第4話 電装街の屋台飯 ②
「ほいよ、お待ち」
案内された屋台のカウンターに、二杯の麵料理が置かれた。透き通った琥珀色のスープには灰色がかった麺が沈んでいて、その上に合成色の強い肉の薄切りのようなものが乗っている。スープに浮かんだ脂の雫は、行き交う飛行機械の光を受けて虹色に輝いた。
ツェツィーリヤは椀の中を覗き込んだまま固まっている。ユリウスがカウンターに置かれた円筒形のケースからフォークを1本抜き出すと、ツェツィーリヤも慌ててそれに倣った。フォークの先に艶のない灰褐色の麺を絡め取った二人は、おっかなびっくりそれを口に運び――
「……っ!?」
揃って思わずむせた。麺のようなものは口の中でザラリと崩れ、粘つくそれに虹色の油が絡みつき、腐った玉葱の様な匂いが鼻に抜けると共にビリビリとした刺激が舌を襲う。
大柄な屋台の店主が、のんびりとしたした仕草で彼らを覗き込んだ。
「ありゃ、お客サンたち生体なの? あんまりキレーな顔してるからてっきり義体かと思ったよ。エイトもそうならそうって言ってきゃいいのに。気の利かないやつだねぇ」
ユリウスは椀の中に虹色の油を吐き出しながら、エイトに心の中で毒付く。ちなみに当のエイトは案内だけしてさっさと店に戻ってしまっていた。
「ごめんねぇ。ただでさえ電装街で生体さんが飯を喰うなんて珍しいもんだから。ウチ生体用は大したもの置いてないんだけどさ。ま、なんか食えそうなもん作り直すから」
椀を下げたついでに口直しに、と出された桃白色の液体をすする。ひどく甘ったるいそれは、不思議な爽やかさを伴って喉を滑り落ちていった。こくんとユリウスの喉が嚥下する様を、ツェツィーリヤがじっと見つめる。
「なんだよ」
「いえ、飲める味ならわたくしも頂こうかと」
「ナチュラルに人を毒見扱いすんじゃないよ。気分悪ぃな」
味は教えてやらん、とユリウスが唇を尖らせていると、コトンとそれぞれの前に細長い皿が置かれた。
「やあ、おまたせ。エウロパ産の魚だよ。こっちは口に合うといいけど」
サンドリヨン・グリーンの皿の上には脚が八本生えた魚と、無数の触角が生えた甲殻類のようなものを、それぞれ串に刺して焼いたらしいものが乗っている。香ばしい香りが鼻をくすぐった。
ユリウスは無造作に串を掴むと魚の背にかぶりつく。ほろりと身が崩れ、皮と身の間からクセのない脂が染み出してきて、芳醇な旨みと香りが口の中に広がった。脚を一本毟り取って齧る。複数の指に小さな爪を備えたその見た目は不気味だったが、カリカリに焼かれた脚は美味だった。塩味のそれをもぐもぐと咀嚼しながら、「うん、うまい」と独りごちる。
「躊躇なく行きますわね……」
「俺とユリアはスラムの出だからな。あの頃はゴミ箱のゴミや鼠だってご馳走だったんだ。大抵のものは食えるよ」
「……そう」
甲殻類の殻を剥こうと四苦八苦している姿を横目に見ながらツェツィーリヤも串焼きを齧った。皮目の弾ける心地の良い音と共に、香ばしさが鼻に抜ける。
「貴方がユリアちゃんに過保護なのはそのせいですか」
「これ殻ごと食えるぞ。剥かなくていいってさ」
投げ掛けられた問いには答えず、ユリウスは甲殻類を殻ごと齧る。パリパリと薄い煎餅を食べているような咀嚼音がした。
「ユリアちゃんもそろそろ大人ですわ。あまり雁字搦めにするのもどうかしら」
「それはあんたがユリアにちょっかいをかけるのを邪魔するなって意味か?」
ユリウスは甲殻類の長いヒゲをぽりぽりと齧りながら問う。
「まあ、それもありますわね。個人の人間関係に家族が介入するべきではないのではなくて?」
「あんたに限って言えばユリアのためにならねぇからだ。あんた別に女のコが好きってわけでもねぇんだろ」
「はぁ? わたくしはちゃんとユリアちゃんのことを」
「ユリアを逃げ先にすんじゃねぇよ」
ぴしゃりと言い放たれてツェツィーリヤはむっとしたように反論した。
「貴方こそユリアちゃんを逃げ先にしているのではなくて? いつもベタベタベタベタと」
「ユリアにはまだ帰る場所が要るんだ。俺だけは何があっても絶対にユリアの味方だし、何があっても傍に居てやるってことを保証し続けてやらないといけない。あいつが自分から俺の傍を離れようとするまではな」
そう言ってユリウスは雫の浮いたグラスを呷る。妙に素直で饒舌なその白い頰が薄紅の色に染まっているのを見て、ツェツィーリヤはグラスに口をつけた。蕩ける甘さの向こうに仄かにアルコールが香る。
思い返してみればこの男が酒を口にしている姿を、ツェツィーリヤは見たことがなかった。歓迎会や惑星到達のささやかな祝いの席のみならず、フェニックスの食堂でも酒は出る。どうせ死出の旅だからと、未成年飲酒について艦では細かい事を言わないのが暗黙の了解だった。出撃前夜などは、酒に浸って恐怖を忘れようとする者も少なくない。
酒が回った少年たちにしょっちゅうちょっかいを掛けられているツェツィーリヤは、その事をよく知っていた。うんざりした彼女は癒しを求めていつもユリアの姿を探すことになり、必然としてその横に居る兄を見ることになる。だがいつだってユリウスは素面で、ツェツィーリヤはこの番犬に追い払われてしまうのだ。
「貴方がそうしているからユリアちゃんは貴方から離れられないのではなくて? 手を離すことも自立には必要ではないかしら」
「俺が掴んでるわけじゃない。ユリアが手を離すならそれは喜ばしい事だよ。でもあいつの縋った手を引き剥がすなんて事は俺にはできやしない……」
青玉の視線はじっとグラスを持つユリウス自身の手に注がれている。
「あんたと違って俺たちは明日死ぬかもしれない身だ。自立なんて言やぁ聞こえはいいが、俺以外のよすがを増やしてユリアになんのメリットがあるんだよ。失くすことを何よりも怖がってるあいつにさ」
「だからこそではなくて? その状態で貴方がいなくなったらユリアちゃんはどうなってしまうの」
澄んだ青玉が暗く濁る。髪と同じプラチナブロンドの、長い睫毛がゆっくりと瞬いた。
「……分かってる」
ユリウスは絞り出すように低く呻く。ツェツィーリヤは僅かに目元を歪めた。
「怖がっているのは、貴方もね? ユウさん、シエロさんにQPちゃん、ハイドラ君……。貴方は既にユリアちゃん以外をその手に乗せ始めている。それが怖いのね。その怖さをユリアちゃんに味わわせたくないと思っているのではなくて?」
ユリウスはそっぽを向く。
「俺の両手で抱えられるのはユリアひとりがせいぜいなのにな」
吐き捨てるように言って、ユリウスはカウンターに突っ伏した。メックスーツの肘が皿に当たり、甲殻類の殻の破片が散らばる。
「つか勝手に分析して知ったような口を利くなよ。気持ち、悪ぃ奴……」
突っ伏したまま、不貞腐れた声が言った。ツェツィーリヤは桃白色の液体を一口飲み込んで苦笑する。
「これは一種のシンパシーね。同じなのよ、わたくしがユリアちゃんに逃げているのと」
ユリウスは答えなかった。
ツェツィーリヤはそれ以上何も言わず、小さな口でもくもくと串焼きを齧る。脚の多いその魚の身がなくなり、地球の魚とよく似た背骨だけになる頃、隣から規則正しい寝息が聞こえてきて彼女は眉をひそめた。
「ちょっと。こんな所で寝ないでくださる?」
そう言いながらメックスーツを揺さぶるも、くたりと力の抜けた身体は揺さぶられるがままになっている。
「ねぇ、起きて」
酒を飲んで弱音を吐いて、潰れてしまったそれはただのどこにでもいそうな青年のように見えた。番人でも番犬でもない、大人にすらなりきれていない、ただのユリウス・トルストイという名の人間。
このままにしておいてやりたい気もしたが、そういうわけにもいかなかった。メックスーツに包まれた腕を肩に回して立ち上がらせようとしてみるも、重すぎてすぐに断念する。
「起きなさい、ユリウス・トルストイ上等兵」
耳を引っ張って耳元でそう言ってみたが、メックスーツのグローブの甲で鬱陶しそうに払われた。金糸の睫毛が降りた目が開く様子はない。
ツェツィーリヤは苛立った様子で目を眇めた。細い指を椀型に形作り、耳元に口を寄せる。
「起きて、お兄ちゃん」
ガバっとユリウスが起き上がり、寝ぼけ眼でキョロキョロと辺りを見回すと素早く身を引いたツェツィーリヤに目を留めた。じっとりと半眼で見つめてくるエメラルドの瞳から、気まずそうに目を逸らす。
「本当に気持ち悪い人ですわね」
「……うるせぇ。言うあんたもあんただよ」
メックスーツのコンソールからアルコール分解用のナノマシン注入を操作しながら、ユリウスは不貞腐れた声で呟いた。
義体用の食事は主に生体の頃の食習慣が忘れられないサイボーグたちのための、疑似食品型の燃料のようなものです。味はクソまずいし生体で沢山食べるとお腹を壊します。




