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十六、僕と夢の境

 靴底が落ち葉を踏み割っても、足を止めることはない。

 肩掛けバッグの帯をきつく握りしめ、俯きがちに他の生徒を追い抜いていく。

 正門を潜り、下駄箱で靴を履き替え、階段を登る。

 三階、一年五組。

 後ろの戸を引いて入り、窓際列の真ん中席に腰を下ろした。

 窓から見えるグラウンドで、朝練を終えた野球部が土均しと片付けをしている。

 机端に掛けた学校鞄から教科書とノートを取り出し、机に広げて書き取りをはじめた。

 前の椅子が引かれる音がする。

「げ、朝から勉強とか真面目ちゃんかよ」

「うるさいぞ達希たつき。国語の宿題が終わってないんだから邪魔するな」

「だから昨日帰りに残ってけって言ったのに」

「僕がバイトより優先するものなんてある訳ない」

「お前が優先してるのはバイト先の先輩だろうが……」

 短い茶髪に長身が特徴の古賀達希こがたつきに憐れみの目を向けられるが、昨日見た安東日和あとうひより先輩の姿を思えば、こんな宿題くらい。

「大丈夫かー、終わるのかー?」

「うるさい」

 自分がもう終わっているからと、煽ってくる友人の余裕な笑みが憎らしい。

 僕はわしゃわしゃの黒髪を掻きつつ、どうにか予鈴が鳴るまでに答案を終えた。


         *


 モニターに表示される数字と同じメニューナンバーの皿を、カートに乗せて指定されたテーブルまで運ぶ。

 配膳を終えたら会計表を筒容器に差して、カートごと厨房前に戻った。

 呼びボタンが押されればそれもモニターに表示され、手空きの者が呼ばれたテーブルに向かい、ハンディと呼ばれる端末で知らせる。

 この場合は僕が担当した。

「ご注文はお決まりでしょうか?」

「えぇっと私は、デラックスチーズハンバーグセットと、あとこのコーンスープを……」

 家族連れの客がそれぞれ注文していくメニューを、確認の声を発しながらハンディに記録していく。

「以上でよろしかったでしょうかー」

 問題がなければ端末の決定ボタンを押し、そのデータは料理人用のモニターに転送される。

 メニュー表を回収してバックヤードにしまい込む。

 ホールの仕事は受注配膳、案内会計、後片付けと掃除の三つを持ち回りで分担する。

 キッチンは皿洗いとドリンク、パフェの用意をバイトが担当していた。

 会計機の扱いにもたついて怒られたり、お手洗いについてのクレームに対応したり、配膳するテーブルを間違えて店長に呼び出されたり、そんなことを繰り返しながら、かれこれ半年。

 辞めようと思ったことは数知れず。

生駒いこま君。お疲れ」

 すれ違いざま、店員服を纏った同僚が小声で挨拶してくれる。

 赤みがかったストレートロングの黒髪を背に流し、張りのある声ではきはきと注文を受ける姿は凛として絵になった。

 実際、友達と連れ合って来た男性客達は、彼女の姿に肩を強張らせながら注文している。

秋広あきひろー、日和ひよりばっか見てねーで働けー」

岸辺きしべ先輩、すいません」

 モップを隅に立て掛けて、早足で裏へ歩いていく。

 途中で振り返れば、中年の冗談にくすくす笑っている安東あとう先輩が見えた。

 僕が今でもバイトを続けているのは、紛れもなく彼女のおかげである。


         *


 狭くてごちゃごちゃした更衣室をどうにか抜け出し、共用廊下に脱ぎ散らかされた踵の潰れてる靴達の中から、自分の白黒スニーカーを見つけ出して足を通す。

 長く交換されてなさそうな蛍光灯が、廃棄するチラシを積んだ段ボールをぼんやり照らしていた。

 裏手の関係者ドアから出て、軽くつま先をトントンしてから、傍の駐輪場へ歩を進める。

 財布にしまっていた鍵でロックを外し、自転車を後ろに引いていく。

 向きを直して座面に跨り、ペダルを踏み込んだ。

 等間隔に点る街灯を潜りながら、夜空に散りばめられた星々を仰ぐ。

 まあ、ほんの微かに瞬くくらいのものだけど。

 信号待ちに引っ掛かり、まあ交通量的には無視しても構わなかったのだけれど、ブレーキを握った。

 ワイヤレスイヤホンを耳に入れ、ジーンズのポケットからスマホを取り出す。

 音楽アプリを開けばいつものプレイリストが呼び出されるが、聴き飽きてきたので適当なアルバムを漁る。

 青になったのには気付いていたが、中々良いのが見つからない。

 結局、たまには洋楽でもと思って英語曲を流し、また赤信号を待ってから、僕はゆっくり夜道へ漕ぎ出した。


         *


 休日に家にいるのは苦手で、朝ご飯を済ませてすぐ散歩に出かけるのが常だった。

 いつもの道を歩くのも億劫で、適当に知らない通りをフラフラしながら、たまに見掛けた綺麗なものをスマホで写す。

 例えば、水溜まりに浮いた落ち葉だったり、路地にはみ出した金木犀だったり。

 天気雨に架かった虹を撮ったこともあった。

 一日シフトが空くことは長期休暇以外だとあまりないが、今日は夜からなので、平日なら授業中だろう時間までは遊べる。

 バイト代が入って懐が温かいので、昨夜のうちに充電しておいたモバイルバッテリーを持参して、ちょっと遠くまで足を伸ばしてみようと思う。

 どうせなら徒歩で行けるところまで行ってみようと思ったのだが、ものの一時間でくたびれてしまい、最寄りの地下鉄口から階段を下りた。

 ICカードをかざして改札を潜り、電車を待つ間スマホアプリの漫画を読む。

 思わず笑いを漏らすとOLがチラとこちら見たので、さり気ないふうを装って口元に手をやった。

 やがてやってきた列車に乗り込み、ややあって出発すると、吊り革に指を引っ掛ける。

 目的地まで先は長いが、朝早くの為か車内はそこそこ混んでおり、残念ながら椅子は余っていなかった。

 手持ち部沙汰にラインを確認するが、友達追加してるのなんて達希たつきと小中学校の同級生が何人か、後はバイト先のグループに参加してるくらいで、トーク画面に残る履歴もかなり前のものだ。

 他のSNSも似たり寄ったりで、投稿する勇気も発信したいものも特にない。

 車窓を眺めても、高速で行き過ぎるトンネルの壁と、硝子に自分の顔が映るだけ。

 他の乗客に気取られないよう息を付き、諦めて創作の世界に没入した。


         *


 水族館に入ったのは小学生以来だったけれど、思ったより人が多くて驚いた。

 まあ商売なのだから沢山来てくれないと成り立たないよな、などと趣き浅いことを思ったりする。

 遊び慣れしてないせいで入館に手間取るかと思ったが、思ったより出費が嵩む以外はあっさりしたもので、世の中結局金だよなと再び俗な考えが過った。

 パンフレットを取ってきたが、イルカショーまでは今しばらく時間が空く。

 クラゲが好きなので見に行こうと、学校と違って女子の目がないのをいいことに、ひとりはしゃぎながらルンルン歩を進めていく。

 間近まで来ると結構怖くて見てられず、十分くらいで退散したけど写真は撮れた。

 イワシの大群が実に壮観で、見物客もそれなりに多かったのだが、なにせ水槽が大きいのでよく見える。

 館内レストランに入って、限りなくフルーツミックスに近いパフェを食べ、それから円形演舞場までを歩いた。

 途中見たジュゴンなんかお気に入りで、売店でデフォルメキーホルダーを買ったくらいだ。

 会場に着くと、前の席は既に満員で、後ろの方も次々埋まっているところだった。

 折角なので、どうにか中間ぐらいの席に滑り込み、ほっとしながら係員の注意説明を聞き流す。

「さあ皆さんお待ちかね、りっくんとまーちゃん、入場でーっす!」

 スピーカーを使ったアナウンスで観覧客は一斉に盛り上がり、僕も照れながら声を上げてみたり。

 りっくんとまーちゃんというらしい兄妹イルカは、まず立ち泳ぎで水槽に繋がるゲートからプール中央へ進み出た。

 それからアーチ跳躍、輪抜け、鼻先ボールと、観衆を沸かせながら演技を続けていく。

 途中退席してフランクフルトを買ってきた僕は、席が分からなくなって後半立ち見していた。

 柱に凭れて串を持ちながら腸詰めを齧っていると、隣に立つ薄っすら紫がかった黒髪の娘が目に入る。

 どうにも暗い顔で、まるで睨み付けるみたいに演舞を見つめながら、下唇を浅く噛んでいた。

 仏心か下心か、僕はなんとなく近くのスタバまで引き返し、チョコフラペチーノをテイクアウトして持ってくる。

「ねぇ、これあげるよ」

「……え?」

 遅れて自分への声だと気付き、小柄な彼女がこちらを横目にした。

「買ったはいいけど、やっぱり気分じゃなくて。捨てるのも勿体ないし」

「……どうも」

 そう言ったけど彼女は受け取らず、右腰に提げた白いショルダーバックを探ると、カーキ色の長財布を取り出した。

「お代は」

「いいよそんなの。それより腕が疲れた」

 少女が慌ててカップを両手に包むと、僕はまた柱を支えにショーを観る。

 高く跳ぶ最終演目を終え、万雷というほどでもないにしろ大勢の拍手に見送られ、りっくんとまーちゃんは退場していった。

 僕も帰ろう。

 並ぶ大型ごみ箱に串を放り、館内に戻った。

 最後に青に満ちた水槽トンネルを、周りを見回しながらぼんやり歩いてると、後ろから袖を引かれた。

 目を向ければ、先程の女の子がこっちを挑発的に眇めている。

「え……」

「これ、落ちてたよ」

 そう言って彼女は鍵を突き出した。

 僕はポケットを探り、冷や汗を垂らす。

「ごめん、家の鍵だ。拾ってくれてありがとう」

 受け取ろうとすると彼女はすっと手を引き、また斜め掛けの鞄を探りだした。

「さっきのお礼。これ付ければ失くさないでしょ」

 ここの売店で購入したと思しきペンギンのキーホルダーだ。

 僕は受け取ろうとして、手を止める。

「ごめん、もう自分で買ってあるんだ」

 コートの内ポケットにしまったジュゴンのキーホルダーを見せると、彼女はぱちくりと瞬きしてから眉を下げる。

「……要らないなら」

「ちょ、ちょっと待って、交換しない?」

 バックに仕舞おうとした手首を咄嗟に掴んで、そんな自分に驚いた。

「そう?」

 彼女は気にした風もなく、再び贈り品を差し出してくる。

「じゃあ、はい」

「あぁ、うん。こっちも」

 自分で買ったやつも良いが、女の子から貰う以上の物もないだろう。

「お礼じゃなくなっちゃった。どうしよ」

 言いながら、小柄な女の子がミニチュアジュゴンを矯めつ眇めつしている。

「少年、ライン交換しよう。埋め合わせはまたなんか考えるから」

 スマホを向けてくる彼女に、僕も釣られてスマホを取り出した。

「私、真田明里さなだあかり。浪人生よ」

「……生駒秋広いこまあきひろ。高一っす」


         *


 時間はあってお金がない時は、河川敷をサイクリングする。

 別段、マウンテンバイクを持っている訳ではないし、服も普段着だ。

 それでも、空を流れる雲を眺めたり、揺れる梢の音色に耳を澄ませていると、心が凪いでいくのが分かった。

 家から川までは十五分とかで、そこからサイクリングロードを自転車でさらに二十分も行けば、市立図書館がある。

 気分的にはもっと走れるのだけれど、いつもここの自販機でコーラとか、メロンソーダとかを買って飲み、げっぷを堪えながら本を読むのが習慣になっていた。

 もうすぐ定期考査があるからか、ガラス張りの自習室は混んでいて、ノートにペンを走らせる姿を見ていると、胸がざわざわして落ち着かなくなる。

 本棚の陰にあるソファに腰を沈め、深く息を吐いた。

 少しずつ読み進めていたシリーズ物の児童文学が借りられていたので、今日のところは別のを持ってきた。

 アガサ・クリスティという有名な推理作家が書いたものらしくて、クラスの文芸部らしい女子達が話しているのを小耳に挟んだことがある。

 冒頭から古風な訳がされていて、欠伸を噛み殺しながら飛ばし読みをしていく。

 十ページくらい捲ったところから話が頭に入ってきて、気付けば一時間程熱中してしまった。

 耳にワイヤレスイヤホンを差して、音楽アプリを起動すると、スマホのスピーカーから曲が流れてきて、焦りつつ停止をタップする。

 確認するとブルートゥースが起動しておらず、そういえば最近イヤホンを充電した記憶もない。

 ゆるゆると首を振り、自転車のスタンドを蹴り上げて、乗りざまに漕ぎ出した。

 まだ日も登り切っていないが、帰って勉強でもしよう。

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