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呼吸をするたび、肺が焼け付くように痛む。 口の中は鉄錆のような血の味で満たされていた。
「ガアアアアッ!」
レオンは獣のような咆哮を上げ、迫りくる黒い触手を斬り伏せた。 だが、手応えはない。斬った端から再生し、数が増える。剣の刃はすでにボロボロに欠け、腕の感覚は麻痺して鉛の棒を振り回しているようだった。
「クソッ、きりがねぇ……!」
横合いからガルドが投げたオイル瓶が、影の表面で砕ける。 すかさずミアが、最後の魔力を絞り出して着火する。一瞬だけ炎が上がり、影が怯んだ。
「今よ! 時間を稼いで!」
ミアが叫ぶが、その顔色は土気色だ。 魔力が尽きかけている彼女は、自身の生命力を削って火を熾している。鼻からツーと一筋の血が流れ落ち、杖を握る手が痙攣していた。
「わかってらぁ!」
ガルドが瓦礫を蹴って飛び退く。 その左足は、不自然な方向に曲がっていた。先ほどの攻防でやられたのだ。脂汗を流しながら、それでも彼は盗賊の意地だけで動き続けている。
誰もが限界だった。 肉体も、精神も、すでに千切れている。
それでも背後には、一心不乱に祈りを捧げる少女がいる。
「――主よ。迷える羊に、断罪の光を……」
リリィの声は、戦場の喧騒にあっても澄み渡っていた。 彼女の周囲に淡い光の粒子が集まり始める。 だが、遅い。 あまりにも、影の再生速度が速すぎる。
影の巨人が、邪魔な羽虫たち――レオンたちに苛立ったように身を震わせた。 その虚ろな眼窩が、背後の光源を捉える。 本能が理解したのだ。自分を滅ぼしうる脅威は、あの祈る女だけだと。
ズオッ、と影が膨張する。 レオンたちを無視し、巨大な黒い奔流となってリリィへ殺到した。
「しまっ……リリィ!!」
レオンが叫び、身体を割り込ませようとする。 だが、足が動かない。限界を超えた筋肉が悲鳴を上げ、地面に膝をついてしまう。
届かない。 間に合わない。
影のあぎとが、祈る少女を飲み込もうと大きく開かれた。
「――終わりか」
絶望が脳裏をよぎった、その瞬間。
「……受け入れなさい」
リリィがカッ、と目を見開いた。
音が、消えた。
轟音も、悲鳴も、崩落の音も。 世界からすべての音が吸い取られたような静寂。 直後、リリィの身体を中心として、音のない爆発が起きた。
それは、暴力的なまでの純白の光。 視界が真っ白に染まる。 熱くはない。ただ、恐ろしいほどに冷たく、清浄な光が広間を満たした。
影が――あの不死身の怪物が、悲鳴を上げることすら許されず、光に触れた端から分子レベルで分解されていく。 黒い泥が、雪のように白い灰へと変わっていく。
圧倒的な「神威」。 それは奇跡と呼ぶにはあまりに強大で、恐ろしい光景だった。
やがて、光が収束する。
レオンは薄目を開け、呆然と目の前の光景を見つめた。 影は消え去っていた。 塵一つ残さず、完全に浄化されていた。
広間の中央。 リリィが一人、ゆらりと立ち尽くしている。 その法衣はボロボロで、肌は透き通るように白い。
「……リリィ?」
レオンが掠れた声で呼ぶ。 リリィがゆっくりと振り返った。 彼女は微笑んでいた。聖画の中の女神のように美しく、そしてどこか――この世の者ではないような儚さで。
「……終わりました」
彼女の声は優しかった。 だが、レオンの背筋に冷たいものが走った。 勝ったはずだ。助かったはずだ。 なのに、なぜこんなに不安になる?
足元で、何かが崩れる音がした。 見れば、祭壇の上の宝珠――その破片すらもが光になって消え去ろうとしていた。
この遺跡には、もう「封印の器」がない。 だとしたら、彼女は今、一体「何を使って」あの影を消し去ったのか?
レオンの問いが形になる前に、リリィの身体がぐらりと傾いた。




