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推してもらうには近すぎる![改編]  作者: 塩田 樹
優しい世界へのログイン

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8/8

触れてしまった境界線



数日後。


夜の帳が下り、街の喧騒が少しずつ静まるころ。

美菜は自室のデスクに向かい、ヘッドセットを装着した。


モニターに映るのは、VTuber「みなみちゃん」としての自分。

現実の美容師・河北美菜とは切り離された、もうひとつの居場所だ。


「はーい、こんばんは~! みなみちゃんだよ~」


軽く手を振りながら挨拶すると、コメント欄が一気に流れ出す。


【待ってた!】

【今日もかわいい!】

【雑談枠助かる~】

【仕事終わりに癒し】


「ふふ、ありがとう。今日は久しぶりの雑談配信だよ~。最近ちょっとゲーム続きだったからね」


実際、ここしばらくはRPGの実況が中心だった。

王道RPG。物語を進め、キャラを育て、少しずつ世界が広がっていく――あの感覚が、美菜は好きだった。


(現実でも、レベル上げみたいな毎日だもんね)


美容師としての仕事も、VTuberとしての活動も、一朝一夕では成果は出ない。

だからこそ、積み重ねることに意味があると、美菜は知っている。


「今日はね、リスナーさんのお悩み相談をやっていこうと思いまーす。コメント拾っていくから、気軽に投げてね!」


【恋愛相談いいですか】

【人生相談でもOK?】

【仕事の悩み聞いてほしい】


「もちろん! なんでも来い~!」


そう言いながら、コメントをスクロールしていくと、ひとつの投稿が目に留まった。


【いま学校で好きな男の子がいるけど、向こうが意識してくれてるか分かりません】


「おお、王道の恋愛相談だね~」


美菜は少しだけ姿勢を正す。

恋愛。

自分にとって、決して縁がないわけではないが、得意とも言い切れない分野だ。


(でも……相談に乗るくらいなら、できるよね)


「うーん、好きな人かぁ……」


少し間を取る。

この“考えてる間”も、配信では大事な時間だ。


「人ってね、無意識の行動に気持ちが出やすいんだよ。」


【ほうほう】

【無意識】


「たとえば、好きな人のことって、気づいたら目で追っちゃってたりしない?」


そう言った瞬間、胸の奥がわずかにざわついた。


(……あ)


思い浮かんだのは、最近よく見てしまう横顔。

仕事中、黙々とカットしている時の瀬良。

鏡越しに、ふと視線を感じて顔を上げた時、目が合うこと。


(いやいや、今は相談、相談)


「だからね、もし『あれ? この人、よくこっち見てるな』って思うことがあったら、それはちょっと脈アリかも?」


コメント欄が一気に加速する。


【なるほど!】

【目線チェック大事】

【分かる気がする】


「もちろんね、好きすぎて逆に見れないタイプの人もいると思うんだけど……」


【それ!】

【それなんよ!】


「そういう場合でも、話しかけた時の反応とか、距離感とか。ちょっとしたところに気持ちって出ると思うんだよね」


美菜は、穏やかな声で続ける。


「声のトーンが変わったり、態度が柔らかくなったり……ほんの少しの変化」


それは、まるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。


(……瀬良くん、私と話す時、ちょっとだけ声低くなるよね?)


そんな考えが浮かび、慌てて頭を振る。


(違う違う。同期だから。仕事の話が多いから、真剣なだけ)


【めっちゃ参考になる】

【観察してみます!】


「うんうん。あんまり気負わずに、相手の反応を見てみてね!」


笑顔でそう締めくくり、次の相談へと進んだ。



***



その後も、進路の悩み、友人関係、自己肯定感の話――

いくつもの相談に答えているうちに、気づけば時計は午前0時を回っていた。


「そろそろお時間だね~」


【もうそんな時間!?】

【楽しかった】


「今日も来てくれてありがとう! みんな、無理せず、ちゃんと寝るんだよ~」


そう言って、いつもの締めの挨拶。


「それじゃあ、おやすみなさーい!」


配信終了のボタンを押し、画面が暗転する。


部屋に訪れる、静寂。


ヘッドセットを外し、椅子に深くもたれかかると、どっと疲れが押し寄せてきた。


「……ふぅ〜」


ベッドに倒れ込む。


(好きな人、か……)


さっきの相談が、頭の中で何度もリピートされる。


そして、意図せず浮かんでくる顔。


無表情で、何でもできちゃうのにどこか少し不器用で。

でも、誰よりも真面目で、努力家で。


(……瀬良くん)


「……違うってば」


小さく呟き、枕に顔をうずめる。


(同期だから。仕事仲間だから)


自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返す。


けれど、思い返せば――


仕事終わりに、並んで歩いた帰り道。

ゲームショップで見せた、ほんの少し楽しそうな横顔。

居酒屋で語られた、同期との距離の話。

自分の言葉を、静かに受け止めてくれたこと。


(……私、あの時すごく嬉しかった)


瀬良が「悪くない」と言った、その一言。

それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。


(あれ、なんで……?)


こんなふうに誰かの言葉を反芻するのは、久しぶりだった。


(気のせい、だよね)


そう結論づけようとする。

まだ、自分の気持ちに名前をつける勇気はない。


(明日も仕事だし、考えすぎるのはよくない)


そう思い、目を閉じる。


だが、その夜――

夢の中で、美菜はまた瀬良と並んで歩いていた。


無言なのに、居心地がよくて。

隣にいるのが、当たり前みたいで。


目が覚めた時、胸に残ったのは、言葉にできない違和感と、微かな期待。


(……本当に、気のせい?)


答えはまだ、出ない。


けれど確かに、彼の存在は、少しずつ、美菜の心に根を張り始めていた。



***



次の日。


目覚ましが鳴るよりも早く、美菜は目を覚ましていた。

というより――ほとんど眠れた気がしない。


(あー……)


天井を見つめたまま、ゆっくりと瞬きをする。

脳裏に、昨夜の夢の残滓がまだこびりついていた。


並んで歩く背中。

何も言わないのに、すぐ隣にある温度。

肩が触れそうで触れない距離。


(なんで……あんな夢……)


布団の中で身じろぎし、顔を両手で覆う。


(瀬良くん、ただの同期でしょ……!)


そう言い聞かせても、胸の奥がざわつく。

夢の中の感触や空気感が、妙に現実味を帯びていて、余計に始末が悪い。


結局、完全に気持ちが落ち着かないまま、支度を済ませて家を出た。



***



まだ客のいない静かな店内で、ハサミの音だけが規則正しく響いている。

いつもなら、この時間帯は心が落ち着く。

余計なことを考えず、ただ技術に集中できる貴重な時間だ。


――けれど、今日は違った。


(……集中、集中……)


ウィッグの髪を取り分け、角度を確認しながらハサミを入れる。

動き自体は、普段と変わらないはずなのに。


(……視線、感じる……)


ふと気づく。

瀬良が、こちらを見ているような気がした。


正確には、ちらちらと。

まるでタイミングを測るように、何度も。


(なんで……)


昨夜の夢が、嫌でも頭をよぎる。


瀬良が近くにいるだけで、距離感や息遣いを思い出してしまって、胸の奥が妙に熱くなる。


(だめだめだめ……!)


顔を上げられない。

目が合ったら、何を考えているか悟られそうで怖い。


そんな美菜の様子を、瀬良はしばらく黙って観察していた。


いつもなら、淡々と練習を進める美菜が、今日はどこか不自然だ。

ハサミを入れるタイミングが、ほんの少し遅れる。

呼吸が浅い。


「……お前」


低く抑えた声。


「何か悩んでるのか?」


その一言で、美菜の肩がびくりと跳ねた。


「ひゃっ……!」


(な、なに!? 今、顔赤くなってない!?)


心臓が一気に跳ね上がる。


(夢のこと? 気づいた? いや、無理無理無理!)


「べ、別に!? なんでもないよ!」


やや早口で答えると、瀬良は一瞬だけ眉を寄せた。


「……そうか」


それ以上は深掘りせず、視線をウィッグに戻す。

けれど、美菜の違和感は拭えない。


(……気のせいか?)


瀬良はハサミを動かしながら、横目で美菜を見る。


耳まで赤い。

しかも、無意識に距離を取っている。


(……熱でもあるのか?)


そう思いながらも、踏み込む理由が見つからず、瀬良は口を閉ざした。



***



やがて後輩たちが出勤し、店内は少しずつ賑やかさを取り戻していく。

朝練は終わり、オープン準備へ。


美菜はセット面の鏡を丁寧に拭いていた。

指先の動きは落ち着いているが、頭の中はまだざわついている。


「河北さん」


隣の席で同じように掃除をしていた田鶴屋晃が、穏やかな声で話しかけてきた。


「最近どうだ? 業績も上がってきてるし、仕事は楽しいか?」


田鶴屋は、誰に対してもフラットで、けれど要所をきちんと見ている人物だ。

店長としての厳しさと、人を安心させる包容力を併せ持っている。


美菜は手を止め、背筋を伸ばした。


「はい。楽しいです!」


迷いのない声。


「先輩方に教えてもらったことが、今すごく活きてるなって思います。……でも、まだまだ足りないところも多いので、もっと勉強したいです!」


謙虚でありながら、前向きな言葉。


田鶴屋は一瞬、目を丸くしたあと、ふっと笑った。


「いやぁ……頼もしくなったな」


そう言って、何の躊躇もなく、美菜の頭をがしがしと撫でる。


「わっ……!」


突然のことで驚いたものの、不思議と嫌な気はしなかった。

むしろ、純粋な労いと期待を感じる。


「店長、それセクハラって言われますよ~?」


冗談めかして言うと、田鶴屋は「ははは、気をつけます」と笑った。



***



――その様子を、受付カウンターから瀬良は見ていた。


状況は理解している。

店長が美菜を特別扱いしているわけではない。


信頼している後輩。

成長を認めている部下。


それだけだ。


(……分かってる)


分かっている、はずなのに。


胸の奥に、言葉にできない違和感が生まれる。


(……なんだよ、それ)


頭を撫でる手。

距離の近さ。


(……俺も、やってるだろ)


事実、自分も美菜の頭を撫でたことがある。


なのに。


(……なんか、違う)


理由は分からない。

ただ、気に入らなかった。


瀬良は無意識のうちに立ち上がり、二人の元へ歩いていた。


「店長」


「ん?」


「今日の予約の流れで、ちょっと確認したいことがあるんですけど。」


自然な口実だ。

田鶴屋は美菜から離れ、予約表を覗き込む。


「ここなんですけど……」


しばらく業務の話をした後、田鶴屋は「ありがとう」と言って受付に戻っていった。


その場に残されたのは、瀬良と美菜だけ。


一瞬、妙な沈黙が落ちる。


瀬良は、美菜の頭を見る。

さっき撫でられたせいで、髪が少し乱れている。


(……そのままなのも、なんか)


気に入らない。


考えるより先に、手が動いた。


「……っ」


美菜が小さく息を呑む。


瀬良は、無言で美菜の頭をくしゃっと撫でた。

さっきより、少しだけ強く。


「えっ……?」


目を丸くして見上げる美菜。


その反応に、瀬良は一瞬だけ視線を逸らす。


「……ばーか」


ぶっきらぼうに吐き捨てるように言いながら、指先で乱れた髪を軽く整える。


そして、何事もなかったかのように踵を返し、自分の持ち場へ戻っていった。



***



しばらくの間、美菜はその場から動けなかった。


(……なに、いまの……)


心臓の音がうるさい。


撫でられたところが、じんわりと熱を持っている気がして、思わず両手で頬を押さえる。


(なんで……急に……)


さっきまでのモヤモヤとは違う。

もっと直接的で、もっと厄介な感情。


瀬良の背中を見つめながら、美菜は小さく息を吸った。


(……私たち、ただの同期だよね?)


そう問いかけても、答えは出ない。


この日、二人ともまだ知らなかった。

この些細な違和感が、もう後戻りできない入口だったことを。


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