お隣さん
「ついに、明日か」
駅前に桜並木は薄紅色の花を咲かせ、新年度を迎える学生たちを祝福しているようだ。俺の大学の入学式も明日になり、心なしか祝福されているようだった。
俺の入学する大学は家から近いところにある平凡な大学だ。教養大学といい、駅で三駅程度乗って、大学の最寄り駅からもほとんど歩かない。
ちなみに俺が前世で受け続けていた大学にはしっかり受かった。偏差値も教養大学よりも高いが如何せん家から遠すぎる。
……というのが表向きのカッコつけた言い訳だ。
真実は入院していたせいで、合格通知書が届いたことに気付かずに、入学金を払えなかったことである。
まぁ、仕方がない。前世の知識があるというアドバンテージがあるにも関わらず、こんな結末になるということは相当縁がなかったのだろう。リベンジはできたし、前世の禊はできた。もう、悔いはない……はずだ。
むしろ、よく教養大学が俺の入院している病院に合格通知書を送ってくれたと驚いてしまった。下手したら、大学生になれなかった可能性もあるのだから、天啓とはまさにこのことである。このことがあって入学してもいないのに、この大学を好きになった。
それにしても━━━
「新年を気持ちよく迎えるためにと、掃除を始めたが思った以上にしんどいぞ……」
俺の部屋は都心の近郊に住んでいる。都ではなく、ギリギリ県に住んでいるので、家賃はそこまで高くない。それでもワンルームにロフト付きで家賃五万。そこに風呂と家電も付いているのだから、滅茶苦茶穴場だと思う。普通だったら、最低八万はする。もっと行くか。
ロフトにある荷物をガンガンビニール袋に入れて、雑誌類をビニール紐で十字に括って部屋の前に置いた。
左手しか使えないから、この紐で結ぶという作業が想った以上にしんどい。後、ロフトの階段を上がる際にバランスを崩さないか心配になる。
利き手が無事だったら、良かったんだろうけどな……
ひとまずゴミを整理するのは終わった。
ただ━━━
「考えなしに、整理したけど、こっからどうすっか……」
右手が一番重症なのは事実だが、まだ全身の傷が癒えたわけではない。足がまだ万全ではないので、引きずりながら歩かなければならないのだが、ゴミ捨て場まで、階段を往復するのはしんどすぎる。
「ここまでやって全部捨てられないのか。まぁ、仕方ないか。小分けにして、少しずつ減らしていくか……」
できることなら、今日中にすべて終わらせたかったが、ハンデを背負ってるので諦める。それに、できないことにイライラしていても、ストレスが溜まるだけだ。自分は健康体ではないという事実をしっかり受け止めないといけない。
俺は部屋にある唯一のインテリアであるソファに身を沈めた。
先日、【LoD】のヒロイン、四人と行った打ち上げを思い返す。高校に入ってからは毎日、死ぬことしか考えていなかったから、楽しかった。
気苦労は絶えなかったけど……
「スマホの購入、焼肉……もう思い出したくないこともたくさんあるな……」
退院したその日、打ち上げの前にスマホが欲しかった。丁度、朱奈も欲しがっていたので、二人で買いに行こうという話になったのだが、他の三人が一斉に地面に叩きつけてスマホを破壊した。笑顔で。
「クズに汚染されたスマホなんて触りたくないわ。丁度、買い替えようと思ったから、私も聡と同じスマホに買い替えるわ」
……とのこと(北川麗音談)
その後、みんなでスマホを買いに行ったのだが、丁度、『カップル割』がやっていて……いや、これ以上、思い出すのはやめよう。
その後、仲良くみんなでスマホを手に入れて、焼肉屋に入ると、俺の隣の席を争っていた。誰かを選べば、誰かが闇堕ちしてマジで大変だった。
『あ~ん』は受け入れたが、焼肉で女体盛りをしようとしたのは断固として止めた。ノーパンしゃぶしゃぶじゃないんだからさぁ……
ちなみに、お肉は大変美味しかったです。
慣れない左手でスマホを操作して、ラインを開く。そこに登録されていたのは四人のヒロインの名前。前世と合わせても、女子との初めての連絡先交換だ。
けれど、メッセージのやり取りは一度もなかった……
いや、俺も少しは期待してたんだ。
命の恩人で、連絡先まで交換しようと言ってくれたら、あっちから連絡が来るもんだと……
甘かった。甘すぎた。その間何もなかった。
俺から連絡すればいいじゃんと言われるが、何を送っていいか分からない。つまり、詰んだということだ。
「まぁ、そりゃあそうだよな……あいつらは義理を果たしてくれたし、新生活が始まるんだ」
連絡先交換も彼女たちにとって、挨拶のようなものなのだろう。そう考えたら、少し悲しくなってきた。
「気にしても仕方ないか。楽しく生きて行けるならそれでいい」
元々、俺は死ぬ予定だったから、ヒロインと関わる気なんてなかった。今まで看病してくれていただけでも、十分すぎるほどだ。
「うし!ゴミ捨て行きますか!」
やっぱり、このまま入学式を迎えるのは気持ち悪い。俺は階段を往復する覚悟を決めて、ゴミ袋を左手で持った。
「ピンポーン」
「ん?」
丁度、ドアノブに手をかけたところだった。通販で何か頼んでいたものが届いたのだろう。ドアスコープで覗くようなこともせず、ドアを開けた。
「やっほ~、聡君!数日ぶりだね!」
「え、あ、え?」
ドアを開けた先にいたのは桜月だった。
え?マジでなんで?
「あ~!駄目だよ聡君。君は病人なんだから、絶対安静でしょ!」
「あ、ごめん」
腰に手を当てて、あざとく、俺に説教をしてきた。思わず、謝ってしまったが、そういう問題ではない。すると、桜月が首を伸ばして、俺の部屋を覗いてきた。
「わ~、ゴミがいっぱいだ。これ全部出せばいいんでしょ?任せて!」
「あ、ちょ!?」
俺の制止を振り払って、部屋に勝手に上がり込む。そして、ゴミ袋を両手で持って、部屋から出て行った。
「あ、聡君は部屋で休んでて!すぐに終わらせちゃうから!」
「あ~、え~と」
ありがとうと言う前にすぐに行動してしまった。カンカンカンと桜月が階段を降る小気味の良い音が聞こえてくる。
せっかくやってくれるというのなら、コーヒーでも入れて待ってるか。
◇
アレだけあったゴミ袋が一気になくなると、部屋が一気に広く感じた。
「悪い。助かったよ」
「気にしないで!奴隷みたいにこき使ってくれていいからね?」
「いや、それはちょっと……」
弱みに付け込んでるみたいで、絶対に嫌だ。
「それより、どうしてここにいるんだ?」
家主の俺はソファーに座り、桜月にはテーブルをはさんで向こう側に座布団を敷いて座ってもらっていた。ワンルームの部屋なんてこんなもんだろう。寝るときはロフトに登る。
そんなことよりも、桜月だ。俺は家の住所なんて教えていない。なぜ知っているのか問い詰めようと思ったのだが、一心不乱にカップを見つめている。そして、ちびちびとコーヒーを飲み始めた。
「ん……ん」
艶のある唇がカップの縁をなぞり、色っぽい吐息が液体が喉を滑り落ちるたびに漏れる。
端的に言うと、めっちゃエロい。
来客なんて想定していなかったから、普段、俺が使っているカップでもてなしたのだが余計にそう感じてしまう。
「ふ~、美味しい……」
頬は上気し、とても耽美な表情を浮かべていた。
「インスタントだけどお口にあって何よりだよ」
「そうなんだ。聡君が入れてくれたからなのか、今まで飲んだコーヒーで一番美味しかったよ」
「大袈裟だなぁ」
不味いと言われるよりは全然いい。それより━━━
「俺の家、教えてないと思うんだけど、何で知ってるんだ?」
「━━━そんなこと、どうでも良くないかな?」
少し間があったが、桜月はいつもの笑顔で俺を見た。だが、少しだけ陰りを感じた。
「いや、どうでも「そんなことより、私も聡君に聞きたいことがあったんだ」」
俺の言葉を遮るように、桜月がはっきりと俺に言ってきた。
ゾク
「打ち上げの翌日から、今まで何をやってたのかな?」
首を少しだけ傾けて、瞳孔を開いて俺を見ていた。早口で抑揚がなく、平坦だった。凪のように静かなしゃべり口にぞっとさせられた。
「いや、普通に新学期の準備を」
「その身体で?」
「ああ、そうだけど……」
家の中で動くだけなら特に問題はない。多少は外出しているが、遠出はしていない。部屋に留まっていると悪い物が溜まってしまう感じがして、少しだけ散歩をしたが、本当にそれだけだ。
「ねぇ、私ってもう必要ないのかな……?」
桜月の瞳からツーと涙がこぼれた。
「そんな体で不自由でしょ?何で私を頼ってくれないの?何で私に家を教えてくれないの?待ってたんだよ?私、君が命令してくれるなら何でもする気だったんだよ?それなのに、待っても待っても連絡は来ないからさ、勇気を出して来てみれば、一人で片付けなんて無茶してるしさ━━━ねぇ、答えてよ?」
重すぎるし、怖えよ!?
ホラー映画が児戯に思えるくらいに今の桜月は恐ろしかった。
下手な誤魔化しや嘘では傷つけてしまう恐れがある。一度深呼吸をして、覚悟を決めた。
「最初は桜月に連絡しようと思ったんだけど、忙しいと思ってさ……大学の準備とか色々あっただろ?気を遣わせないようにしてたんだが……」
嘘でもないが本当でもない。咄嗟に出たものにしては合格だろう。
「……本当?私がいらなくなったとかじゃない?」
桜月の濁った瞳に生気が戻ってきた。
「本当は一人で大丈夫だって言いたいところだったけど、まだ無理みたい。正直、今日、桜月がきてくれて助かったよ。ありがとう」
「うん……うん!良かったぁ!」
「うお!?」
桜月が感極まって俺の胸に飛び込んできた。思わず受け止めてしまったが、柔軟剤の香りと人気グラドルのナイスバディが俺に触れてしまっている。理性が飛びそうだ。
「桜月、あの、離れてくれると嬉しんだが」
「あ、ごめんね?捨てられたと思ってたから安心しちゃって」
「いや、捨てるわけないだろ……?」
拾った覚えもないがな。むしろ、俺が捨てられたとすら思っていた。
「良かったぁ……もし嫌われてたら、暗黒のキャンパスライフを送るところだったよ」
桜月が胸を撫でおろしている。そんな桜月を見て使命感に駆られた。甘えを捨てて、言わなければならない。いつまでも桜月に罪悪感を感じさせるわけにはいかない。
「……なぁ、桜月。少しいいか?」
「ん?何かな?」
「俺のことはいいから、大学生活を楽しみなよ。社会に出るまでの最後のモラトリアムなんだからさ」
桜月は働いているから、どういうキャリアを行くのか分からないが、普通、大学生は社会に出る前の最後の楽園だ。そんな四年間を俺への罪悪感で無駄にして欲しくない。
「……やっぱり私は要らないの?」
「違うって。今日みたいに助けてくれるのは本当に助かるんだ。ただ、大学も別なんだし、桜月には桜月の人生があるだろ?」
「私の人生は聡君のためにあるんだよ?」
「ええ……」
真顔で言い切られたよ……
真剣過ぎて、俺がたじろいてしまった。
桜月が微笑を浮かべた。
「それより、聡君は可笑しなことを言うんだね。私たち大学一緒だよ?」
「え?」
「アレ?言ってなかったっけ?学部は違うけどね」
「初耳ですね」
【LoD】をプレイしていても大学に進学するという話はしていたが、どこ大学かは書いてなかったはずである。
「だから、何も心配いらないよ!大学でも付きっきりでお世話してあげるから!」
「あ、うん」
無邪気な笑顔で言われてしまっては断れない。むしろ、断ったら後が怖い。俺への罪悪感がなくなるまでは好きにさせると決めているのだ。ここは妥協するしかない。
ただ━━━
「ま、まぁ。学校ではお世話になるかもしれないけど、うちまで来てもらう必要はないからな?そこまで迷惑はかけられ「ピンポーン」」
俺の言葉を遮るようにインターホンが鳴った。
「私が出るよ」
家主を無視して勝手に玄関に行ってしまった。多分、通販で何か頼んだものが来たのだろう。神経が張り詰めていたので、ソファの背もたれに、身を沈めた。
「だ~れだ」
「うお!?」
突然、視界が真っ黒に埋め尽くされた。いや、それよりもこの聞き覚えのある声は、
「朱奈……?」
「正~解」
手を離されたのでソファから、首を後ろに傾けると柔らかい何かに当たった。朱奈がニコニコと俺を見下ろしていた。
「久しぶりだね~」
「ああ、うん。久しぶり~じゃなくて!何で俺の家に朱奈が!?」
というか後ろからそれをやられると、朱奈のメロンが当たるんだが!?
「朱奈さんだけじゃ「会いたかったです!」あっ、ちょっと!?」
続けて紫乃が大仰に感動の再会のように瞳を潤わせ、俺に飛びついてきた。
「数日ぶりの聡様……準備があったとはいえ、お世話ができない日々はとても長く長く感じました。お怪我の具合はいかがですか?悪化でもしていようものなら━━━」
「あ~、大丈夫だって。順調に治ってきてるよ」
「それなら良かったです……」
紫乃が俺の膝の上に乗って、話しかけてきているのだが、顔と顔の距離がほとんどゼロだ。これだけ顔が近づいているのに、紫乃の肌は宝石のように綺麗だった。
って、そんな気持ちの悪い分析をするんじゃなくて!
「ごめん、二人とも。俺から離れて……」
「そうよ。離れなさい!聡が迷惑しているでしょう?」
「「は~い」」
朱奈と紫乃が渋々俺から離れた。引き剝がしてくれたのはありがたいが、なぜ麗音もいる?
「久しぶりね、聡」
「久しぶりってほどじゃないけどな。それより「ねぇ聡」」
俺の疑問は再び、封殺された。それより、麗音の距離の詰め方が滑らか過ぎた。俺のソファーは一応、横になれるように二人掛けなのだが、一瞬で俺の隣を陣取り、そして、俺の右手を自分の両手で包んだ。
「会いたかったわ。ずっと、心配だった。一人で怖くて泣いてるんじゃないかって……」
「子供じゃないんだが……それより、むぐ!?」
「でも、もう心配いらないわ。私が傍で看ててあげるから安心して。怖くなったら、私の胸で泣いていいのよ?」
麗音が俺の顔を抱き寄せたことに気付くには、幸せな感触に包まれてからだった。それより、感極まって泣いているのは麗音の方だ。
どんだけ、俺のことが心配だったんだよ……そこまで、俺って子供っぽかったのか……少しショックだ。
それより、こいつら、全く俺に話をさせてくれないな!?
お世話をしてくれるのはありがたいが、俺の意志を大事して欲しいぞ。俺は麗音の人を駄目にするハグからの脱出を試みた。
そして━━━
「はぁ……それで、なんでここにいるんだ……?俺、家の住所、教えなかったと思うんだけど……」
「何でって、桜月から聞いてないのかしら?」
「いや、何も……」
「あの人は……聡も混乱するに決まってるじゃない、もう」
麗音がこめかみを押さえているが、俺の方が何倍もそうしたい。
「みんな、揃ったね!」
桜月が玄関口から戻ってきた。さっきから何も答えてもらっていないのに、疑問だけが積み上がる。やっと静かになったので、そろそろちゃんと答えてもらおう。
「俺の住所を知っているのはこの際どうでもいいや。それより、なんでお前らが全員俺の部屋に揃ってるんだよ……」
「何って、引っ越しだよ。私たち皆今日から聡君の隣の部屋に引っ越してきたからお隣さんだね!ついでにみんな同じ大学だよ!」
「え……?」
「学部は綺麗に全員違いますけれどね」
「ね~、どうせなら聡君と同じ経済学部にすればよかったよ~」
「そうね……受験期の私を殴り殺したいわ」
「マジか……」
ここまでくると世界の強制力を疑いたくなるが、ゲーム自体は『BAD END』表記が出た時点で終わっていたはずだ。大学生編なんてなかったし、続編もなかった。つまり、偶然、ヒロイン達と同じ学校に通うことになったということだ。
「大丈夫?」
「え?ああ。大丈夫」
「良かった」
桜月に話しかけられて現実に引き戻された。顔を上げると、【LoD】の四人のヒロイン達がニコニコと笑いながら俺を見下ろしていた
「それじゃあ聡君。大学生活、楽しもうね?」
屈託のない笑顔のはずだが、どこか闇を感じさせられた。
「お手柔らかに……」
俺に言えるのはそれだけだった。
『重要なお願い』
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