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推してもらうには近すぎる![改編]  作者: 塩田 樹
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6/8

仕事終わりの約束



朝の出来事を思い出さないようにするのは、思っていた以上に難しかった。


ハサミを持つ手に、ほんのわずかな熱が残っている気がして、

頭のてっぺんには、今もかすかに触れられた感覚が残っている。


(……だめだめ)


美菜は小さく息を吐き、意識を切り替えようとした。

今は仕事中だ。

朝練が終わり、営業前の慌ただしい時間。

ここで気を抜くわけにはいかない。


スタッフが一人、また一人と集まり、店内に人の気配が満ちていく。

いつもの朝礼。

いつもと同じはずなのに、今日は妙に落ち着かない。


(ちゃんと集中しなきゃ)


そう自分に言い聞かせ、美菜は背筋を伸ばした。


「それじゃあ、今日の予約状況を確認するぞ」


店長の田鶴屋の声がフロアに響き、全員の視線が前に集まる。

午前中は常連が多く、午後は新規の予約がいくつか入っている。

忙しくなりそうな一日だ。


「――それと」


田鶴屋が一拍置いてから言った。


「河北さん」


突然名前を呼ばれ、美菜は一瞬だけ肩を揺らした。


「は、はい?」


「最近、売上がかなり伸びてるな」


その言葉に、周囲がざわつく。


「この調子で頑張れよ」


にこやかにそう言われて、美菜は目を瞬かせた。


(……え? 私?)


自分の売上を細かく確認する余裕なんて、正直なかった。

目の前のお客さまに集中するだけで、毎日が精一杯だったから。


「すごいじゃん、河北さん」

「指名増えてるもんね」

「努力してるの、ちゃんと見てる人いるんだよ」


あちこちから声が上がり、美菜は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。


(そんなに……だったんだ)


評価されるのは、素直に嬉しい。

でも、それ以上に驚きの方が大きかった。


「……ありがとうございます」


一度、言葉を飲み込んでから、しっかりと顔を上げる。


「これからも、頑張ります!」


そう言うと、田鶴屋は満足そうに頷いた。


朝礼が終わり、スタッフたちがそれぞれ準備に散っていく。

美菜も動こうとした、そのときだった。


「……良かったな。」


低く、落ち着いた声がすぐ隣で聞こえた。


「……え?」


反射的に横を見る。


「瀬良くん?」


彼は、相変わらず感情の読み取れない表情で立っていた。


「お前、最近ずっと指名増えてただろ。」


淡々とした声。


「別に、不思議じゃない。」


「そ、そうかな……」


美菜は苦笑しながら頭をかく。


「自分では、あんまり実感なくて」


「だからだろ」


「え?」


「目の前のお客様だけ見てるから。」


短い言葉。

でも、それは彼なりの評価の仕方なのだと、美菜はなんとなく分かった。


「……うん」


「……素直に、喜んでもいいんじゃない。」


少し間を置いて、そう付け足される。


(あ……)


ぶっきらぼうなのに、ちゃんと背中を押してくれる。


(こういうところ、優しいんだよね)


胸の奥が、ほんの少し緩む。


(……あ、そうだ)


気が緩んだせいか、美菜はつい、口が滑った。


「ねぇ」


「なんだ」


「……今度は、頭撫でてくれないの?」


冗談のつもりだった。

軽口のつもりだった。


でも――


「っ……!」


瀬良の反応は、想像以上だった。


一瞬で、耳まで真っ赤になる。


(え……?あれ……!?)


美菜は思わず息を呑んだ。


「ちょ、ちょっと……」


瀬良は視線を逸らし、明らかに動揺している。


(そんなに……?)


「ご、ごめん! 冗談だよ!」


慌てて言葉を重ねる。


「そんなに赤くならなくても……!」


「……知らねぇ」


短く吐き捨てるように言って、瀬良は顔を背けた。


(……やばい)


空気が、一気に気まずくなる。


(私、変なこと言った……?)


心臓が、嫌な音を立てる。


(調子に乗りすぎた……)


何か言わなきゃ、と焦って、美菜は言葉を探した。


「えっと……」


「……」


「せ、瀬良くんって、よく人の頭撫でたりするの?」


沈黙。


しばらくしてから、瀬良は小さく息を吐いた。


「……親戚に、子どもがいる」


「子ども?」


「ああ。近所に住んでる。

まだ小さい女の子で、よく遊びに来る」


「へぇ……」


「それで……」


言葉を探すように、少し間が空く。


「……癖がついたんだと思う」


「頭撫でるのが?」


「ああ」


その答えを聞いた瞬間、美菜の中で、ふっと何かがほどけた。


「ああ……なるほど」


「……」


「それで、私にも……」


「……たぶん」


照れ隠しのような、歯切れの悪い返事。


美菜は、思わず小さく笑った。


「なーんだ」


(……そういうことか)


特別な意味なんて、ない。

ただの癖。

ただの、同期としての距離感。


(……そっか)


胸の奥に、ほんのわずかな違和感が残る。


(ちょっと……残念、かな)


でも、それは考えちゃいけないことだ。


(仕事仲間なんだから)


「じゃあさ」


美菜は、明るい声を作って言った。


「お互い、また仕事頑張ろうね!」


瀬良は一瞬だけこちらを見てから、小さく頷いた。


「……ああ」


それ以上、会話は続かなかった。


美菜は、自分の持ち場へと歩き出す。


歩きながら、胸の奥がちくりと痛むのを感じていた。


(……同期)


何度も、心の中で繰り返す。


(それ以上でも、それ以下でもない)


そう思わなきゃいけない。


でも。


(……なんで、こんなに気になるんだろ)


頭を撫でられた感触。

赤くなった耳。

言葉を選ぶ、ぎこちない沈黙。


(……仕事、ちゃんと集中しなきゃ)


美菜は深く息を吸い、気持ちを切り替えた。


今日も一日、忙しい。

目の前のお客さまに、全力を尽くすだけ。


それでも――


胸の奥に残った、小さなざわめきは、簡単には消えてくれなかった。



***



その後、美菜は意識的に深呼吸をして、気持ちを切り替えた。


(……よし)


仕事中だ。

余計なことを考える暇なんて、本当はない。


鏡の前に立ち、目の前のお客様に意識を集中させる。

指先の感覚。

髪の重さ。

わずかな毛流れの違い。


そうやって一つひとつ確認していくうちに、心は自然と仕事の方へ戻っていった。


今日は指名の予約が途切れない。

カウンセリングを終えたと思えば、すぐ次のお客様が待っている。


「美菜ちゃん、最近予約取るの大変になってきたわね〜。」


シャンプー台からセット面へ移動しながら、常連の女性客がそう言った。


「そうなんですか?」


思わず聞き返す。


「ええ。この前、電話したら希望の日が全部埋まってて」


「……そうだったんですね」


「仕方ないから、別の日にずらしたのよ?」


申し訳なさと、ほんの少しの誇らしさが同時に胸に広がる。


「それは……申し訳ございません。ご迷惑おかけしました。」


「いいのいいの!」


女性客は笑いながら手を振った。


「人気者ね。今のうちにサインでももらっておこうかしら?」


「ちょ、ちょっと……」


冗談めいた言葉に、美菜は思わず照れ笑いを浮かべる。


(人気者だなんて……)


でも。


(……本当に、指名増えてるんだ)


朝礼で言われたことが、今になってじわじわと実感として染み込んでくる。


予約が取れない。

日程をずらしても来てくれる。

それは、信頼されている証拠だ。


(……もっとちゃんと応えなきゃ)


自然と背筋が伸びる。


施術中も、これまで以上に細部に気を配った。

毛先の収まり。

ドライ後の質感。

仕上がりを確認するお客様の表情。


「やっぱり、ここに来て良かったわ」


その一言に、胸が温かくなる。


(よし……!)


次のお客様も、その次も。

気づけば時間はあっという間に流れていった。


それでも――


仕事の合間、ほんの一瞬の隙間に、ふと瀬良の顔が浮かぶ。


(……あの時の顔)


思い出すのは、耳まで真っ赤にした横顔。


(あんな瀬良くん、初めて見たかも)


普段は無表情で、何を考えているのか分かりにくい。

感情を表に出すことも少ない。


(やっぱり……恥ずかしかったのかな)


自分が言った言葉を、頭の中でなぞる。


――今度は頭撫でてくれないの?


(……私、なんであんなこと言ったんだろ)


冗談のつもりだった。

軽い気持ちだった。


でも、彼の反応は想像以上で。


(……忘れよう)


美菜は、意識的に首を振った。


仕事に支障を出したくない。

あれは、ただの癖だと言っていた。


(それ以上の意味なんて、ない)


そう言い聞かせて、また目の前に集中した。



***



夕方になり、店内の空気が少しだけ落ち着いてきた。


夕日の光がガラス越しに差し込み、床に長い影を落とす。

昼間の慌ただしさが嘘みたいに、穏やかな時間帯。


次の予約まで、少しだけ間が空いた。


(……あ)


無意識のうちに、店内を見渡している自分に気づく。


(いや、何探してるの)


自分に突っ込みを入れる。


(瀬良くんのこと、気にしすぎ)


そう思った、まさにそのとき。


「河北さん」


低く、聞き慣れた声。


「……え?」


振り返ると、瀬良が立っていた。


「今日、終わったら……」


一瞬、言葉を選ぶように間が空く。


「ちょっと、時間あるか?」


(え?)


突然の問いかけに、思考が一瞬止まる。


「えっと、…まあ……あるけど」


仕事終わりに特別な予定はない。

強いて言うなら帰ってみなみちゃんとしての配信をしようかと悩んでいたぐらいだ。


美菜がそう答えると、瀬良は小さく頷いた。


「なら、少し付き合え」


「付き合うって……」


思わずドギマギとしながら聞き返す。


「どこに?」


瀬良はポケットに手を突っ込み、視線を逸らしたまま言った。


「……ゲームショップ」


「…………は?」


思考が追いつかない。


「俺、今日発売のゲーム予約してたから」


「……あ、そうなんだ!」


「取りに行くついでに……」


そこで、言葉が少しだけ詰まる。


「おすすめのゲームとか、見るなら……一緒に来るかなって思って。」


(……え)


胸が、どくんと音を立てる。


(それって……)


「瀬良くん、それって……」


言葉を選びながら、そっと聞く。


「私がゲームに興味持ったから?」


「……まあな。」


そっけない返事。

でも、その一言が、胸の奥にすっと染み込む。


(……気にしてくれてたんだ)


自分の何気ない変化を、ちゃんと見ていた。


(ゲーム仲間、くらいには思ってくれてる……?)


そう考えるだけで、口元が緩みそうになるのを必死で抑える。


「じゃあ……」


少し間を置いてから、美菜は言った。


「行ってみようかな」


その瞬間、瀬良の目がわずかに細まった。


ほんの一瞬。

でも、確かに。


「なら仕事終わったら行くぞ。」


短く、それだけ言う。


(……なんか)


胸の奥が、じんわりと温かい。


(楽しみ、かも)


ただのゲームショップ。

ただの、仕事終わり。


それなのに、特別な予定みたいに感じてしまう。


(……ほんと、単純だな)


自分に苦笑しながら、美菜は残りの仕事に戻った。


その後も指名のお客様を最後まで丁寧に送り出しながらも、心のどこかで仕事終わりの光景を思い描いてしまう。


(どんなゲーム、あるんだろ)


(瀬良くん、どんなの選ぶんだろ)


そんなことを考えながら。


気づけば、いつもより少しだけ、時間が早く過ぎている気がした。


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