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推してもらうには近すぎる![改編]  作者: 塩田 樹
優しい世界へのログイン

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4/4

少しだけ、近づいた夜



閉店時間が近づくにつれ、店内の空気は少しずつ緩み始めていた。

昼間の賑やかさが嘘のように、鏡の前にはもう客の姿はない。

ドライヤーの音も、シャンプー台の水音も止まり、聞こえるのは壁時計の秒針と、スタッフたちが片付けをするかすかな物音だけだった。


美菜は、最後のクロスを畳み終えると、ゆっくりと息を吐いた。


(……終わった)


思っていた以上に、長い一日だった。

忙しかったけれど、不思議と疲労よりも充実感のほうが勝っている。


今日一日、何度も瀬良の仕事を間近で見た。

カットのリズム、無駄のない動き、迷いのない判断。

どれも洗練されていて、同期とは思えないほどの差を感じてしまう。


(……もっと上手くなりたい)


胸の奥で、静かに火が灯る。

羨望でも、焦りでもなく、純粋な向上心だった。


そのまま片付けに入ろうとした、そのときだった。


「あれ……?」


レジカウンターの前で、後輩のアシスタントが眉をひそめているのが目に入る。

画面を覗き込み、何度かマウスを動かしては首を傾げている。


「どうしたの?」


声をかけると、彼女は少し慌てたように振り向いた。


「えっと……今日の売上入力が、うまく反映されてなくて……」


美菜もカウンターの内側に入り、モニターを覗き込む。

数字が合っていない。

入力されたはずの金額と、集計結果に明らかなズレがあった。


(入力ミス? それともシステム……?)


「とりあえず、もう一度確認しよう」


落ち着いた声で言いながら、操作を引き継ぐ。

だが、何度チェックしても状況は変わらない。


閉店後とはいえ、こういう事務トラブルは地味に焦る。

頭の中で時間だけが進んでいく感覚に、知らず肩が強張った。


(……どうしよう)


そのときだった。


「……どうした?」


背後から、低く落ち着いた声がした。


振り返ると、瀬良が立っていた。

仕事終わりでも姿勢は崩れず、相変わらず感情の読めない表情をしている。


「あ、実は……」


簡潔に事情を説明すると、瀬良は一度だけ頷いた。


「データのバックアップ、確認したか」


「え?」


「たぶん一度入力してる。履歴を見て見るといい。」


迷いのない口調だった。


言われるまま操作すると、確かにバックアップフォルダにデータが残っている。


「……あ、本当だ!」


「最終確定を押せば戻る。」


その通りに進めると、画面の数字がぴたりと揃った。


「……できた! よかった……!」


胸を撫で下ろすと同時に、力が抜ける。

隣で見ていたアシスタントも、ほっとした表情で頭を下げた。


「ありがとうございます……!」


瀬良はそれに軽く手を振るだけだった。


「焦ると、見えるもんも見えなくなるぞ。」


淡々とした声。

けれど、その言葉には確かな重みがあった。


「……うん」


「次からは、先に履歴を確認しろよ。」


「……ありがとう!」


自然と背筋が伸びる。

叱責ではないのに、言葉の一つひとつが胸に残る。


(やっぱり……すごいな)


同期のはずなのに、まるで先をずっと歩いている人みたいだ。

無駄な言葉はないのに、必要なところだけ、きちんと手を差し伸べてくれる。


「ありがとう、瀬良くん!」


そう言うと、彼は一瞬だけ視線を逸らし、


「……別に」


短く答えただけで、再び片付けに戻っていった。


その背中を、美菜はしばらく見つめていた。


(……ゲームの件といい、今回の件も含めてちゃんとお礼したいな)


心の中に、小さな宿題が残ったまま、閉店作業は終わった。



***



帰宅後、美菜はソファに体を預けるように座り込み、そのまま背もたれに頭を倒した。


「……つかれた……」


思った以上に、今日は気を張っていたらしい。

閉店間際のレジトラブルと、瀬良の的確なフォロー。

その一つひとつが頭の中で反芻されて、ようやく終わったという実感が遅れて押し寄せてくる。


(ゲーム……配信もー…今日はいいかな)


瀬良に教えてもらったゲーム。

剣を持って、町を出て、仲間と旅をして、少しずつ強くなっていく。


派手さはないのに、不思議と夢中になってしまった。

「ここでセーブしてやめよう」と思いながら、もう少し、もう少しと進めてしまった結果、時計を見て慌てて寝たのを思い出す。


仕事の疲れと、その余韻。


スマホを手に取り、ぼんやり画面を眺めていると、不意に着信音が部屋に響いた。


「……?」


表示されたのは、知らない番号。


一瞬だけ迷ったあと、通話ボタンを押す。


「……もしもし?」


『……あ、もしもし。瀬良だけど』


低くて、落ち着いた声。


「……え?」


一瞬、理解が追いつかない。


「瀬良くん!? えっと……お疲れ様!」


『急に悪い』


「ううん、大丈夫。どうしたの?」


少し間を置いてから、瀬良は本題を切り出した。


『お前、財布』


「……え?」


『スタッフルームに忘れてたぞ』


「……あっ」


言われた瞬間、今日一日の記憶が一気に蘇る。

帰り支度、片付け、挨拶。

そのどれにも、財布を確認した記憶がない。


(ほんとだ……全然気づいてなかった)


『閉店後の確認で机に置き忘れてるの見つけた。』


「ご、ごめん……全然気づかなかった…」


『今日集中力あんまり無かっただろ。』


「……え?」


『顔、疲れてた』


責める調子ではない。

ただ事実を述べるだけの声。


「あはは〜……昨日、ゲームちょっとやりすぎちゃって」


『ふん』


短い相槌。

その声はどこか暖かかった。


「というか、電話番号、どうしたの?」


『店長に聞いた』


「なるほど、ありがとう、わざわざ」


『明日、朝渡すな』


「助かる……本当にありがとう。」


『それと』


「?」


『探し物してたら、ノートが出てきた』


「ノート?」


『レジ締めの手順、まとめたやつなんだけど』


美菜は思わず身を起こした。


「え、それ……」


『俺が新人の頃に作ったやつ。今日みたいなの防げるだろうし、明日渡すから読んでみて。』


「……え、いいの?」


『うん。必要であれば。』


押し付けるでもなく、恩着せがましくもなく。

ただ「役に立つから渡す」という温度。


「……ありがとう。すごく助かる!」


『別に』


そのあと、少しだけ沈黙が落ちた。


(……?)


電話を切るには、少し間が長い。

瀬良が何か言いかけて、止めた気配がする。


「……他にも何かある?」


『……いや』


一拍置いてから、低い声が続いた。


『昨日のゲーム』


「え?」


思わず声が上ずる。


『教えたゲーム、やったって朝話しただろ』


「あ、うん!」


『どうだった』


「楽しかった……!

戦闘はシンプルだけど、町の人の話聞いたり、少しずつ強くなる感じがよくて」


『最初はそれでいい』


「え?」


『RPGは急ぐと面白くない。探索した方が楽しかったりするしな。』


なるほど、と美菜は頷く。


「レベル上げとか?」


『それも。あと、装備』


「装備……」


『武器より防具。死なない方が大事だから。』


レジの話と、同じ口調。

淡々としているのに、ちゃんと相手のことを考えているのが伝わる。


「なるほど……そう考えると、瀬良くんのプレイスタイル、想像つくかも」


『関係ない』


「えー、絶対関係あるよ」


少し間があって、瀬良が小さく息を吐いた。


『……また、よかったら』


「うん?」


『他にも、いくつかおすすめある。今やってるやつのコツも。必要であれば。』


「ほんと? じゃあ聞きたい」


『……そうか』


声がほんの少し柔らぐ。

その後、瀬良からゲームのコツや今流行りのゲームの話をし、時間はあっという間に過ぎていった。


「ねえねえ、ちなみに瀬良くんは普段どんなゲームするの?」


『んー……内緒』


「えー」


『あんまり大したゲームじゃないよ。』


「じゃあ、RPG?」


『色々』


またはぐらかされたけれど、不思議と嫌じゃない。


『……もうこんな時間か。結構話したな。』


「あ、ごめん。引き止めちゃった?」


『いや』


短い否定。


『じゃあ、明日』


「うん。ありがとう、瀬良くん」


『……おやすみ。またゲームの事とか分からないことあったら聞いて。俺でよければ教えるから。』


「ふふ、ありがとう。おやすみ。」


通話が切れる。


美菜はスマホを見つめたまま、しばらく動けなかった。


(……距離、少し近づいたよね)


踏み込みすぎない。

でも確実に、昨日より会話が増えた。


(……明日の朝、ちょっと楽しみ)


そんなことを思いながら、美菜はベッドへ向かった。


胸の奥に、静かで確かなときめきを残したまま。


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