風邪を引いた……
「コホン……コホン……」
風邪を引いた……
いや、普通に風邪を引いただけなんだが……しんどい。
大学のレポートを締め切りギリギリまで放置して、二徹で無理やり仕上げたツケが、今ここに来て回収されているのだろう。
まぁ、体調不良なんて寝てれば治る。
問題は、四人だ。
俺が寝込んでいると知った途端、全員が「看病する」と言ってきかず、学校に行くのをサボろうとしたのである。
紫乃なんて、わざとらしく長い黒髪を掻き上げ、艶やかな仕草を添えて自信満々にこう言い放った。
「ハーバード大学の教授によれば、病気には房中術が効果的だという研究が発表されておりまして」
……病気の俺に、勃たせろとでも言うのか?
後、房中術は色仕掛けだ。
麗音は麗音で━━━
「やだぁ!聡、死なないでぇ!」
滝のような涙を流しながら、子供のようにガン泣きしていた。
いや、ただの風邪だよ?
君、この年までどうやって生きてきたの?
そんなカオスな空気の中、比較的まともなお姉さん組の二人が、紫乃と麗音をなんとか宥めて学校へと引きずっていってくれた。
……心の底から感謝する。
あれ以上騒がれたら、風邪どころか命が縮んでいた。
とりあえず寝るか……
◇
「ただいま!」
玄関から、桜月の肺活量を全力で使った元気な声が響き渡る。その勢いに思わず目が覚めた。
「聡君、元気~」
続いて聞こえてきたのは、朱奈の気の抜けたスローテンポな声。
布団の横に置いてあったスマホに手を伸ばすと、時刻はすでに17時を回っていた。俺は重い身体をなんとか起こして、ロフトの下を覗き込む。
「おかえり、早かったな」
「まぁね!聡君が心配だったから!」
桜月が胸を張って即答する。その後ろで朱奈も、心配そうにしながらもいつものゆるい笑顔を浮かべていた。
「はは、心配ご無用。おかげさまでだいぶ良くなった」
実際、朝に比べたらだいぶ楽になっている。
「そういえば、麗音と紫乃は?」
俺が周囲を見回すと、桜月が両手を腰に当てて元気よく答えた。
「聡君の病気が治るように!って、水天宮に行ってるよ~!」
「……ありがたいけど、そこって病気平癒じゃなくね?」
「だよね~。でも今日の二人、正直めんどくさかったし……なんか放っといていいかなって思って」
「なるほどね。ご迷惑をおかけしました」
二人の顔を改めて見ると、桜月どころか朱奈にまで疲労の色が浮かんでいた。
……どうやら俺が寝ている間、ずっと二人で面倒を見てくれていたらしい。
「まぁ、お腹が空いたら帰ってくるだろ」
ちなみに水天宮は安産祈願の総本社です。
アレ?なんか、怖くなってきたぞ……
「聡君さ。お熱測った?」
「あ~、全然測ってないなぁ。ちょっと取りに行くわ」
「いいよ~、いいよ~。私たちが持ってくね~」
「?ああ、頼むわ」
まだ体調は戻り切っていない。布団に寝転がったまま、俺は素直に二人に甘えることにした。
ギシギシと木が軋む音。朱奈がロフトの階段を登ってくる足音が近づいてくる。
「聡君、水も持ってきたよ~」
「おお、ありがと……
━━━は?」
目に飛び込んできた光景に思わず飛び起きた。
「どうかした?」
「いや……目の前にナースのコスプレをした朱奈と桜月がいるような……」
「良かった~!目に異常はなかったね~!」
「異常であって欲しかったんだが!?」
俺の願い虚しく、二人の恰好は現実だった。
桜月はトレードマークともいえるピンク色のナース服。膝上まで大胆に切り込まれたスカートからは、健康的な太ももがまぶしいくらいに覗いている。
朱奈は純白のナース服。シンプルなはずなのに、無駄にフィット感のある生地が身体のラインを強調し、ふわっとした雰囲気とのギャップでやたらと破壊力が増している。
「聡君の看病のために、朱奈と一緒にドンキで買ってきました!」
「いえ~い!」
桜月と朱奈は、ナースキャップを揺らしながらノリノリでハイタッチ。
当然、俺はその輪に入れず、ぽかんと見守るしかなかった。
「それじゃあ、聡君。お薬飲ませてあげるから口開けて!」
「あ、うん」
頓珍漢な格好とはいえ、心配してくれている気持ちは本物らしい。俺は大人しく口を開けた。
「ん、それじゃあ」
桜月が粉薬を口に入れ、水を口に含む。
━━━同時に、背後から朱奈がぴたりと俺の背中に抱きついた。両腕が羽交い締めにされ、体が動かない。
「え?何を……むぐ!?」
言葉を遮るように、桜月が俺の口を塞ぐ。柔らかな唇が重なり、そこから勢いよく水が流し込まれてきた。
「ん、むぅ」
冷たい液体と、桜月の吐息と、そして舌の感触。三重攻撃に脳がバグり、溢れた水が布団にぽたぽたと落ちていく。
「流石、桜月ちゃん。激しいね~」
耳元では朱奈のふわふわした声が心地よく響く。
いや、心地よいどころじゃない!?酸素が……足りない……!
「ごくっ、ごくっ……!」
必死に飲み込む。そうしないと窒息まっしぐらだった。
「ぷはああ!」
やっと思い出桜月から顔を離した。
荒く息を吐き、肩で呼吸する俺。
「お薬注入完了!いやぁ、一度やってみたかったんだよね~」
桜月は両頬を赤く染め、両手でいやんいやんポーズ。その隣で、朱奈が俺の耳元で囁く。
「いいなぁ~、桜月ちゃん」
完全にデレデレモードの二人。俺の命の危機なんて、頭の片隅にもないらしい。
「し、死ぬかと思ったわ!?」
怒鳴る俺を見て、二人は顔を見合わせて笑った。
「あ、ツッコミに元気が戻ってる!やっぱり口移しは効果的なんだね!」
「やった~」
お、可笑しい。俺の本気の抗議が軽く流されてるんだが……
「それじゃあ、次はお熱を測りましょうね~」
「うえ?」
俺が間抜けな声を漏らす間もなく、朱奈にぐいっと布団へ押し倒された。直後、何か柔らかいものが顔面にのしかかってきて、視界が真っ暗、鼻も口も塞がれる。
「ん、暴れちゃダメだ~め。おっぱい体温計で正確に測れなくなっちゃうよ~?」
「むご、むごおおおお!?(何じゃそりゃあ!?)」
呼吸困難の中、必死に手足をばたつかせる俺。だが、朱奈の胸圧は予想以上に強固で、びくともしない。
そこへ追い打ち。
「精度をあげるために反対側からも測らせてもらうね~!」
「ッ!?」
背後からも、幸せすぎる感触が包み込んできた。桜月が俺に抱きついてきたのだ。ナース服のさらりとした生地越しに、弾力と温もりが同時に押し寄せる。
前にも後ろにも逃げ場のない、夢のような、いや、悪夢のようなユートピア。
「前を見ても、後ろを見ても、おっぱいだよ!」
「聡君は幸せだね~」
「~~~ッ!」
耳元で囁かれる朱奈のウィスパーボイス。その破壊力に全身がくすぐったくなり、ついに俺は反射的に飛び起きた。
「はぁ……はぁ……」
肩で荒く息をつきながら、酸素を取り戻す。
そして━━━
「死ぬわ!(二回目)」
俺は心の底から叫んだ。ご近所迷惑とか知らぬ。
「お前らは俺を殺したいのか!?何でさっきから窒息死させようとしてくるの!?」
水責め(口移し)に窒息。
言ってしまえば男の夢のシチュエーションだが命に関わる。
「私たちは白衣の天使だしね!迎えにきたよ~!」
「誰がうまいことを言えって頼んだ!?」
「聡君にとってこの世界は死後の世界でしょ~。だったら、私たちが天使でも可笑しくないんじゃないのかな~?」
「……ツッコミずれぇよぉ……!」
朱奈の脱力した一言に、思わず言葉が詰まる。
まさかこんな理屈で論破されるとは……
重たい溜息をひとつ。
「……何でこんなことをしたんだよ……」
「……君が、心配だったんだよ」
桜月が小さく呟く。その声はいつもの元気とは違って沈んでいて、かぶったナースキャップまでしゅんと凹んで見えた。
「私たちは聡君が大好きなんだよ。病気になって、死んじゃったらって思うとね~……」
朱奈もふわっとした声色のまま、けれど瞳は真剣だった。
「桜月、朱奈……」
そういえば今朝の騒ぎ。紫乃と麗音の突拍子もない行動ばかりが印象に残っていたが、この二人も同じように、俺を案じて必死になっていたのだ。
不安で仕方がなかったのは、二人も同じ。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
俺は二人をそっと両腕に引き寄せた。
「ごめん、心配かけた……おかげで、もう元気になったと思う」
「うん……」
「えへへ~」
……よし、もう徹夜は二度としない。
体調を崩さないこと、それが何より大事だ。俺が倒れたら、この家そのものが崩壊しかねないのだから。
「ところで、聡君さ」
「ん?」
桜月が、ふいに真剣な顔で切り出した。普段の快活な声色が少しだけ沈んでいて、胸の奥にずしりと重みが落ちる。
「もしね。もしね……聡君がいなくなったら、私たちはどうすればいいのかを考えてたんだ……」
そんな馬鹿な……
そう笑い飛ばすのは簡単だが、四人が真剣に悩んでいたことはすぐに分かった。
「私たちは聡君がいないと生きていけないからね~」
「そう。下手したら心中もあり得るかなと思ってたんだけどさ」
「お前らより長く生きるから安心してくれ……」
健康大事。メモしとこ。
「でもさ」
桜月が朱奈を見やる。朱奈も小さく頷いた。二人の間に言葉ではない合意が流れる。
「もし、聡君と同じくらい大事な存在がいたら、私たちは大丈夫だと思うんだ……」
「そうだよね~」
「桜月、朱奈……」
二人が言わんとしていることに、俺は気付いた。
━━━四人は、俺だけでなく、互いの存在をも同じくらい大切に思っている。
その想いが伝わった瞬間、胸の奥が温かくなった。
本当に、嬉しかった━━━
「だからさ、子供作ろうぜ☆」
━━━と思ったのも束の間。
可笑しいな。世迷言が聞こえたような……
「流石に子供ができたら、聡君を追って死ぬわけにはいかないよね~」
「うん。私たちの愛の結晶だもんね……親として守らないと……」
頬を赤らめ、未来を想像している。しかも悲壮な決意まで滲んでいる。
……落ち着け、俺。
ここで感情的になってはいけない。理性的に、客観的に、できない理由を伝えるんだ。
「ごめんな。流石に俺も病み上がりだから、まだできないんだ……そもそも、性欲が湧かないし」
病気を理由にすれば、流石の二人も俺に襲い掛かってこないだろう。
甘かった……
「大丈夫だよ。聡君!さっきのおっぱい体温計で元気だってことは証明されたから!」
「うんうん!元気だったもんね~」
二人の視線が俺の顔に向いていない。
と言うよりも下半身に━━━
「いや、あのね……」
「それにね、こういう時のために、古来より素晴らしい名言があるんだ。ねぇ、朱奈!」
「うんうん。聡君も聞きたい~?」
「……一応、聞いておこうか……」
もう、半ば運命を諦めた。
「「勃たぬなら 勃たせてしまえ ホトトギス」」
「偉人に謝れぇぇぇ!?」
ベッドの上で絶叫する俺をよそに、二人はにっこり笑っていた。
とりあえず。
元気にはなりました。
二重の意味で…はい……




