邂逅
俺は教養大学の経済学部に所属している。経済を選んだ理由は前世から含めてずっと、経済学に憧れがあった。就職に強いからなのか、なんとなく経済学を学んでいるとカッコいいというイメージがあったからなのか。あるいは両方だったかもしれない。
どっちにしろ分かったことは経済学部はごりっごりの理系学部だってことだ。数ⅲとか私立の文カスにできるわけないのに、悲しきことに教授たちは元々理系出身の経済学者なので、入学してくる生徒たちを理系だと思っているわけだ。
なんせ半分以上の講義が数学なのだ。マジで生粋の文系生はどうやって、生き残るのだろう。不思議で仕方がないが、他人のことよりも今は自分のことだ。
西5号館の201教室。経済学部はマンモス学部で一番在籍者が多い。一年生のうちは大人数で授業を受けることが多いので、必然的に一番大きい教室が多くなる。
入学式のようなホールの講堂で入った時には、まずその広大さに圧倒された。高い天井には複雑な照明が配置され、柔らかな光がホール全体を包み込んでいる。講堂の中央には階段状に配置された座席が広がり、段差ごとに長机が並んでいた。机の木目は、古びていながらも、何十年もの歴史を物語るような落ち着きを払っている。
講義台の上には、スピーカーやプロジェクターが備え付けられており、スクリーンは天井近くに設置されていて、生徒たちを見下ろしているようだった。
高校時代とは一線を画す授業風景に感動したいところだったが、俺の座席は一番前。一番後ろの席から俯瞰してみたかったところだが、車椅子で移動が困難なので、断念した。
それよりも━━━
「マジで、どうすんべ……」
悩みの種は尽きない。当然、【四方美女】のことだ。
1人で行動したいといえば、闇堕ちされるからそんなことは口が裂けても言えないし、かといって、好きにさせるとそれはそれで問題がある。直近だと、入学式の打ち上げだ。
こっそり買ったお酒をみんなで宅飲みしたりと、大学生らしいノリをとても楽しめた。
ただ、その後に家に帰ってもらうのが本当に大変だった……
風呂の手伝いや同衾を提案され、俺の中の理性と欲望が格闘した。結果、理性が勝り、無理やり四人を家に返した。
あの日が最高潮に大変な日だったら、良い思い出だったと振り返れるが、毎日こんな感じで気が休まらない。
直近だと、大学内の移動教室だ。
大学というのは自分のクラスがないので、休み時間の度に教室を移動する。高校の時も、移動教室はあったが実技科目や理科の実験程度で理科室に移動するくらい。基本は自分のクラスで過ごすことが多かったはずだ。
だからこそ、舐めていたのだが、大学はとにかく移動教室が多い。外に出て、棟を変えたりしなければならないこともあるから、車椅子の俺にとってはこれがハードワークだ。そこで空きコマの誰かが手伝いに来てくれるのだ。
これが本当に助かってる。俺が土下座をして感謝の念を示せば良い。ただ━━━
「駄々をこねるのだけは、やめてくれませんかね……」
俺と離れたくないとか、自分も一緒に授業を受けると言って大体ごねる。見かねた教授たちが止めに入ってくれたりしたのだが、喧嘩を売るわ、ヒステリックを起こすわ、紫乃なんて権力を使って大学から教授をクビにしようとした。
おかげで講義は進まないわ、好奇な視線に晒されるわで、胃が痛い。一番前の席にいるせいで余計にそう感じる。
友達もできないし、本当に困った。
四人が悪意を持って行動していたなら、突っぱねれば終わりだが、重すぎる親切心と罪悪感から来ているのであれば、俺も特に言えることはない。
「本当に、学部が違くてよかった……」
唯一の救いは学部が違うことだ。桜月は法学部、麗音が文学部、朱奈は経営学部で、紫乃が政治学部。おかげで講義だけは一人の時間を楽しめる。勉強なんて興味がなかったけど、唯一、1人でいられる時間と考えたら、心が休まる。
「昼休みに外せない用事があるって言ってたからな。その間に友達を作ろう……!」
学部内で何も人脈がないのはしんどすぎる。高校時代はそれでよかったが、何もかもが高校と大学では違いすぎて、とても一人でやっていけないと感じた。悲しいことに大学は高校よりも自分から動かないボッチに厳しいのだ。
ここが最後のチャンスだと思って、友人作りに励もうと思う。
ただ━━━
「あいつらのせいで避けられてるんだよなぁ……」
丁度授業が終わって、昼休みの鐘が鳴る。一気に教室から長蛇の列を作って人が出ていった。俺は一番前の出入り口側に座っている。出入りの際に絶対に顔を合わせるのだが、俺が声をかけようとすると、無視されるし、さっさと出て行ってしまう。なんなら遠回りになるのに、教室の後ろにある出口から出て行ってしまった。
ただでさえ、高校三年間をボッチで過ごしてきたせいで、コミュ力が低下しているのに、この仕打ちは中々心に来る。もう教室にはほとんど誰もいなかった。
「それでも一人くらいは友達が欲しいなぁ……」
言い方は悪いが、陰キャボッチの同期を探すしかない。大学デビューで失敗した彼らは俺と同じく友人を欲しているはずだ。
さぁ、誰でもいいから声をかけてくれ!飯くらいなら毎日奢るよ!?
「ちょっといいかな?」
来たあああ!
俺の願いが通じたのか、後ろから誰かが俺に声をかけてくれた。この世界に転生してから、全く神様を信じてなかったけど、今回だけは感謝してやるよ。
大事なのはファーストインプレッションだ。第一印象が悪ければ、友だちとして認められるはずがない。そもそも、俺は既にやらかしている。まさに背水の陣だ。できる限りの最高の笑顔で迎えなければならない
「は、はじめまし……って……は?」
背後を振り返ると、佐野優斗━━━俺、いや、俺たちにとって因縁の相手がそこにいて、全身が凍り付いた。いや、同じ学部にいることは知っていた。その時はとても驚いたが、佐野と俺には直接的な接点がないので、特に関わろうとは思わなかった。それでも気になっては眼を逸らし、存在を無視し続けてきた。
「はじめまして、俺は佐野優斗っていうんだ」
「あ、えと、うん。俺は入谷聡です。よろしくお願いします」
「はは、同級生だろ?敬語なんていいって」
「あ、じゃあ、お構いなく……」
まさか、この世界でもっとも複雑な想いを抱いている相手が直接声をかけてくるとは思わなかった。胸の奥で押し殺していた感情が不意に沸き上がる。佐野からしたら、俺は初対面だから平静を装わなければならない。けれど、心臓の鼓動が高まり、動かないはずの右腕がかすかに震えていた。
周囲を見渡すと、広い講堂には示し合わせたように俺と佐野の二人きりしかいなかった。普段は昼後の授業を受けるために、残っている人が数人はいるはずだが、今は誰もいない。空間が不気味なほど静まり返っていた。
「俺、〇〇県の〇〇高校っていうマイナーな高校出身でさ、話せる相手がいなくてね。丁度、君がいたから声をかけてみたんだ」
沈黙を破ったのは佐野だった。人当たりの良さそうな笑顔で俺に声をかけてきた。
どれだけ複雑な想いを抱いていたとしても、佐野は何も知らない。好意的にはなしかけてきたのだから、俺も誠意をもって答えよう。
「へ、へぇ。奇遇だな。俺も同じ学校の出身なんだ」
「マジか!?え、浪人生とか?」
「いや、普通に現役」
「マジか……まさか、同じ学校の同級生が他にもいるなんて、思わなかったな~」
隠す必要はないから、すべてをありのまま話した。だが、偶然を装わなければならないため、油断してはいけない。知り過ぎているが故のボロを出すわけにはいかない。
「……その怪我、どうしたんだ?」
「ん?ああ、いや。ドジって怪我してね。はは、入学前だってのに、何やってんだか……」
「災難だったな……気を付けなよ?」
「え?ああ、ありがとう」
自虐で乾いた笑いを浮かべていると、佐野が俺の心配をしてきたので驚いた。
そういえば、ヒロイン達だけを気にしていたけど、佐野がバッドエンド後にどうなったのか全く考えたことがなかった。
不思議なことに今の佐野からは高校時代に感じたいやらしさは感じない。
もしかしたら、【LoD】の『主人公』として、『世界の強制力』に晒されていて、バッドエンドに行くように仕向けられたのではないか。『世界の強制力』で可笑しくなってしまったのではないかという疑問が沸いてきた。
そもそも、あれだけ自分のモノにしたがっていた【四方美女】に近付かないなんて空から隕石が降ってくるくらいありえないことだ。
そうだとしたら、過去のことを水に流してやってもいいかもしれない。
むしろ、【LoD】の被害者同士と考えたら、あれほど恨んでいた相手なのに、不思議と心の奥底から同情の感情が沸いてきた。
「大怪我、同じ高校……」
佐野がぶつぶつと思案に耽っていたので、現実に引き戻された。
「どうかしたか?」
「いや、ちょっとね……」
俺の身体を舐めまわすように見ていた。品定めをされているようで居心地が悪い。そして、何を思いついたのか、探るような視線を送ってきた。
「もしかして、高校の前で、卒業式にトラックに轢かれた奴って……入谷のことか?」
まさか、覚えていたとは思わなくて驚いた。
「ああ、そうだけど。それがどうかした?」
「━━━」
すると、佐野の視線が真冬の凍てつく風のように冷たくなった。
「ちっ……そういうことかよ。やっと全部が繋がったわ……お前だったんだな」
佐野の口調が明らかに変わった。背筋に冷たいものが走り、俺を見据える瞳には侮蔑と憎悪がこれでもかというほど渦巻いていた。剥き出しの敵意が俺に向けられていて、一筋の汗がツーと額から零れ落ちた。
そんな俺を見ると、佐野は呆れたように、俺を見た。
「自分が最低な行いをしているって気付いてないの?」
「意味が分からないんだが……」
要領を得ない質問に俺は疑問に疑問で返した。
「分かりやすく言ってあげようか。みんなを、【四方美女】を解放しろよ、クソ野郎」
「は?」
目から鱗の一言だ。さぞかし俺は間抜けな表情を浮かべているだろう。
それと前言撤回。『世界の強制力』云々の話じゃなくて、普通に嫌な奴だったわ、こいつ。
ただ、ここまで恨まれる理由もよくわからない。むしろ、感謝されてしかるべきなのに……
「ずっと疑問だったんだ。みんなが俺の連絡に出ないことがさ。俺と彼女たちの関係は知ってるだろ?同じ高校だったならさ」
「まぁ……」
【四方美女】がどこにでもいそうなモブ主人公【佐野優斗】に恋をしていたというのは学校内では結構噂になっていた。むしろ、知らない方が可笑しいくらいだ。
「はぁ、最低だね。お前……」
流石の俺もそろそろ我慢が利かなくなってきた。言いたい放題言われるのも好きではない。
「何が言いたいんだよ。まさか、俺が【四方美女】に看病してもらいたくてわざと事故に遭ったっていうのか?」
「事故に遭ったこと自体を責めてるわけじゃないよ。それはご愁傷様です。だけど━━━」
南無南無とわざとらしく腹が立つ仕草をすると、鋭い視線で俺を睨んできた。
「俺が許せないのは、今の状況を楽しんでるお前の態度だよ。このクソ野郎」
主人公らしく圧のある発言だったが、俺の怒りが増幅された。
「今の発言は撤回しろよ……こんな体になって楽しいわけがないだろ。いい加減にしろ」
「どうだかな。内心では、【四方美女】全員に心配してもらえて喜んでるんだろ?」
「違うって言ってんだろ。もう話しかけてくんな」
話す価値すらないと思った俺は、左手で車椅子を動かそうとした。けれど、次の瞬間、取っ手部分を強く掴まれたので、俺は後ろを振り返って佐野を睨んだが、佐野も同様に俺を睨んでいた。
「桜月たちは優しいから、目の前で事故に遭ったお前を放っておけないから、そりゃあ献身的にもなるさ。その善意を利用したお前にクソ野郎って言って何が悪いんだよ」
「━━━それは……」
『俺は命の恩人として、桜月たちを助けたんだ!』『お前は【四方美女】全員に嫌われている』
佐野優斗を論破するなんて簡単だし、如何にクソ野郎かなんて一日かけても言い尽くせないくらいあるはずだった。
それなのに、俺の口からは一向に反論が出てこない。
佐野の言葉━━━善意を利用しているという言葉が俺の心にナイフのように突き刺さった。
俺は、あいつらに罪悪感が消えるまでは好きにさせようとしているが、本当にそんな殊勝な態度で対応なのだろうか。本気で突っぱねようと思えば、いくらでも突っぱねられたはずだ。
『闇堕ちしてしまうから』なんていうのはヒロイン達ではなく、俺が彼女たちと一緒にいるための、都合の良い解釈なんじゃないか。
実はヒロイン達を好きにできるこの状況で愉悦に浸っているだけなんじゃないか━━━
見たくもなかったどす黒い本心が溢れてきて、心臓を掴まれたような息苦しさが襲い掛かってきた。
ハッと現実に戻ると、佐野が侮蔑の瞳をもって俺を見ていた。
「やっぱり自覚があったのか……汚い男」
「ち、違う。そんなつもりは……!」
「桜月たちもバラ色のキャンパスライフを送りたいはずなのに、人の善意を貪ることしかない害虫に寄生されて迷惑だろうよ。解放してあげようって思わないわけ?」
「……ッ」
そのむき出しの言葉が刃のように胸に次々と突き刺さる。否定したい。反論したい。しかし、自分の中でそれを正当化する声は、自分の中に渦巻くどす黒い感情に飲み込まれて行った。
「俺だってこんなことは言いたくないんだよ」
佐野はそう言うと、ふっと短く息を吐いた。
「たださ……桜月たちのことを考えるとさ、汚れ役を買って出るのも俺の役目だと思ってんだよ」
「佐野……」
怒りに任せてただ責めているわけではないと分かって、俺の心が余計に締め付けられた。
「入谷が一言、もう大丈夫だって言ってくれればいいんだよ。それくらいできるだろ?」
「それは……」
命の恩人だからといって、そのことを鎖にして一生縛り付けていいはずがない。アイツらにはアイツらの人生があるのだから。そうでないとアイツらの未来を守った意味がない。守った命が牢獄になるのなら、この世界を創造した奴らと同じになってしまう。
けれど、醜い俺の本性が解放を拒んでいる。
もう一人になりたくない━━
エゴイスティックで独りよがりの願い。それが頭で形になった時、俺は自分が情けなくなった。
罪悪感を負わせることでしか人と繋がれないなら、あの時、死んだ方が良かったかもしれない━━━
自然と頭が下がり、心が闇に沈んで行った。佐野の表情を流し見すると、軽蔑や皮肉を含んで嗤っていたが、もうどうでも良くなった。
「何をしているのかしら━━━」
『重要なお願い』
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