9
地響きは、足の裏から内臓を揺さぶるような不快な振動へと変わった。 天井からパラパラと砂塵が落ち、数秒前まで戦場だった広間を白く煙らせる。
「……おい、マジかよ」
ガルドが祭壇から後ずさる。 目の前で、宝珠が悲鳴を上げていた。不規則な明滅。ガラスの表面を走る亀裂が、まるで血管のように赤く脈打っている。
パキリ。ミシリ。 限界だ。
「……壊れる」 ミアが、焦げ付いた手を押さえながら呻いた。 「最初から……中身が腐り落ちてたのよ。あの男が指を突っ込んだのは、ただの引き金……。もう何百年も前に、ここは死んでたんだわ」
彼女はガリリと歯を鳴らし、恨めしげにガルドを見た。 (アンタが薬を盗まなければ、結界くらい張れたのに……!) だが、罵倒する気力も残っていない。
ガルドはミアの視線を無視し、乾いた音を立てて手を叩いた。 パン、パン、パン。 場違いな拍手が、崩壊寸前の広間に響く。
「ハッ、傑作だぜ」
ガルドの顔に浮かんでいるのは、恐怖ではなく、底冷えするような嘲笑だった。
「なんで正規の騎士団が全滅したのか。なんで俺たちみたいな『替えのきくクズ』が選ばれたのか。……やっと腑に落ちた」
彼は祭壇へ侮蔑の唾を吐きかけた。
「回収なんて建前だ。ギルドの連中は、このゴミ箱の蓋が閉まらなくなったから、俺たちを『重石』代わりに投げ込んだだけだ。……中で潰れようが、知ったこっちゃねえってな」
レオンは奥歯を噛み締めた。 怒りが腹の底で渦巻く。だが、今はその感情すら贅沢だった。
「……文句は生きて帰ってから言え。逃げるぞ!」
レオンが叫び、出口の回廊へ走ろうとする。 だが、リリィの声がその足を止めた。
「無駄です」
彼女は祭壇の前から動こうとしない。 その顔は死人のように蒼白だが、瞳だけは異様なほど澄んでいた。
「リリィ! 何をしている!」
「……音が、止まりました」
「あ?」
「外からの風の音。……森の気配。すべて消えました。……蓋が、されたんです」
その言葉を裏付けるように、遠くの回廊からドズン、ドズンと重い岩戸が落ちる音が響いてきた。 退路は断たれた。 完全な密室。そして目の前には、孵化寸前の「災厄」がある。
「……詰み(チェックメイト)、ってわけか」
レオンが剣を下ろした。 戦う相手もいない。逃げる場所もない。 ただ、天井が落ちてくるのを待つだけの処刑台。
パリンッ――。
硬質な音が広間に響き渡る。 ついに、宝珠が砕け散った。
中から溢れ出したのは、先ほどの比ではない量の「闇」だった。 黒い泥が噴水のように噴き上がり、天井を打ち、雨のように降り注ぐ。それは物理的な質量を持って、レオンたちの肌を焼き、骨を軋ませる。
「……来るぞ」
レオンが剣を掲げる。 絶望的な状況。体力も限界。魔力もない。 それでも、彼らは武器を構えた。 英雄的な使命感じゃない。「ふざけるな」という、理不尽な世界への最期の意地だけが、彼らを突き動かしていた。
降り注ぐ黒い雨の中、リリィだけが、悲しげに自身の胸元を握りしめていた。
「……ごめんなさい」
誰にも聞こえない声で、彼女は呟いた。 それは謝罪ではなく、これから犯す「罪」への懺悔のようだった。




