北川麗音
俺が入院している病院は県内でも屈指の大きさを誇る病院だ。設備、人員、医者の質のどれをとっても県最高級だ。なぜここまで詳しいかというと佐野がケガをして、この病院に運びこまれるというエピソードがあるからだ。
病院の中庭の規模は中々大きい。マックやコンビニもあるので、暇を持て余した病人たちが集まっている。
俺はあまり人混みが得意ではないので、裏庭の花壇を見に行った。花壇の花は春の訪れを表すかのように、少しずつ咲き始めた。冬の寒さを耐え抜いて、ようやく顔を出せたとことに安堵しているようだった。
車椅子を押されながら、外の風景を見る。俺にもようやく外出許可が下りたので、久しぶりの外を実感していた。
そして、俺の車いすを押してくれているのは、北川麗音。【四方美女】の一人で、【LoD】のヒロインの一人だ。
「良い眺めね……いつの間にか春が来たのね」
「そうだな……少し前まで受験でいっぱいいっぱいだったから、景色を眺める暇もなかったしな」
「ええ」
受験云々は半分嘘だ。勉強は一日一時間ほどしかやっていなかった。前世の知識があったからな。
それでも俺に余裕がなかったのは事実だ。死ぬ日が決まっていたから何をしても焦っていた。
何気ない風景だが、今の俺には普通のことですら、感動できるようだ。死にかけたおかげで生命に対する感動をより味わえるようになったのかもしれない。
俺はちらりと、後ろにいる麗音を見た。
「どうかした?」
「いや、なんでもない……」
相変わらずとんでもない美人だ……
長くて絹のような美しい銀髪をツーサイドアップにしている。深蒼の瞳は永久凍土の中に閉じ込められているようだった。全体的に『冷たさ』を感じさせる麗音からは春に移り変わっていく季節に置いてかれたような異様さを感じさせられた。
まぁ、そのイメージは間違っていない。何もかもが氷柱のように鋭く、基本的に一人で行動することが多く、窓際の席で本を読んでいるその姿を見た生徒たちに孤高の令嬢と呼ばれている。
そんな氷の令嬢を溶かしたのが佐野優斗という『傑物』だ。やっぱり主人公って凄いわ(棒)。
すると、麗音が俺に向かって勝ち誇った笑みを浮かべてきた。
「分かってるわ。私に見惚れたんでしょ?」
「い、いや。違うけど」
素直に見惚れたというのは悔しくて思わず反論してしまった。
「麗音の後ろにあるハナミズキを見て、綺麗だなぁって思っただけだからな?」
「聡は嘘が下手すぎよ。素直な男の方が私は好きよ?」
「……死ぬほど見惚れてました」
好きという言葉に釣られてしまった。
これが男子の性だ。男子チョロいよぉ……
「そうね。私は美しいから」
得意気に自分の容姿について自画自賛を始めた。事実だから何も言わないけど。
そして、ここから罵倒が始まるのだ。
「家畜の性別じゃ仕方が……」
来た来た来た!
麗音十八番の罵倒が始まるぞ。
麗音は孤高の令嬢と言われて久しいが、コミュ障なだけだ。この性格が災いして、友人がいない。特に男子に対しては明確な壁を作っていた。
最初、プレイした時は、なんだこのいけ好かない女は、と思ったが、その理由は周囲の環境にある。
麗音の罵倒は人間への恐怖の裏返しなのだが、主人公が好感度上げていくと、麗音はだんだん素直になっていく。その過程がいいのよ。
そんなわけなので、麗音の深層心理を知っている俺からすれば、麗音の罵倒はご褒美に近い。まだ好感度が上がっていなかった頃の麗音を思い出させられて、密かに感動していた。
ただ、中々続きの言葉が出てこない。
「麗音?」
俺が後ろを振り向くと、俺の顔を水滴が撫でた。
「ごめんなさい」
「え?」
麗音からの謝罪は【LoD】の中でも稀だ。好感度を上げまくった末に起こる希少イベントの一つだ。いや、今はそんなことはどうでもいい。
麗音の様子がおかしい。
「ど、どうしたんだ?」
すると、無表情の麗音が口を開いた。
「私は酷い女よ……」
そして、ぽつぽつと語り始めた。
「命の恩人の聡に対して、家畜の性別なんて最低の悪口よね。ごめんなさい」
「あの、麗音?」
「性格が悪いのよ。だから、命の恩人の貴方にさえ、悪口を言ってしまう。嫌になるわ。そんなゴミクズは誰よりも優しい聡様の傍にいちゃいけない人間なのよ」
「お~い」
「だから、もう私は貴方の前から消えるわ。できることなら、貴方に殺して欲しかったけれど、そんな迷惑はかけられないものね……誰にも知られないところでひっそり死ぬわ。富士の樹海とかがいいかしら。こんな酷い女には惨めな死が、お似合いよ……」
そう言うと、麗音は手で顔を隠して泣き始めた。
それより殺すってなんだよ!?そんな重いことを考えないでくれよ!?
桜月といい、麗音といい、簡単に闇落ちしないでほしい。このままだと本当に死んでしまうかもしれないと思ったので、俺は全力でフォローすることにした。
左手をなんとか動かして、車椅子の向きを反転させた。
「何も気にしてないから、安心してくれよ。俺は麗音が優しいのを知ってるから」
「……あんな言葉が息をするように出てくるやつなんて良い人間なわけないじゃない……気休めはいいわよ」
いやぁ……これは重傷だ。
下手なことを言っても麗音が信じてくれることはないだろう。逆に、麗音を傷つけることになってしまう可能性があるからな。
仕方ない。俺も腹をくくるか。ズルをしようと思う。
「気休めじゃない。麗音が強いことを言うのは人間関係のトラウマ、特に男に対しての恐怖心から来ているんじゃないか?」
「え、あ、えと、そうね」
分かりやすく狼狽していた。まぁこんなことを言ってくる人間なんていないだろう。
それだけ、他人に対して、強く当たり続けていた。
実は麗音の母親はシングルマザーなのだが、男をひっかえとっかえするクズ。そして、麗音は家でも日常的に暴力を振るわれていた。その上、麗音は綺麗だ。母親が連れて来た男に言い寄られることもあった。そのせいで、男性恐怖症になった。
さらに言うと、自分の想い人を奪い取ろうとする麗音に母親が切れて日常的に暴力を振るっていた。
だから、人付き合いが苦手で、他人を強く拒絶する。その行動がトラウマから来るものだと考える者はいなかったはずだ。
「だったら、何も気にしなくていい。俺は麗音の気持ちはわかってるしな」
「ッ、でも、私は本当に性根が悪いの。だから……!」
「麗音」
俺は無理やり言葉を被せて、麗音の言葉を遮った。
「何度も言わせるな。麗音の気持ちは分かってる」
麗音が強い言葉を使うのは周囲への警戒心から。もう一つは照れ隠しだ。
主人公の佐野と仲良くなっていく過程で、麗音は褒められると強い言葉を使ってしまう。俺はそれをニマニマと見ながらプレイしていた。
今回の場合だと俺が麗音に見惚れてしまったことだろう。常にモテ続けているとはいえ、人に褒められて嫌な思いをする人間はいないはずだ。それがモブからの賞賛だってあったとしてもだ。
すると、麗音が跪いて俺の右手を取ってきた。そして捨て猫が俺を見上げるように涙をにじませながら見上げてきた。
「ごめんなさい。少しずつこの性格を直していくから私を捨てないで。嫌いにならないで」
「だから、嫌いにならないよ。そもそも強い言葉を使う麗音だって、魅力的だから直す必要もないって」
俺の言葉を聞いた麗音は一瞬呆けた後、俺の膝に顔を埋めた。
「そんなことを言ってくれるの、聡様だけ。ありがとう」
「そうか……」
まだ足に痛みがあるのだが、今、痛がったらまた闇落ちしてしまう。全力で我慢した。聡様呼びもな。
すると、徐々に人が集まってきた。花の生命力は傷ついた俺たちにとって心の励みになる。患者たちにとっても日々辛い治療や病気と闘うための心のオアシスとなるのだろう。
ただ、全員が全員俺たちを見ると生暖かい瞳を向けて来た。
この視線は居心地が悪い。そろそろ麗音を呼び起こそうと思ったが起き上がる様子が全くない。
「ねぇ、お願いがあるのだけれど」
「何?」
どっから声が出てんだ……?
俺の膝にうずくまりながらそんなことを言ってきた。
そろそろここから離れたいんだがな……
「頭を撫でて欲しいの。いいかしら……?」
「え?」
そんな主人公ムーブを俺がしていいのか……?
躊躇していると麗音が不安そうに面を上げた。
顔小っさ!?
「駄目……?」
「分かったよ……少しだからな?」
「うん、お願い」
かわよ!
周囲の人の生温かさの純度が増した気がする。麗音は全く気付いていなようだった。俺は恥をかなぐり捨てて、麗音の髪を撫でると、高級な織物のようだった。滑らかなだけではなく、手に吸い付くようで感触も気持ちよかった。
「く、くすぐったいわ」
「あ、ごめん」
あまりにも感触が良いから、夢中になってしまった。現実に戻ると、オーディエンスがたくさんいた。自覚してみると、この環境にはもうこれ以上耐えられない。
「麗音、そろそろ部屋に戻ろう」
「あ、そ、そうね」
自分を取り巻く状況を知って、麗音は恥ずかしがっていた。可愛いなこいつ。
そして、逃げるように俺たちは顔を見られないように地面を見ながらこの場を後にした。病院内まで戻ると、ようやく人の視線から逃れられた。
このまま病室に戻って大人しくしていよう。
「━━━ねぇ」
「ん?」
麗音が後ろから声をかけてきた。
「聡様、じゃなくて、聡はどうして、私の家庭に問題があるって知ってたの?」
車椅子を押しながら、麗音が聞いてきた。
「アレ?麗音の家庭に問題があるなんて言ったっけ?」
「ええ、はっきりと」
マジか……これはやらかした。
麗音は自分の家については隠している。それを知っているのはごくわずかだ。つまり、俺が知っているのは色々おかしい。
「佐野が麗音について話しているのを聞いたんだ」
我ながら完璧な逃げ方だ。佐野がどうなろうが知ったこっちゃないからな。
「そう……」
俺の病室が見えたのだが、廊下の蛍光灯が切れかかっていて、消えたり明るくなったりを繰り返していた。なんとなく不気味に感じた俺は沈黙を破りたくなった。
「佐野が絶対に解決してやるって息巻いてたぞ。アイツ良い奴だよなぁ。俺は誰かのために何かをしてやることなんてできないから佐野みたいなやつが凄いと思うよ」
「そう」
ええ……どういうこっちゃ
桜月は例外だが、他のヒロインたちは佐野のことをまだ好きなはずだ。それなのにこの反応の薄さはどういうことだろう。
すると、車椅子が止まった。麗音が押すのをやめたらしい。
「どうしたんだ、麗音、ぐびゅ!?」
首を上げて、後ろの麗音を見ようと思ったら、両手で頬を掴まれた。瞳孔が開きっぱなしの麗音が俺のすぐそこまで顔を近づけた。
「ねぇ、聡君。私たちの命を助けてくれた貴方は誰よりも誰かのために行動ができる素晴らしい人間よ。だから、自分を卑下しないで」
あまりにも真っすぐなまなざしを顔を固定されたので逸らすことができなかった。
「ありがとう。嬉しいよ……」
「いい子ね。素直な聡様を好ましく思うわ」
ニコリと笑って俺を覗いてきた。
それより、顔が近いんですけど!?
「だけどね━━━」
蛍光灯の点滅が終わって電池が切れたようだ。俺たちの周りだけ夜のように闇に包まれた。麗音の深蒼の瞳だけが輝いていた。
「あのクズ、佐野優斗のことはもう口にしないで。特にあなたの口からはもう二度と聞きたくないわ」
「え……?」
「あいつはこの世界の癌よ。汚物を被った方がマシだと思えてしまうほどの存在。聡様と比較することすらおこがましいわ」
「そ、そんなにか。でも、好きだったんだろ……あ」
最悪だ。俺の軽口に蓋をしたい。
「ええ、好きだったわ。いえ、━━━好きにさせられたのよ」
好きにさせられた……?
一体どういうことだと聞こうと思った時、俺は麗音から解放された。そして、俺が前を見ると、後ろから麗音が俺の首に抱き着いてきた。
「でも、もう目が覚めたわ。救世主様のおかげでね。これからは私が聡様、いえ、聡を支えるわ。『一生』ね」
「あ、ああ。頼むわ」
「ええ、任せて頂戴」
重すぎるんだって!?
抱き着かれているのに嬉しさではなく、恐怖と焦燥感が募っていく。
早く退院して、ヒロインたちの負担にならないようにしようと心から誓った。
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