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愛してると言ってみた。

明日は8月31日。外国では『I LOVE YOUの日』として知られている。『8 letters(8つの文字)』、『3 words(3つの単語)』、『1 meaning(1つの意味)』を意味しているからだとか。


普段の俺は、「好き」とか「愛してる」といった言葉を口にするのが苦手だ。


なんというか、照れくさい。


行動が伴っていれば、言わなくても伝わるって、どこかで思ってる自分がいる。


だけど、四人は、そんな俺にも毎日のように愛を囁いてくれる。


ためらいもなく。まっすぐに。


だからこそ、俺もちゃんと伝えなきゃいけないと思う。


言葉にしなきゃ届かない想いも、きっとあるから。


それに、こういう由来のある日って、俺みたいなひねくれ者には丁度良い。


照れ隠しでも、口実でも、背中を押してくれる。


だから、明日は言ってみようと思う。


最愛の彼女たちに、心からの感謝を込めて。


━━━愛してるって。




◇西園寺桜月の場合




「ん……」


味噌汁の香ばしい香りと、台所から響くリズムのいい包丁の音が、まだ半分眠った頭を優しく掘り起こしてくれる。


目を擦りながら、ロフトの階段を下りていくと、そこにはエプロン姿で鼻歌を口ずさむ桜月の姿があった。


「おはよう」


俺に気付いた桜月は、朝日を浴びたような笑顔を裂かせた。


「おはよう聡君!もう少しでご飯できるから待っててね!」


「ああ、ありがとう」


「好きでやってることだから気にしないで~!」


ルンルン気分のまま、桜月は鍋の味噌汁をかき混ぜながら、フライパンの火加減にも目を配っている。


俺はいつものようにテーブルに向かおうとして、ふと、壁のカレンダーに目が留まった。


8月31日の文字。


寝て起きたら忘れてたなんて阿保すぎる。


俺は深く息を吸った。


いや待て。調理中だし、今言うと危なくないか?ご飯ができるまで待とうかな……?


馬鹿野郎!


そうやって、これまでも先延ばしにしてきたんじゃないか!


照れくささも、言い訳も。今日ぐらいは捨てよう。


この日を逃したら、きっとまた言えなくなる。


覚悟を決めた。


「桜月……」


「ん?どうかした~?」


「いつも美味しいご飯をありがとう。いつも笑顔で傍にいてくれてありがとう。桜月がいなかったら、俺は今、生きていないかもしれない」


「え……?な、なに急に……?」


桜月が、まるで未知の生物を見たような目をして困惑していた。


だが、怯んではいけない。


この気持ちは、今日伝えると決めたのだから。


「だから、その、愛してる━━━」


「━━━え?」


桜月の手からお玉が滑り落ちた。キン、と乾いた音を立てて床に転がり、柄の部分が床を叩いて、味噌汁の一部が跳ねる。


けれど、桜月はまるでそれに気付いていないかのように、じっと俺を見つめていた。


……あれ、格好つけすぎたか?


徐々に、羞恥心が込み上げてくる。いたたまれなくなった俺は、逃げるようにせっせと言葉を紡いだ。


「あ、いや、それを伝えたかっただけだから!三人を起こしてくる!」


言い訳のように、早口で告げ、そそくさとロフトに戻ろうとする。


大学生になってからというもの、俺たちは朝にめっぽう弱くなった。桜月が毎朝こうして起こしてくれなかったら、全員そろってダメ人間一直線だ。


それも、ちゃんと伝えるべきだったかな……?


そんなことを考えながら一歩を踏み出した瞬間━━━


「え?」


右手に柔らかな感触。


振り返ると、桜月が俺の手を掴んでいた。俯いたまま、顔が良く見えない。前髪が垂れて表情が隠れているので、なんだか少し怖い。


「……何で朝っぱらからそんなことを言うのかなぁ」


そう呟くと、桜月は空いた手でコンロの火を音消す。


煮えていた味噌汁の音。ジュージューと焼けていたスクランブルエッグの音が、しゅうと名残を残して消えていった。


「ご、ごめ……え?」


謝罪を言い切る前に、桜月は俺を軽く押した。俺はソファーの角に引っかかってソファーに倒れた。そして、俺の上に跨った。


「さ、桜月?」


「君が悪いんだよ?そんな言葉を聞いたら……我慢なんてできるわけがないじゃん……」


そう言って、静かに、自分の服に手をかける。


シャツを脱ぎ、下着姿になった桜月は、桜色の瞳に艶を宿して、狩人のような笑みを浮かべた。頬はほんのり上気し、舌先で唇をなぞる姿に背筋が冷えた。


「━━━私の発情スイッチ、押しちゃったね?」


「え?」





◇南条朱奈の場合



「ごめんね~、買い物に付き合ってもらっちゃって~」


朱奈が申し訳なさそうに言ってきた。


冷蔵庫が空になってしまったので、二人で買い物に来ていた。他の三人は用事で外出中。今は俺と朱奈、二人きりの時間だ。


「構わないよ。それより暑いから早く帰ろう……クーラーが恋しい」


「そうだね~」


生鮮コーナーの冷房が恋しかった。あそこは妙に冷えてて、生魚とかの冷気が心地よかった。買い物ついでに、ついついその一角を何度も回って涼んでいたのだが、そこで鮮魚コーナーのおばちゃんに捕まり、ソーセージの代わりに白身魚を購入することになった。


「魚の方が栄養あるわよ!」と押し切られて、つい財布を開いてしまった結果、手持ちはほぼゼロ。追加購入でソーセージを購入することは不可能だった。


帰ったら桜月に怒られる未来が確定した気がする。


「それにしても、暑いね~」


朱奈がぱたぱたと手で顔を扇ぎながら、俺に寄りかかってくる。


俺は左手に買い物袋、右手は朱奈がしっかり握っている。俗に言う、恋人繋ぎってやつだ。右手の感覚もリハビリのおかげでだいぶ戻ってきて、こうして手をつなぐことができるようになっていた。


何よりも朱奈のアレを堪能できることが何よりも嬉しい!


顔には絶対に出さないけどな。


「……そんなに暑いなら、手を離してもいいけど?」


「む~、そうやって意地悪して~」


朱奈は軽く頬を膨らませると、今度は俺の右腕に腕を絡めて、ぴったりと身体を寄せてきた。


「余計に暑い……」


「ふふふ~、私に意地悪した罰だよ~だ」


嬉しそうに笑う朱奈を見ていると、熱さよりも、その笑顔の方が大切な気がした。


……さて、いつ言おうか。


脳裏に浮かぶのは先ほどの桜月の顔。


「愛してる」と告げた瞬間、スイッチが入って絞り尽くされた。


ただ、それは例外中の例外だと思う。


朱奈なら大丈夫だろう。きっと、いつもの調子で笑ってくれるはずだ。


「なぁ、朱奈」


「ん~?」


「愛してる━━━」


どうだ?


「━━━」


蝉の鳴き声がジリジリと響く中、真夏の陽射しがアスファルトを照りつける。一瞬だけ、時が止まったような感覚。


「ありがとね~」


いつも通りの優しい笑顔で、朱奈はそう返してくれた。


ほっと一息。朱奈は普通だったようだ。


そんなやりとりをしているうちに、家が見えてきた。


「とりあえず桜月には謝らないとだな。買い物もろくにできないのかって怒られそうだ」


「そうだね~、あっ、でも、聡君が怒られる必要はないよ~?ソーセージは私が食べちゃったからだしね~」


「はは、どういう意味だよそれ」


朱奈の冗談を軽く流しながら、玄関の扉を開けた。クーラーの冷風が心地よく迎えてくれる。どうやら他の三人はまだ帰ってきてないようだ。


「それじゃあ、冷蔵庫に、んむぅ!?」


言い終える間もなく、朱奈に押し倒された。そのまま唇を奪われ、濃厚なキスが降ってくる。


「ぷはぁ……」


息継ぎのタイミングでようやく解放されたと思ったら、朱奈は無言でシャツの裾に手をかけ、するりと捲り上げる。下着が覗いた瞬間、朱奈のオレンジの瞳に艶が宿り、妖しく輝いていた。


「さ、辻褄合わせをしようか~?」


「え?朱奈!?」


抵抗しようと思ったが、彼女はすでに覆いかぶさっていた。理屈も理性ももう意味を成さない。


「いただきま~す♡」


朱奈の予告通り、ソーセージは、喰われました……




◇東雲紫乃の場合


おかしい……


ただ、愛してるって伝えただけなのに、もう二人に喰われたぞ?


いやいやおかしいだろ……


「何でだ……」


「どうかされましたか?」


「ひゃいッ!」


背後からの声に、心臓が跳ねた。


思わず変な声まで出てしまう。振り返ると、そこには紫乃が、まるで何事もなかったかのように立っていた。だが、そのルビーのような瞳には、明らかに「してやったり」といった色が浮かんでいる。悪戯が成功したのが、よほど嬉しいらしい。


ただ、ここは改札前。


人の往来が激しい場所で、こんな醜態を晒してしまったのが純粋に恥ずかしい。


俺は一つ、咳払いをして、紫乃にジトっとした目を向ける。


「……音を消して近づくのはやめてくれ」


「ふふ、善処しますね」


完璧な笑顔で返される。絶対に直す気はないやつだ。


「お迎えありがとうございます♪」


俺の腕にぎゅっとしがみついてくる。猫のような甘え方で、計算し尽くされたその仕草はズルいほど可愛い。それに、紫乃がわざわざ庶民の電車で移動してくる理由は駅前に迎えに来てほしいからだ。


怒る気も失せるってものだ。


……さて、言うか。


桜月と朱奈に伝えて、紫乃に伝えないのはフェアじゃない。とはいえ、二人きりの空間は危険だ。桜月と朱奈のようにスイッチが入ったら何をされるか分からない。


人の往来が激しい今がベストタイミング。


「なぁ、紫乃」


「な~に♡?」


「……」


「くすぐったいです~」


可愛らしい砕けた言い方に、不覚にも頭を撫でてしまった。敬語キャラの突然のタメ口。タイミングが完璧すぎる。わかってやってるって気づいていても、抗えない。


──いや、そうじゃなくて!


「愛してる━━━」


隣を歩いている社会人がギョッとしたように振り返る。奥のマダムは微笑ましそうに目を細め、男子高校生は明らかに嫉妬の視線を向けてきた。


肝心の紫乃はというと、


「そうですかそうですか。愛してる……ですか。ありがとうございます」


落ち着いた声で、丁寧に返してきた。


表情も変わらず、いつもの紫乃だ。


「ああ、うん」


……え?普通?


一番暴走する可能性があったのに。でも、俺の腕からピタッとくっついて離れない。そのくせ顔はそっと伏せていた。


━━━もしかして照れてるのか?


内心ではとても喜んでるけど、周囲の目があるから平静を保ってる?


表に出せないだけで、心では大騒ぎしてる感じか?


……想像したら、なぜか優越感が湧いてきた。


「聡さん」


「ん~?」


「ちょうどそこに路地裏がありますね?」


「……ああ、うん」


「その奥には多目的トイレがあります」


「……そうだな?」


「そして、今、ここには多くの人がいますね」


「そうですね」


なぜだろう。嫌な予感がしてきた……


「襲われるなら、どこが良いですか?」


「何でそうなんの!?」


紫乃はごく自然に、まるで選択肢を提示するかのように言葉を続けた。


「あんな風に真正面から愛を囁かれたら、理性が保つわけがありません。さぁ、五秒以内に決めてください。さもないと今ここで襲います」


ヤバイ。ガチの暴走モードだったらしい。こんな状況は初めてだ。爆弾を処理するように冷静な対応を心掛ける。


「分かった!分かったから!あの、せめて、家で……」


「無理に決まってるでしょう……はい、ゼロ。━━━よし、脱げ」


「キャラ変わってんぞ!?」


路地裏に連れてかれました……





「疲れた……」


「どうしたの?」


「いや、なんでもない……」


桜月に喰われ、朱奈に喰われ、紫乃に連れてかれた。


自分の部屋にいると、身の危険を感じたので麗音の部屋に避難していた。


家具らしい家具は寝具だけ。唯一のインテリアといえば、人をダメにするクッション。俺はその上に座り、膝の上では麗音が本を読み受けっていた。


この無防備な姿を見れるのは俺だけの特権だ。


麗音は今日バイトに行っていた。古本屋で働いていて、そこで稼いだお金で本を買うのが麗音の至福の時間。その購入したばかりの本を、今、俺の上で読んでいる。


すると、もぞもぞと俺の膝の上でくるりと向きを変えた。そして、俺の首に手を添え、正面から向かい合う体勢に。


近い。顔が近い。


麗音の整った顔が目前にあると、どうにも目のやり場に困る。けれど、首を固定されているため、逸らすことが許されない。


「ダウト。何か私に用があるんでしょ?」


「まぁ……」


「ふん、やっぱりね」


言いながら、麗音の顔がほんの少し赤くなる。


「隠し事は無駄よ。私は、聡の……その、か、彼女だから」


「恥ずかしいなら言うなよ……」


「……恥ずかしくないわ」


「顔真っ赤にしてよく言うよ……」


図星を突くと、麗音は一瞬だけ口を尖らせたあと、唐突に俺に抱き着いてきた。顔は俺の胸にうずめられ、銀髪が頬にふわりとかかる。


「違うもん……」


だから可愛いすぎるんだって……


「……ごめん俺が悪かった」


「分かればいいわ……」


麗音は顔を真っ赤にして、少しだけ身を離した。未だに顔が真っ赤だが、見て見ぬふりをするのが紳士ってものだ。


……さて、もうお約束のような気もするが、麗音に喰われる覚悟は決めた。


「なぁ、麗音」


「何?」


「愛してる━━━」


さぁ、煮るなり焼くなり好きにしろ!


「え?あ、その、ありがとう……」


麗音の瞳がわずかに揺れている。俯きがちに、指をもじもじと動かしながら、俺を見上げてくる。


「わ、私も愛して……るわ」


「麗音……!」


俺は思わず、麗音をぎゅっと抱きしめた。


「きゃっ、ど、どうしたのよ?」。


そうだよ。俺が欲しかったのはこういう反応だ。


喰われるなんて少しも想定していないっての。


「いや、他の三人にも同じことを伝えたんだけどさ」


ピク


「まさか、喰われるとは思わなくて……ってどうした?」


「むううう~~~!」


麗音がぷくっと頬を膨らませて可愛く威嚇していた。


「え?麗音?ちょっと!?」


俺のシャツのボタンに指をかける麗音。何も言わずに淡々と、でも怒りを滲ませながら、服を脱がせにかかった。


「聡の馬鹿!」


嫉妬に狂った麗音に喰われました。




◇???


「うちで『愛してる』は禁句だな。うん」


ようやく悟った。


ひとつだけ確かなのは━━━この家でその言葉を口にすれば、間違いなく喰われるということだ。


夕食と風呂を済ませ、俺はさっさと寝ることにした。最近は怠惰な日々を過ごしてきたけど、そろそろ大学が始まるから生活習慣を戻さなければならない。


「さ~としく~ん」


「……どうしたの?」


おそるおそるそこを見ると桜月を筆頭に四人がロフトに上がってきた。


「アレだけ私たちの気持ちを乱しておいて、さっさと寝るなんて……酷いんじゃないかな?」


「え、いや、そんなことはないと思うんだが……」


「『愛してる』なんて言われて、一度で満足できると思ってるんですか?」


知らんがな……


「これは聡君に責任を取ってもらわないとだね~」


「当然よね」


「はい……」


こうなる気がしていたので、早く寝ようと思っていたのに……


もう、どう足掻いても無理だ。


「聡君」


「ん……?」


「「「「逃がさないよ(愛してるよ)」」」」


変だな。口頭では愛してると言われているのに、別の言葉が混じっているような……


言霊の中に、何かこう……執念とか、束縛とか、圧とか……そういうのが潜んでいた気がする。


とりあえず、今日の夜は暑かった。


色んな意味で。

GA文庫で発売が決まりました!

読者さんのおかげです。本当にありがとうございます。

発売日まで感謝を込めて、不定期ですが、更新すると思いますので楽しみにしててください!

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― 新着の感想 ―
・・・自分の中で四人の自制心ランキングが決まったのこのエピソードが原因だな ワースト1位:西園寺桜月←誰もいないからって朝から襲撃 ワースト2位:東雲紫乃←せっかく人混みで言ったのに即人気のない場所へ…
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