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ドーナツ

まぁるく穴の空いたあまぁいお菓子。

嫌いな人はまずいない、オランダ生まれアメリカ育ちのメジャーなスイーツ。

ドーナツはいろんな国を旅して姿を変えて、現代でも楽しまれている。

私はそんなドーナツがとっても好き。しっとり生地も、サクサク食感も、どんなフレーバーでも美味しいのは当たり前。だってドーナツですもの。

私の夢は自分でドーナツ専門店を開くこと。でもね、せっかく開発していたレシピが盗まれちゃったの。

探偵さん。この窃盗事件、解決してはくれないかしら?


◎◎◎


「お話はわかりました。その事件、わたくしが解決して差し上げましょう!」


目の前にいる前下がりショートのレディに告ぐ。

ブラウンをまとった切れ長たれ目は嬉しそうに細めて僕を見つめた。


「ありがとう、このご恩は忘れないわ。解決したらお礼と一緒にクーポンを差し上げるわね。ぜひ食べにきてちょうだい」

「喜ぶにはまだ早いですよ、レディ。まずは誰に盗まれたかお聞かせください。話はそれからです」


ローネと名乗った本日の依頼人は、今日もドーナツ作りの準備をしていたらしい。彼女が試行錯誤して考えた特別なドーナツを作ろうとした時、既にレシピがなくなっていた。なんでも、新しい食感を追求した珍しいドーナツなのだそう。

ドーナツは最近流行りで人気のスイーツで、そんな素敵なレシピがあるなら盗もうと考える人が出てもおかしくはない。僕も気になっていたところだ、この事件が解決したらぜひ食べに行こう。


「盗んだのは私の弟のベッラよ。彼も私と同じくらいドーナツを愛しているの」

「なるほど、弟さんが…しかしなぜ盗む必要があるのでしょう。姉弟なら一緒に作るなりなんだり、教えて貰えばいいのに」

仲がそこまでよろしくないのだろうか。

「あら、ドーナツのことになると人は誰しも極端になってしまうものよ。それくらいの魅力がドーナツにはあるの」


なるほど。ドーナツ、侮ることなかれ。人を変えてしまうほどの美味しさだというのか。

実は僕はまだドーナツを食べたことがない。曲がりなりにも英国紳士、流行は押さえておきたいものだ。

「ではわたくしはその弟君に聞き込みをしようと思います。ご案内願えますか?」

「ええ、もちろんよ! 早く私のドーナツを返してもらいましょう」


◎◎◎


しかし事態は急変した。


「もう一度お伺いしても?」

「ですから、その日その時間は友人と演劇を鑑賞していました。チケットもございますし、友人も証言してくれるでしょう」


なんてことだ。ベッラにはアリバイがあった。

それもなかなか疑い難いアリバイが。

これは覆すことが難しい…しかし依頼人のため、何としてもレシピのありかを聞き出さなくては。

「では、ドーナツのレシピに心当たりは?」

「ドーナツのレシピ? なぜ僕がドーナツを作ることを知っているのです?」

「不思議な食感のドーナツを開発していると聞いて、興味が湧いたのです。わたくしもドーナツが好きですから。しかしながら、あなたはこの事件に関係がないらしい。では、このあたりで」

もともと用意していた台詞を、さも潔く諦めました、いうように僕は言い放った。

「ま、待ってください!」

ほら、ドーナツを愛してやまない君なら引き留めてくれると思ったよ。


「ドーナツのレシピとあなたの探っている事件に何の関係が? 僕は詳しく知りませんが、ドーナツのせいで悪事が働くなんて許せません。僕も協力いたしましょう」

よし、容疑者に一歩近づけた。しかしよくもまあ、レシピを盗んでおいて悪事を許せないと言ったものだ。やはり美味しいドーナツを作るためなら手段を選べないのか。ああ、早く僕もそのドーナツの魅力を知りたいものだよ。


◎◎◎


「これが、僕の考えた不思議な食感のドーナツのレシピです。なんと、クランペットのようにもちもちしているのですよ! これが事件解決に役立つのなら、喜んでお貸ししましょう。ただし、コックやパティシエの目に入るのだけはご勘弁を。これは僕が考えた最高のレシピなのです」


なんともまあ簡単にレシピが手に入った。せっかく盗んだのに、こんな易々と渡してしまってもいいのだろうか。

いやいや、これで事件は解決だ。さあ、すぐにこのレシピをレディに届けなくては。

「クランペットのような…それはそれは美味しそうなドーナツだ。完成した暁には、わたくしもあなたの店に並んでぜひ頂きたい。では、私はこれで失礼するよ。ああ、安心してくれたまえ。事件はすぐさま解決するだろう!」


君がレシピを返してくれたおかげでね。


◎◎◎


「事件は無事解決しましたね。レシピもレディの手元に戻った。これで安心です」

僕はそう告げると、ローネはにこやかに微笑んだ。

「ええ、ありがとう。本当に助かりましたわ」

その微笑みは柔らかく、礼儀正しいものに見える。だが、唇の端がほんの少し吊り上がり、妖艶な笑みが混じっていた。


「ところで、そのレシピはクランペットのようにもちもちしているのだとか…ああ、私も早く味わいたい。開店が楽しみですね」

「ええ、とても……」

彼女は声を潜め、目線を少し下げる。その手がひそかに小さく握られ、そしてまた開かれる。まるで心の中で何かを確かめるかのような仕草だった。


僕はふと問いかける。

「……何かございましたか?」


ローネは顔色ひとつ変えず、ただ柔らかく微笑んで答える。

「ふふ、何も問題はありませんわ」


その声は平静だが、彼女の胸の内では小さな勝利の火花がくすぶっていた。誰にも悟られず、自分だけが手に入れた――その喜びを隠して、彼女は指先でテーブルの角をそっとなぞる。

「では、又のご依頼をお待ちしております、ミス・ローネ」

「ええ、その前に私のお店にもいらっしゃいな。私、待っていますわ」

そう言ってローネはチップと友にお店のクーポンをテーブルに置いて立ち去った。

とても綺麗な微笑みだった。


◎◎◎


店の奥、誰にも見えないところで、ローネは深く息を吐き、小さくにんまりと笑った。

「ふふ……あの探偵さん、ドーナツの穴のように節穴ね」


その笑みには、ほんの少しの誇らしさと、ドーナツのように甘い、秘密の満足感が詰まっている。

レシピもドーナツも、そして誰にも気づかれない小さな悪戯心も、すべて自分の手の中にある――そう、ローネはひそかに思ったのだった。

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