3・理由
グリーンラーメンもかなりの評判だったようだ。
見た目のインパクトの投稿と、コッテリして濃厚・舌触りよく滑らか・爽やか・意外とサッパリと言う味の感想も多い。
ラーメン業界界隈のSNSはザワ付いている。
『どんな味なのか?想像も付かない!』
『一度でいいから食べてみたい!近所に住みたい!』
っと投稿画像には多くのコメントが付いている。
辛一さんは周りに迷惑をかけなければ、写真撮影もOKしている。
食べ方も「先にスープを味わってくれ!」なども無く、客の自由でやってくれ。と言うスタイルだ。
水も出さないので、酒以外のドリンク持ち込みはOKだ。
ただ麺を少なめとか固めなどの個別オーダーはお断りしている。
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製麺所の片付けを終えて昼前になったので、長寿庵に空箱を回収に行く。
普通の店ならオープン時間だが、長寿庵はもう全部売り切れて片付けをしている頃だ。
普段なら翌日に持ってくるのだが、定休日の前の日は回収している。
ハイゼットを店の前に停め店正面の暖簾をくぐる。
「辛一さーん!箱の回収です!」
「・・・・」
(辛一さん外に出てるのか?)
『ガタッ』
厨房奥から音が聞こえた。
(強盗か!)
工藤は厨房に飛び込み、音のした方を見ると辛一さんが床にうつ伏せになって倒れている。
「辛一さん!」
身体を起こすと、虚だった目の焦点が合い俺を見る。
「だっ、大丈夫だ持病だよ、持病だから」
俺は念のため救急車を呼んだ。
しばらくすると救急車が到着し、隊員が辛一さんを担架に乗せた。
辛一さんがいつも持っている、A4サイズの巾着袋を隊員に渡す。
辛一さんは隊員に話しかけた。
隊員は巾着の中からお薬手帳を見ると、どこかと連絡をとり始めた。
「通院している K病院で受け入れるそうなので向かいます」
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ベッドで辛とさんが横になっている。
「しばらく入院だなぁ、工藤ちゃん閉店の手紙書くから貼っといてくれないか?」
「店畳むんですか!?」
「さすがにもう身体が動かんよ。末期癌で後一年って言われてからもう過ぎちゃってるからね」
「それって、いつの話ですか?」
「リーマンの時だな。そこの検診で見つかってな、でもう手遅れで、家族も居ないし好きな事をしようと思って会社を辞めてラーメン屋だよ」
「好きな事でラーメン屋ですか・・・」
「探し当てた空き物件が、何の皮肉か長寿庵とは笑ったがな」
「・・・辛一さんちょっと聞いていいですか?」
「ん?、良いぞ?何だい?」
「何でラーメンにこだわってるんですか?何を求めてるんですか?」
「・・・・母親の味かな」
「母親ですか?」
「どうしようもない女だったが、小学生の頃よく作ってくれたあの塩ラーメンがもう一度食べたいんだ」
「塩ラーメンですか?その時代に塩は珍しいですね」
「思い出補正入ってらかも知れないけどなぁ」
辛一さんは天井を見上げ声を絞り出した。
「もう一度だけでいいんだ・・・」
「お母さんに聞けませんか?何処にいるんですか?」
「分からないなぁ、俺が58歳だから・・・生きていれは78歳ぐらいかなぁ」
辛一さんの命はきっと長くない、死に行く者独特の死相が見える。
俺は決めた。
「辛一さんお母さんちょっと探して見ます」
「えっ!?、いいよ!無理しないでくれ!」
「ちょっと探してみて手掛かり無ければ辞めます、その幻の塩ラーメンを食べてみたいですから」
俺は決めた事はやるので辛一さんもすぐに諦めた。
「・・・じゃあ工藤ちゃんお願いするよ、よろしく頼む」
「少しお母さんの話を伺っていいですか?」
「あぁ、俺が小学校の頃だなぁ1960年代だな・・・
レコード店から洋楽のホテルカリフォルニア・ダンシングクイーンが流れて歌詞は良く分からないけど、良い曲だなぁって思ってたよ」
1995年生まれ、今年30歳の俺でもその2曲は知っている。
「邦楽では秋桜とかあずさ2号がTVでよく流れてたな。今でも曲を聴くとあの頃の記憶がフラッシュバックするよ・・・」
この2曲も知っている。
昭和の曲は名曲が多いな。と思った。




