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推してもらうには近すぎる![改編]  作者: 塩田 樹
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3/4

名前のつかない意識



翌日。

いつもより少しだけ寝不足のまま、美菜は美容室の裏口をくぐった。


「おはようございます!」


明るく声を出しながらロッカーに荷物を置き、エプロンを身につける。

鏡に映った自分の顔は、若干クマができているような気もしたが、気のせいということにした。


(昨日、結局あれから結構やっちゃったもんな……)


配信が終わってからも攻略サイトを調べ、少しだけ裏でアイテムを集めておこう、と思って始めたはずが、気づけばキャラクターはレベルを上げ、次の街に辿り着いていた。

敵の動きに慣れ、攻撃と回復のタイミングを考えるのが楽しくなってきてしまったのだ。


(……ゲームって、危険かも)


そんなことを考えながら、セット面の準備を始める。

タオルを補充し、道具の位置を整え、いつものルーティンをこなしていると、不意に背後から気配を感じた。


「……おはよう」


低く落ち着いた声。

振り向かなくても、誰だかすぐに分かる。


「おはよう、瀬良くん!」


仕事中は必要最低限の会話しかしないが、今日は瀬良から珍しく準備中の美菜の隣に立ち、少しだけ視線を落とした。


「昨日の休憩時間の話だけど……」


その一言で、美菜の心臓が跳ねた。


(え、なに……?)


「昨日、ゲーム、やってみたのか?」


一瞬、頭が真っ白になる。


(まさか……配信見た?いやいや、そんなはずないよね?)


内心の動揺を必死に隠しながら、美菜は作り笑いを浮かべた。


「あ、うん……ちょっとだけね!」


声が裏返らないように注意しながら続ける。


「やっぱり最初は難しかったけど、思ってたより楽しかったかも。」


瀬良は一瞬だけ目を見開き、それから少し意外そうに目を細めた。


「……へえ。」


その反応に、美菜は逆に緊張してしまう。


「え、なに?そんな驚く?」


「いや。てっきり三十分で投げると思ってた。」


「ひどいなぁ!」


思わず笑って返すと、瀬良の口元がわずかに緩んだ。


「でも、あの手のRPGなら、慣れれば楽しくなる。操作も複雑じゃないし」


(やっぱり詳しいんだ)


瀬良は淡々と話しているだけなのに、その口調には確信があった。

ゲームを「知っている人」の言い方だ。


「ならさ」


瀬良は少し間を置いてから続ける。


「もうちょっと簡単なのとか、操作のコツ、教えてやってもいいけど?」


その言葉に、美菜は反射的に前のめりになりかけた。


「え、本当!?もっとスムーズに配信したく……あっ」


慌てて咳払いをして姿勢を正す。


「じゃなくて、そんな悪いよ。瀬良くん忙しいでしょ?」


(危ない危ない……!)


心の中で自分にツッコミを入れる。


(みなみちゃんは秘密にしとかなきゃ……!)


「別に」


瀬良は肩をすくめる。


「興味があるなら、ってだけだ。教えるのは嫌いじゃない。」


そう言いながら、何事もなかったかのように自分のセット面の準備を始める。


「……ゲームに関しては、俺の方が詳しいしな。」


その言葉は自慢でも誇張でもなく、ただの事実のように聞こえた。


(なんか……ずるい)


仕事中は無口で近寄りがたいのに、ゲームの話になると自然に距離を詰めてくる。

そのギャップに、美菜は小さく息を吐いた。


「じゃあ……そのうち、時間が合えば、お願いしようかな。」


探るように言うと、瀬良は一瞬だけこちらを見た。


「おう。」


短い返事。

それだけなのに、なぜか胸の奥がじんわり温かくなる。


その後、朝礼が始まり、いつもの忙しいサロンの一日が動き出した。

カット、カラー、シャンプー。

お客様との会話に集中しながらも、美菜の頭の片隅には、昨日の配信と今朝の会話が残り続けていた。


(瀬良くん、ほんとにゲーム好きなんだなぁ)


仕事中とは違う、一瞬だけ見えた柔らかい表情。

誰かに何かを教えることを、当たり前のように口にする姿。


(……なんか、意外)


昼休憩中、スマホを手に取り、無意識のうちにゲームの攻略サイトを開いている自分に気づいて、美菜は苦笑した。


(完全にハマり始めてるじゃん)


そして、もうひとつ。


(瀬良くんに教えてもらう、って……ちょっと楽しみかも)


もちろん、VTuberとして活動していることは、まだ秘密のまま。

この小さな隠しごとを抱えたまま、ゲームの世界と、瀬良との距離は、少しずつ広がっていく。


それがやがて、思いもよらない形で交わることになるとも知らずに。


美菜は今日も、ハサミを手に取り、いつも通りの笑顔で仕事に向き合う。

胸の奥に、新しい楽しみをそっと隠したまま。


——物語は、静かに次の一歩へ進み始めていた。



***



午後の施術が始まり、サロンの空気は午前中よりも落ち着いたものへと変わっていった。

外から差し込む光もやや柔らかくなり、フロアにはドライヤーの音と、時折交わされる会話だけが静かに響いている。


美菜は鏡越しに客の表情を確認しながら、一定のリズムでハサミを動かしていた。

その手つきは迷いがなく、長年積み重ねてきた経験が自然と身体に染み込んでいる。


それなのに――。


(……なんで、こんなに気になるんだろ。)


意識とは裏腹に、思考の端に瀬良の存在がちらついて離れなかった。

ほんの少し前、彼が短く「そうか。」と答えたときの、あの一瞬の表情。


普段は感情をほとんど表に出さない瀬良が、そのときだけ、わずかに柔らいだ気がした。

ほんの一瞬、口元が緩んだような、目の奥の緊張が解けたような、そんな曖昧な変化。


(……単なる思い込み?)


そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥に残る違和感は消えなかった。

だが仕事中に気を取られるわけにはいかない。

美菜は意識を切り替え、目の前の客へと集中する。


次の指名客は、何年も通い続けてくれている女性だった。

年齢を重ねながらも、髪や装いにきちんと気を配る人で、美菜にとっては信頼して任せてもらえる存在でもある。


「美菜さん、今日もお願いね。」


「もちろんです。前回と同じ感じで大丈夫ですか?」


「ううん、ちょっと雰囲気を変えたいかな。」


「なるほど、どんな感じにしましょう?」


「おまかせしてもいいかしら?」


「じゃあ、少しレイヤーを入れて軽さを出してみますね。前髪も少し調整すると、より柔らかい印象になりますよ。」


「うん、それでお願い。」


短いやり取りの中で、自然と方向性が定まっていく。

それは長い付き合いの中で築かれた信頼関係の証でもあった。


美菜は髪をブロッキングし、一本一本の流れを確かめながらハサミを入れていく。

指先に伝わる髪の質感。

ほんの数ミリの差が、全体の印象を大きく左右する。


角度、力の入れ具合、リズム。

すべてを意識しながらも、動き自体は驚くほど自然だった。


――この感覚が、好きだった。


(やっぱり、この仕事は楽しいな。)


無心で向き合える時間。

自分の技術が、誰かの「こうなりたい」を形にしていく感覚。


その充実感を改めて噛みしめた瞬間、不意に隣から聞こえた低い声が、美菜の意識を引き戻した。


「……ここ、もう少し軽くするか。」


「ん?」


反射的に視線を向けると、瀬良がデビューを控えた後輩アシスタントのモデルを指差しながら、静かに指導していた。

言葉は少ないが、その視線は鋭く、的確だった。


「重さが残ってる。これだと動きが出にくい。」


「あ、たしかに……もう少し軽くしてみます。」


後輩は素直に頷き、緊張しながらもすぐに手を動かし始める。


(……すごい)


思わず、心の中でそう呟いていた。

瀬良は無駄な雑談をほとんどしない。

だが、そのぶん必要なことは簡潔に、的確に伝える。


感情を交えない指摘は、ときに冷たく見えることもある。

けれど、それは相手を突き放すためではなく、確実に成長させるためのものだと、美菜にはわかっていた。


何より、彼の目が違う。

髪の状態、骨格、仕上がりのバランスを、一瞬で把握している。


美菜は施術を続けながら、無意識のうちに瀬良の動きを追っていた。


ハサミの入れ方。

梳き加減。

ドライヤーの当て方。


すべてに迷いがなく、流れるように繋がっている。

計算され尽くした動きは、見ているだけで勉強になるほどだった。


(本当に丁寧……)


同じ美容師として、素直に尊敬できる技術。

自分もプロとしてやってきたはずなのに、瀬良の仕事を見ていると、まだまだ足りないと感じてしまう。


(こんなに冷静に、的確にできるのは……やっぱり経験の差なのかな。)


そう考えながらも、悔しさより先に湧いてきたのは、純粋な向上心だった。


(もっと上手くなりたい)


昨日、ゲームをしていたときと同じ感覚。

負けたくないとか、追いつきたいとか、そういう単純な気持ち。


その想いが、胸の奥で静かに燃えていた。


「美菜さん?」


「……あ、申し訳ございません!」


はっとして視線を戻すと、鏡越しに客がこちらを見ていた。

どうやら、考え込んでいたのが表情に出てしまっていたらしい。


「すごく真剣な顔してたけど、大丈夫?」


「あ……はい、つい集中しちゃいました。申し訳ございません。」


「ふふ、頼もしいわね。」


そう言われ、美菜は少し照れくさくなりながら微笑んだ。

プロとして評価されるのは、素直に嬉しい。


施術を終え、スタイリングまで仕上げたあと、客を笑顔で見送る。

鏡の前で満足そうに頷く姿を見て、ほっと息をついた。


片付けをしながら、ふと顔を上げる。

視線の先には、まだ仕事を続けている瀬良の姿があった。


(……やっぱりすごいな)


仕事への向き合い方。

余計なことを言わず、結果で示す姿勢。


ゲームのことも、仕事のことも。

彼のさりげない言葉や行動が、気づかないうちに美菜の中に影響を与えている。


(もっと、上手くなりたい。もっと、話してみたい)


そう思った瞬間だった。


ふいに、瀬良がこちらを見た。

視線が、真正面からぶつかる。


「……何か。」


「えっ!? い、いや、なんでもない!」


反射的に否定し、美菜は慌てて目をそらした。

心臓が一気に跳ね上がる。


「……?」


瀬良はわずかに首を傾げたが、それ以上は何も言わず、また作業へと戻っていった。


(な、何やってるんだろ、私……!)


胸の鼓動が、なかなか落ち着かない。

仕事中だというのに、妙に意識してしまう自分が恥ずかしかった。


(こんなの、ただの尊敬……のはず。)


そう何度も自分に言い聞かせる。

けれど、その直後には、また無意識に瀬良の動きを追ってしまっている。


自覚した瞬間、美菜は小さく息を吐いた。

それが何を意味するのか、まだはっきりとはわからない。


ただひとつ確かなのは――。


瀬良という存在が、今の自分にとって、以前よりもずっと大きくなっているということだった。


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