2
車輪が轍に嵌るたび、商隊の荷馬車は悲鳴のような軋みを上げ、乗員たちの尻を跳ね上げた。 幌のない荷台は居心地が悪く、積荷の獣臭さと、隣に座る「同業者」たちの体臭が混じり合って鼻をつく。
「……おい、聖女様。いい加減にしてくれねぇか」
ガルドが苛立ちを隠さずに吐き捨てた。 向かいに座るリリィは、出発してからずっと耳を塞ぎ、小刻みに震えている。
「……聞こえる。……痛い、頭蓋骨の裏側を、爪で引っ掻いてる……」
リリィの瞳孔は開ききっていた。焦点は誰にも合っていない。 彼女は時折、何もない空間を目で追っては、ビクリと身体を強張らせる。 「……何百人も、います。怨嗟、悲鳴、呪詛……この風の中に、ぎっしりと……」
それは「神の啓示」を受ける聖なる姿には程遠かった。まるで重度の妄想に取り憑かれた患者そのものだ。 隣にいたミアが、汚いものを見る目で露骨に距離を取る。
「気味悪いわね。アンタ、本当に神官なの? ただのイカれ女じゃないの」
「人のこと言えるのかよ、ヤク中」
ガルドが鼻で笑った。 ミアの指先が、小刻みに震えているのを彼は見逃していなかった。魔力欠乏による禁断症状。彼女は数分おきに腰のポーチをまさぐり、精神安定剤代わりのポーションの瓶があることを確認せずにはいられないようだった。
「……うるさいッ!」
図星を突かれたミアが、ガルドを睨みつける。 彼女の手が杖を鷲掴みにした。杖の先端に、赤い火の粉がバチリと弾ける。 ただの威嚇ではない。その瞳には、理性を焼き切る寸前の殺意が宿っていた。
「焼くわよ。……私を馬鹿にする奴は、全員灰にしてやる」
杖の切っ先が、狭い荷台の中でガルドに向けられる。
「やめろ」
ドゴッ、と鈍い音がした。 最後尾で沈黙していたレオンが、鞘に収めたままの剣でミアの手首を強打したのだ。
「あぐっ!?」 「同士討ちがしたいなら他所でやれ。……ガルド、お前もだ。余計な口を叩くな」
レオンの低い威圧に、ミアは涙目で手首を押さえ、ガルドは「へいへい」と肩をすくめて視線を逸らす。
だが、ガルドの手は止まっていなかった。 全員の注意がミアの癇癪に向いた、ほんの一瞬の隙。 ガルドは蛇のような手つきで、無防備になったミアのポーチへと指を滑り込ませていた。
指先が触れたのは、冷たいガラスの感触。 高純度の魔力回復薬。市場で売れば金貨数枚にはなる代物だ。
(へッ、チョロいもんだ)
ガルドは音もなく小瓶を抜き取り、自身の懐へと滑り込ませる。 こんなクズどもの命より、この青い水の方がよっぽど価値がある。 彼は舌なめずりをし、何食わぬ顔で景色を眺めるふりをした。
連携も、信頼もない。 あるのは互いへの侮蔑と、自分の利益だけを掠め取ろうとする卑しさだけ。 車輪の音が、不協和音のように彼らの沈黙を埋めていた。
「……森だ、降りろ!」
不意に、御者の叫び声が響いた。 街道の先、鬱蒼とした影を落とす森が、巨大な獣の口のように彼らを待ち受けていた。




