのが人生、ってか。……承知いたしました、信長様。その代わり、俺のやり方に口出しはさせませんよ?」
「ハハハ! 抜かせ! やってみせろ!」
これが、後に「織田家の魔術師」と呼ばれ、日本のみならず大陸までをも経済で支配することになる男、木下小一郎の第一歩だった。




