退院
退院の日がやってきた。一か月近く入院してしまったが、大学の入学式に間に合ったのは良かった。
荷物は事故に遭った時の鞄。後は制服だ。卒業したのに、制服を着るというのもおかしな話だが、外向けの服がこれしかないのだから仕方がない。
俺の返り血は綺麗に拭き取られていて、生臭さは一切感じない。病院の関係者には感謝の念しかない。
「お世話になりました」
受付にお礼を言って、万感の思いで、病院の外に出ると、得も言われぬ開放感が心を支配した。外を見ると、陽気な日差しと桜の芽が顔を出し始めていた。昨今は、入学式に桜が咲き終わることが多くなったが、この分なら入学式には満開になっているだろう。
「さてと、ッ……」
まだ完治はしていないから傷が痛む。外見上、右腕以外は普通の人に見えるだろう。ただ、服の下は包帯ぐるぐる巻きだ。歩くのもやはりしんどい。
「はぁ……たったの数歩がここまでしんどく感じるなんてなぁ……」
無理せず、もう少し入院すべきだったのだろうかと少し後悔した。
「聡く~ん!待ってよ!」
「ん?」
振り返ると、桜月が車椅子を押しながら、走って俺を追いかけてきた。
「まだ怪我が治り切っていないんだから、1人で出歩いちゃダメだよ?ほらほら座って」
「あ、え~と、ありがとう」
言われるがままに、桜月に車椅子に乗せられた。そして、桜月は頬を含ませて、腰に手を当てた。
「水臭いよ、聡君。退院する日に一人で帰っちゃうなんて」
「いや、まさか来てくれるとは思わなくて……」
「そんなわけないじゃん。まだ完治していない聡君を一人になんてさせられないよ!」
「桜月……」
いい子過ぎる……
桜月のヒロインムーブが眩しい。まさか退院した後まで付き添ってくれるとは思わなくて嬉しくなってしまった。
「それじゃあ邪魔者が来る前に「何してるのよ!?」ちっ」
あれ?今、舌打ちした?
車椅子に乗っていて、後ろの桜月の声しか聞こえなかった。多分、気のせいだろう。それよりも、この声も聞き覚えがあった。
後ろから激しい靴音が聞こえてきた。振り返ると、銀髪を靡かせながら麗音が鬼の形相で走ってきていた。そして、桜月の前で止まるとキッと睨んだ。
「聡様をお迎えするときは抜け駆けしないって約束したでしょう!?」
「誤解だよ、麗音。少し早く聡君が出てきたから、先に行ってようと思っただけだから」
「……白々しいわね」
「何のことかな~?」
桜月は麗音の剣幕を柳に風と受け流していた。
「麗音も来てくれのか」
「え、ええ。退院したとはいえ、大変だろうから。迷惑だったかしら……?」
不安気な表情で俺を見上げてきた。
「いやいや。来てくれて嬉しいよ。二人とも、ありがとな?」
「べ、別に」
「えへへ、ありがとね~」
麗音は自分の髪をくるくると回しながら、そっけなくしているが頬が赤くなっている。桜月は満面の笑みで俺の言葉を喜んで受け取った。
「……何をしてるのかな~?」
「そうですか。そういう手段に出るのですね」
ほわほわな声と凜とした敬語。思わず、前を見ると、ニコニコと聖母スマイルを浮かべる朱奈と無機質な笑顔を浮かべている紫乃がいた。二人とも俺ではなく、後ろにいる桜月と麗音を責めるように見ていた。
「あら、朱奈と紫乃じゃない。どうしたのかしら?」
「ふふ、わざとらしくとぼけらっしゃるのですね。麗音さんは」
「なんのことかしらね?」
麗音と紫乃の視線がぶつかる。二人ともニコリと笑っているのに、冬に戻ったみたいだ。
「二人とも喧嘩は駄目だよ。【四方協定】を忘れたのかな?」
にらみ合っていた麗音と紫乃がジト目で桜月を見た。
「桜月がそれを言うのかしら……?」
「一番最初に破ったのは桜月さんですよね?この眼でしっかり捉えましたけど」
「……なんのことかな?」
「なぜ視線を逸らして答えるのですか?」
桜月が苦しい言い訳だと思っているのだろう。麗音と紫乃が徐々に桜月を壁際に詰めていく。
すると、俺の車椅子が動いた。後ろから朱奈が押したようだ。
「朱奈?」
「し~」
朱奈は口元に指を当てた。
「喧嘩する三人は放っておいて行こ~」
「え?あ、でも」
「いいからいいから~」
そう言われて徐々に桜月の弾劾裁判をしている麗音たちから離れていく。
「ねぇねぇ、聡君。私の頼みを聞いて欲しいんだけど、いいかな~?」
「頼み?いいけど」
「ありがと~。実は大学入学を機にスマホを買うことになったんだ~。私、そのあたり何も分からないから聡君に付いてきて欲しいの」
「なんだ。そんなことか。俺も事故でスマホを壊したから新しく買い替えようと思ってたんだ。一緒に行くか」
「うん!ありがと「待ちなさい……」ちっ」
アレ?今、ほわほわな朱奈から舌打ちが聞こえた気が……
「全く油断も隙も無いわね」
「何のことかな~?」
麗音が朱奈を責めているが、全く意に介していない。ポーカーフェイスは一番強いかもしれない。
「聡さん」
「紫乃か。どうかした?」
俺の前で跪くと、俺の手を取った。
「いえ、ただ、退院おめでとうと言いたかっただけです。本当に良かったです」
「あ、うん。ありがとう」
普段仏頂面の紫乃からの笑顔は強力だぁ!
気恥ずかしくなって、視線をそらしたのだが、逸らした先に、ハイライトを消した桜月がいた。
「ズルい……」
「はて?なんのことでしょう?」
「分かってるくせに……」
桜月と紫乃、朱奈と麗音が互いににらみ合っていた。俺に喧嘩を止める手段はないし、車椅子に座らされてるから、逃げることもできない。俺は現実逃避と同時に思考に沈むことにした。
それにしても【四方協定】なんて懐かしい名前だなぁ……
佐野とハーレムエンドを迎えた後に、ヒロイン同士が佐野を巡って喧嘩をしないようにするために作ったものだ。個別ルートやバッドエンドでは絶対に出てこない単語だ。
まぁ結局、みんなそれを破ってイチャイチャし続けるんだけどな……
ただ、気になることがあるのも事実だ。ヒロイン同士の仲が良くなることがハーレムエンドの条件だった。そのためにヒロインが個人で抱えている問題を解決しなければならなかったのだが、佐野はそれを成すことができなかった。
つまり、仲が悪いまま対立していたから、あの最低な告白が受け入れられることがなかった。今はどうなんだろうか。
まぁ些細なことか。
「聡君、どうかした?」
桜月が俺に声をかけてきた。少しボーっとしていたらしい。ヒロインたちは言い合いをやめて俺を見ていた。
「お前らが生きててくれて、本当に良かった……」
「━━━」
不思議だな。空は快晴なのに、視界が滲んできた。
俺が守りたかったのは製作者たちの都合で潰された彼女たちの未来だ。そのために俺は命を懸けた。
そして、即死エンドを乗り越え、彼女たちは”今”を生きている。それだけで俺の人生に意味があったのだと思わされた。
ここから先のシナリオはない。ヒロインたちはようやく解放されたのだ。
すると、俺を一心に見ているヒロインたちと目があった。カーっと顔が熱くなった。
「ごめん、ダサいところを見せた。ちょっと待ってくれ」
恥ずかしさが一気に押し寄せてきた俺はごしごしと涙を拭うが、声がしゃくり上がり、いつも通りを装うとすればするほど、墓穴を掘ってしまっていた。
「ダサくなんかないよ。君はいつだって私たちを助けてくれたじゃん」
「……え?」
肩に、背中に、腕に次々と手が絡みついてきた。これが四人のモノだと気付くには少しだけタイムラグがあった。
「なに……を?」
「私たちにとって君は救世主なんだよ~?カッコ悪いなんて思うわけないでしょ~?」
「貴方がいなかったら私は生きていられかったわ」
「ダサいなんて言わないでください。聡さんは誰よりもカッコいいです」
ぼつりぼつりとこぼされた温かい言葉が耳に吸い込まれ、不思議と胸の奥に残った。
ああ、報われたなぁ……
そんなことを思っていると、四人が俺から離れた。そして、優しい瞳で俺を見てきた。
「さっ、退院祝いと行こうよ!聡君のために焼肉予約したんだよ!」
「え!?マジ?」
桜月の言葉に思わず反応してしまった。病院食ばかりで、肉が猛烈に食いたかった。釣られるように腹が鳴ってきた。
「はぁ……自分の手柄のように言わないでください、桜月さん。東雲財閥が経営している高級焼肉店です」
「死ぬほど高いんじゃ……」
途端に青くなる。佐野のせいで散財したから、もう手元にほとんど残っていないんだが……
「お祝いで聡さんにお金なんて出させませんよ。今夜は全員タダです」
「おお……ありがとうございます……」
どうしよう。紫乃が神様に見えてきた。
「焼肉なんて何年ぶりだろう~」
「私は人生で初めてよ。家族で外食なんてしたことがないもの……友人もいなかったし……」
「お前らはたくさんお食べ」
朱奈と麗音には優しくしよう。せめて苦労した分は幸せになってほしいな。
「さ、それじゃあレッツゴー!」
桜月の元気な声が響き渡った。
◇
聡君は本当に優しいね。
そんな君を好ましく思うよ。
突然だけど、ごめんね?
私たちは君に二つ、隠し事をしているんだ。
あの日、私たちが死ぬのを知っていたんだね。
自分を犠牲にして助けてくれた君には返しきれない恩ができちゃった。
ありがとう。
ううん。それだけじゃない。
君は私たちをずっと助けてくれていたんだよね?
『世界の強制力』だっけ?
それのせいで、私たちは覚えていないけど、知っちゃったんだ。
だから、君のことを生涯支えようと思います。
ずっと陰から支えてくれていた君にはそれだけの恩があるんだ。
他の三人もそうだと思う。
そして、もう一つの秘密。
それは、私たちの心と命を弄び、聡君を傷つけた『世界の強制力』とその意志を司る諸悪の根源━━━佐野優斗を殺すことだよ。
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