ハロウィン
「……っと、これでいいかな」
鏡の前で、蝶ネクタイの位置を微調整する。
今日はハロウィン。みんなで仮装大会をしよう、という話になっている。
だが、なぜか俺の衣装はみんなが選んだものらしい。
黒のタキシードに、裏地が深紅のマント。そして、おまけに付け八重歯まで。
姿見に映る俺は完全に吸血鬼。夜会にでも招かれた貴族のようだった。
今日は、ハロウィン。みんなで仮装大会をしようということだった。
思わず、鏡の中の自分に苦笑する。
「誰が選んだんだろうな……」
文句を言いつつ、内心では少しだけ悪くないと思っていた。黒と赤のコントラストが意外としっくりくる。
その時、部屋の奥から明るい声が響いた。
「聡君! こっちは準備ができたよー!」
桜月の弾むような声が、廊下越しにもはっきりと聞こえた。
部屋の方からは、笑い声と衣擦れの音が聞こえてきた。
「さてーー俺も行きますか」
マントをわざとらしく翻して、軽く息を整える。せっかくのハロウィンだ。どうせなら、存分に楽しもう。
扉の向こうに舞っているであろう笑顔を思い浮かべながら、俺は静かにドアノブを握った。
「トリックorトリート!
……え?」
勢いよく扉を開けた瞬間、目の前に飛び込んできた光景に、俺は思わず固まった。
そこにいたのはーー三匹の獣だった。
「やっほー聡君! トリックorトリート」
「お菓子をくれなきゃ~」
「い、悪戯しちゃうわよ?」
桜月、朱奈、麗音ーー三人揃って満面の笑み。
いつも通り明るくて、いつも通り可愛い。けれど、それ以外の部分がまるでいつも通りじゃない。
「……その格好は何ですか?」
「ビーストのコスプレ! がぉ~♪」
桜月が両手を猫みたいに丸めて、怪獣のように笑う。
一言で言っていいですか?
ーードスケベすぎる!
ピンク、オレンジ、ホワイトーー三人それぞれのテーマカラーに合わせた毛並みの装飾が、まるでぬいぐるみのように柔らかそうだった。
肩や腕、脚にはふわふわの毛が巻き付くようにデザインされていて、動くたびにふわりと動く。
……が問題は、その間だ。
モコモコとモコモコの間から覗く、きめ細やかな肌。大事な部分は隠れているが、肌はほとんど露出されている。
照明の光が反射して、三人の肌がやけに艶っぽく見えた。
視界が勝手に理性が危険信号を鳴らす。
ドスケベすぎる(二回目)!!!
「ーー私を無視しないでください」
背後から聞こえた静かな声。
聞き慣れたはずの紫乃の声なのに、今日はやけに危険な響きがあった。
俺は反射的に、その方向を見ないようにしていた。いや、正直に言えば、気にしたら負けだと思っていた。
だが、無視できるわけもなく、俺はため息をついた。
ーー大和撫子が全裸で立ってる。
いや、胸の谷間にかかる髪の束が、まるで下着のように整えられていた。いわゆる髪ブラというやつだ。
「なぁ、紫乃……」
「はい」
いつもの落ち着いた返事。その余裕が逆に怖い。
「そのコスプレは……何?」
「決まってますーー透明人間です」
「そうきたか~……」
俺は思わず天を仰いだ。
今日も我が家の頭脳は絶賛暴走中らしい。
「ああ、でも、今風に言うなら、『ドスケベの悪魔』ですね」
「紫乃は一回怒られろ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れた。
俺の声が響くと、横で見ていた桜月がぷくっと頬を膨らませた。
「ほらほら、紫乃。聡君、呆れてるじゃん? ビーストに着替えよ?」
「で、ですが……」
「聡君はシャイなんだから、そんな恰好で出てきたら照れちゃうよ~」
「お前らにも言いたいんだけど!?」
俺のツッコミはもはや誰にも届かない。
桜月と朱奈は楽しそうに紫乃の肩を押し、結局、紫乃もしぶしぶと衣装を手に取った。
黒を基調にしたファー素材のビースト衣装。
俺は視線を逸らした。紳士だからな。
「ねぇ……」
「ん?」
小さな声に振り向くと、麗音がそこにいた。
両腕で胸元を隠しながら、肩をすぼめている。頬は真っ赤で、湯気でも出そうなほどだ。すっかり借りて来た猫のような表情で、俺を見上げていた。
「その、衣装、似合ってるわ……」
ぽつりと、蚊の鳴くような声。視線は合わせられない癖に、耳まで染まっている。
「あ、ありがとう。麗音も」
「~~っ!恥ずかしいわ……ッ!」
顔を真っ赤にしたかと思えば、麗音は俺のマントの中に潜り込んできた。突然の接触に心臓が跳ねる。
もこもこの毛並みが肌を撫で、柔らかい感触が伝わってくる。
本人は必死に隠そうとしているのだろうが、これでは逆に刺激が強すぎる。
「桜月たちに言われたから着たけれど、こんなの痴女よ……」
「麗音ぇ」
「ふふ」
思わず、その小さな肩を抱き寄せた。
誰だ! 乙女にこんな恰好をさせたのは!
「それより、聡君さ~」
「ごめん! 俺は麗音を介抱するのに忙しいんだ! 愛してる!」
「私も……!」
俺はドスケベたちを必死に無視して、マントの中の麗音の頭を撫で続けた。
「そういう態度を取るんだね~」
朱奈の口調はゆるやかだったが、どこか愉しげだった。悪戯っぽい笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「お菓子をくれなかったからーー悪戯しちゃうね」
桜月の声が背後から聞こえてきた瞬間、息が止まった。
次の瞬間、ふわりと何かが背中に触れる。柔らかく、温かく、そして甘い香りがした。
「っむぐ!?」
「顔の前にも後ろにも何かが押し当てられ、視界が一瞬真っ暗になる。
空気がふわふわしていて、呼吸ができない。俺は手を伸ばして、この楽園から抜けだそうとした。
けれどーー
「あん……」
「聡君の、エッチ~」
桜月と朱奈の声が耳元に弾んだ。
今、俺が囚われてるのが、おっぱい山脈だと気付いた時には、もう遅かった。
「--絶対に逃がさないよ」
囁き声と同時に、何か冷たいものが桜月と朱奈の柔肌と頬の間を伝った。
ほんのり甘い……生クリームか?
「はぁ、羨ましいです。後で、私にも代わってくださいよ~?」
「私も……」
頭上から聞こえてきた紫乃と羨むような麗音の声がさらに混乱を呼ぶ。どうやら、全員が全員、ハロウィンの悪戯を実行しているようだった。
「どう、聡君。疑似授乳だけど、美味しいでしょ~?」
なんじゃそりゃ!?
顔を真っ赤にして叫ぼうとするが、桜月も朱奈も嬉しそうに笑っているだけだった。
「喜んでるね~。もっと締め付けちゃお~」
朱奈と桜月がさらに密着してくる。
桜月たちの胸についた生クリームが入り込んでくる。桜月や朱奈の肌を伝っているからなのか官能的な甘さがあった。
もう何がなんだかわからない。
次の瞬間、両耳に息が吹きかかる。紫乃と麗音のものだった。
「お兄ちゃん、大好き。愛してる。もうお兄ちゃんがいないと生きていけないの。好き好き、好きぃ」
麗音が俺にお兄ちゃん呼び!?
「姉はここにいますよ~。ふふ、聡はいつまで経っても甘えん坊なんですから……」
紫乃の姉プレイ!?
紫乃と麗音の姉妹ASMR。
なんだこれ。夢か?
次の瞬間。
「あむぅ」
「えろ」
ーーッ
麗音は俺の耳を甘噛みして、紫乃は俺の耳の中に舌を入れて舐めてきた。
前と後ろは桜月と朱奈のおっぱいサンドイッチ。そして、麗音と紫乃は俺の耳に時々甘い声をかけながら、舐めてくる。
「ーーふぅ、これくらいにしておこうかな~」
桜月が名残惜しそうに手を離した。それを合図に他の三人もゆっくりと距離を取る。
解放された俺は、へなへなと座り込んだ。全身の力が抜けて、頭の中が真っ白だった。
「私たちは発情ビーストですからね。お菓子をくれなければ、悪戯しちゃいます♡」
「そうだぞ~!がおー」
「が、がおー」
四人が揃って両手を上げ、腰をひねって、尻尾の飾りをふわりと揺らしながらの、がおーポーズ。
「……可愛いからそのままでいて欲しい」
近くのティッシュで顔を拭う。ほんのり甘い香りが残っていて、なんとも言えない気分になる。
「さ、次は聡君の番だよ?」
「え?」
桜月がにやりと笑う。その笑みを見た瞬間、嫌な予感がした。
「私たちは、君にお菓子を返してないじゃん。悪戯しないとだよ?」
「いや、俺はもうクリームをーー」
「ちなみに悪戯の内容は、聡君の恰好に合わせた悪戯ね?」
逃げることはできないと悟った俺は、ため息をついて覚悟を決めた。
「ーーなら、俺は桜月たちを噛めばいいのか?吸血鬼だし……」
「それはとっても魅力的な提案です! どうぞ、どこでもーー」
「ドスケベの悪魔は黙ってなさい!」
興奮した紫乃を麗音が押さえつけた。
「ふふ、聡君。君のコスプレは吸血鬼じゃないよ~」
「え? そうなの?」
朱奈が微笑んだ。
どこからどう見ても吸血鬼なんだが……
「正解は~
ーーインキュバス」
「……はい?」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍る。
四人の視線が一斉に俺に向けられた。いつもの笑顔のままなのに、空気の温度が一気に変わった気がした。
「お、俺が襲う側なら、襲わない自由もあるわけでーー」
もう逃げられないことは知っていた。けれど、言わないわけにはいかなかった。
「それじゃあ、聡君。
ーーハッピーハロウィン」
……次のハロウィンは、絶対に逃げよ。




