第2話
奥のボックス席に通された。
大輔が先に滑り込み、我が物顔で足を広げる。
和也は静かに座り、誰も見ていないのにネクタイを整えた。
俺は壁を背にする席を選ぶ。
癖は抜けない。
店員が来る前に、大輔が言った。
「ビール三つ。焼き鳥適当に」
注文はそれで終わりらしい。
「ほらな。まだホスト役は忘れてない」
「威張るのは昔からだ」
和也が小さく笑う。
「変わらないな」
ビールが運ばれてくる。
グラスを持ち上げる。
「で、何に乾杯する?」大輔が言う。
和也が俺を見る。
「帰ってきたことに」
一瞬、間があった。
「……昔なじみに」
グラスが触れ合う。
泡が少しこぼれた。
飲み込む。
沈黙が落ちる。
気まずくはない。ただ、慣れていないだけだ。
十年は長い。
最初に崩すのは、やっぱり大輔だった。
「で? 何があった。ある日突然“もういいや”ってなったのか?」
「そんなところだ」
和也が身を乗り出す。
「本当に戻ってきたのか? 一時的じゃなくて」
「今のところは」
和也はそれ以上聞かない。
聞きたいことは顔に出ていたが。
「意味わかんねえよ」大輔が言う。
「お前、成功してたじゃん。それが今さらこの町か?」
すぐには答えなかった。
店内の音が間を埋める。
笑い声。皿の触れ合う音。焼き台の脂が弾ける音。
「……無理だった」
それだけ言う。
和也はゆっくり頷く。
分かったふうではない。ただ、追わない。
「今は何してんだ?」
「英会話」
二人とも止まる。
「は?」
「英会話教室。子どもとか主婦相手に」
一拍。
「マジかよ」
大輔が笑う。
「人生、急カーブすぎだろ」
「俺もそう思う」
「なんでだよ」
肩をすくめる。
「楽だ。責任が軽い。失敗しても誰も死なない」
言ったあと、店の音が一瞬だけ遠くなった気がした。
和也の声は柔らかい。
「……静かだな」
「退屈とも言う」
否定はしない。
焼き鳥と揚げ出し豆腐が運ばれてくる。
しばらくは、箸の音だけ。
聞きたいことがあるときの沈黙だ。
やがて、和也が言う。
「家のほうは……どうなんだ」
皿から目を上げない。
薬指を無意識に触る。
「書類上は、まだ夫婦だ」
二人が止まる。
「二年別居してれば、ほぼ他人だ」
大輔が低く息を吐く。
「きついな」
「問題ない」
嘘だが、訂正もしない。
「花は?」
和也の声が少しだけ明るくなる。
「SNSでよく見てたろ。仲良さそうだった」
一拍。
「明日、こっちに来る」
二人の反応が一番大きかったのは、それだった。
「待て。義理の娘が? 一緒に住むのか?」
「ああ」
「……大丈夫なのか?」
「本人が望んだ。だから受けた」
理由はそれだけだ。
和也がビールを見つめる。
「それって、信頼されてるってことだろ」
答えない。
信頼か、逃げ場か。
まだ分からない。
大輔が鼻で笑う。
「反抗期だろ。ガキは家出したがるもんだ」
「……かもな」
箸を止める。
「それか、大人でいるのに疲れたか」
誰も笑わなかった。
追加のビールが来る。
話題は自然に逸れた。
高校の頃の馬鹿話。
誰がどこで失敗したか。
どうでもいいことばかり。
和也は子どもの話を長くした。
俺は相槌を打つ。
昔は俺にも、話せる未来があった。
今は聞く側だ。
大輔は相変わらず女の話しかしない。
やがて和也が時計を見る。
「そろそろ帰らないとな。うち、色々あるから」
誰も詳しくは聞かない。
上着を羽織り、テーブルに手を置く。
「戻ってきてくれてよかった。本当に。重くなったら、連絡しろ」
「分かった」
言葉だけは。
外に出て、和也が夜に溶けるのを見送る。
大輔が横目で言う。
「本気で一緒に住むのか?」
ビールの味が薄くなる。
「夏の間だけだ。向こう、ずっと揉めてた。
花は……俺たちのこと、見すぎた」
「母親の新しい男か」
「ああ。
あいつとも合わないらしい」
大輔は小さく息を吐いた。
「まあいい。今日は忘れろ。家族とか元嫁とか考え出したら、永遠に飲み屋から出られん」
立ち上がり、会計に向かう。
止めなかった。




