クリア後に開いた、もうひとつのチュートリアル
あれから数日後。
休日の午後、美菜は自分の部屋で、いつもより少しだけ姿勢を正して座っていた。
両手にはコントローラー。
画面の中では、長い旅路の果てにたどり着いた城が映っている。
「……よし……あと少し……!」
思わず息を呑み、肩に力が入る。
ここまで来るのに、どれだけ時間をかけただろう。
最初は操作も覚束なくて、町の外に出るだけで全滅しかけた。
敵の強さに心が折れそうになった夜もあった。
それでも、少しずつレベルを上げて、装備を整えて、仲間と一緒に進んできた。
(ここまで来たんだから……)
今日はお店の定休日。
誰にも邪魔されない。
そして、絶対に――今日、クリアする。
「負けられない……!」
画面の向こうで、最後の敵がゆっくりと姿を現す。
音楽が変わり、緊張感が一気に高まった。
配信画面のコメント欄は、すでに大盛り上がりだった。
【ついにラスボス!!】
【ここまで長かったね!】
【落ち着いていこ!!】
(大丈夫……ちゃんと準備してきた)
回復アイテムの数。
仲間の状態。
瀬良に言われた「焦るな」という言葉が、自然と頭をよぎる。
(攻めすぎない。まずは様子見……)
一手一手、慎重に。
強烈な攻撃が飛んでくるたびに、思わず声が漏れる。
「ちょ、待って……! それ痛い……!」
【回復!回復!】
【今ガード!】
【いい判断!】
コメントに励まされながら、指が止まらない。
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
(お願い……!)
そして、最後の一撃。
画面が一瞬、白く光って――
「……あ」
敵が、ゆっくりと崩れ落ちる。
数秒の静寂。
次の瞬間、画面いっぱいに表示された文字。
《Congratulations》
「……っ!」
言葉が詰まり、視界がじんわりと滲んだ。
「やった……! ついに、クリア……!」
コメント欄は、一気に祝福の嵐に変わる。
【おめでとう!!】
【初クリアお疲れさま!】
【感動した!】
美菜は思わず拳を握り、胸元で小さくガッツポーズをした。
(……私、初めてゲームクリアできた……!)
本当に、自分で。
最後まで、諦めずに。
「みんな、ありがとう……!
初めてのRPGだったけど、すごく楽しかった!」
声が少しだけ震える。
それでも、嬉しさの方が勝っていた。
配信を締め、画面を閉じたあと、ふうっと大きく息を吐く。
ベッドに倒れ込むと、全身から力が抜けていく。
(……楽しかったな)
達成感と満足感に包まれながら、天井を見上げる。
そのとき、ふと。
(……瀬良くんに、伝えたい)
胸の奥に、そんな気持ちが浮かんだ。
(でも……別に、言わなくてもいいよね)
同期。
それ以上でも、それ以下でもない。
(……ただの、同期)
そう言い聞かせようとしても、心は素直じゃない。
そもそも、このゲームを始めたきっかけは、瀬良の何気ない一言だった。
操作のコツも、考え方も、全部。
(それなら……お礼として、言ってもいい……よね?)
スマホを手に取って、画面を見る。
連絡先には、瀬良の番号。
(……電話しか知らないんだ)
メッセージアプリのアイコンを見て、ふと気づく。
(そういえば……)
少し悩んだ末、スマホを置いた。
(……明日、出勤したら直接言おう)
その方が、きっと自然だ。
(ついでに……電話番号以外でも連絡できるか、聞いてみよう)
そこまで考えて、ようやく眠気が押し寄せてきた。
***
翌朝。
目覚ましが鳴るよりも早く、美菜は目を覚ました。
「……あれ」
時計を見ると、まだ普段よりかなり早い時間。
(……早く起きすぎた)
二度寝しようかとも思ったが、目は冴えている。
(なんでこんなに目が覚めてるんだろ)
少し考えて、理由に気づいてしまう。
(……今日、瀬良くんに会うからか)
思わず苦笑しながら、身支度を始めた。
いつもより丁寧に髪を整え、服も少しだけ迷う。
(別に、変わらないのに)
そう思いながらも、気持ちは少し浮ついていた。
***
いつもよりずっと早く家を出て、店へ向かう。
どこか足取りが軽く、少しだけ心臓がいつもより早く動いているのを美菜は感じていた。
店の前に着いた美菜は、シャッターが少しだけ開いているのを見て、目を瞬かせた。
(……え?)
店内に足を踏み入れると、鏡の前に一人、立っている影があった。
一定のリズムで、ハサミの音が響く。
「……瀬良くん?」
声をかけると、彼はちらりとこちらを見ただけで、特に驚いた様子はなかった。
「お前、なんでこんなに早いの?」
「それ、こっちのセリフなんだけど……」
美菜は思わず言い返す。
「なんでこんな時間に出勤してるの?」
瀬良は手を止めず、淡々と答えた。
「スタイリストになっても、朝練は欠かさないから」
「……毎日?」
「ああ」
その言い方は、まるで当たり前のことのようだった。
(……すごい)
鏡越しに見る横顔は、真剣そのもの。
今まで、彼が仕事ができる人だとは思っていた。
でも、それが才能だけじゃないことを、改めて突きつけられる。
(こうやって、誰もいない時間に努力してたんだ)
胸の奥で、尊敬の気持ちが静かに膨らむ。
「ねえ、瀬良くん」
「なんだ」
「同期なんだし……私も、一緒に朝練していい?」
ハサミの動きが、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
「……好きにしろ」
「ほんと? ありがとう!」
思わず声が弾む。
瀬良は視線を鏡に戻したまま、何も言わなかったが、どこか居心地が悪そうにも見えた。
***
しばらく、それぞれ練習に集中したあと。
美菜は、ふと思い出したように声を上げた。
「あ、そうだ!」
「……なんだ」
「昨日ね、ゲーム、クリアした!」
その瞬間、瀬良の手が止まった。
ゆっくりと、美菜の方を見る。
「……そうか」
「うん! 最後すごく大変だったけど……
でも、ちゃんと最後までやれた」
「良かったな」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
━━━━━━ぽん。
「――え?」
次の瞬間、頭に触れる温もり。
優しく、軽く。
(……え?)
思考が追いつく前に、理解が遅れてやってくる。
(……撫でられた?)
瀬良自身も驚いたのか、すぐに手を引っ込めた。
「あ……間違えた」
「ま、間違えたって……!」
視線を逸らす瀬良の耳が、わずかに赤い。
(……え、待って)
心臓が、うるさい。
「……俺、片付けするから」
「ちょ、ちょっと待って!」
「無理」
そう言い残して、瀬良がウィッグとクランプを手早く持ち、店の奥へ向かおうとした、その直前だった。
「……あ」
足を止め、思い出したように低く呟く。
美菜が顔を上げると、瀬良はカウンターの下に置いていたバッグから、一冊のノートを取り出した。
少し古びた、けれど丁寧に使われてきたことが分かるノート。
「……これ」
ぶっきらぼうに差し出される。
「え?」
「昨日言ってたやつ。
レジ締めのマニュアル」
「あ……!」
そうだった、と美菜は思い出す。
電話で話していた、瀬良が昔まとめたというノート。
「いいの? そんな大事そうな……」
「俺はもう頭に入ってるから。」
即答だった。
「だから、問題ない。」
視線は合わない。
どこか落ち着かない様子で、指先がわずかにノートの端を押している。
「……ありがとう。すごく助かる!」
そう言うと、瀬良は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らした。
「……別に」
その声は、ほんの少しだけ硬い。
「同期なんだから。」
そう付け加えたあと、瀬良は一歩下がり、踵を返した。
「じゃあ、俺……」
「瀬良く――」
呼び止める前に、
「……今日も頑張ろうな。」
それだけ言い残して、足早に店の奥へと消えていく。
まるで、これ以上ここにいたら落ち着かないと言わんばかりに。
残された美菜は、両手でノートを抱えたまま、しばらく動けなかった。
(……絶対、照れてたよね)
ページをめくると、几帳面な字で書かれた手順と、小さな注意書き。
要点が分かりやすくまとめられていて、彼の性格がそのまま表れている。
(これ、時間かけて作ったんだろうな……)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
頭を撫でられた感触。
ノートを差し出すときの、少し不器用な手つき。
逃げるように去っていった背中。
(……あの顔は反則だよ……瀬良くん……)
そう思いながら、美菜はノートを大切そうに抱きしめた。




