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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
第三章 アステロイドベルト
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第17話 雪の雫に熱をこめて ②

 その日、ラニはもう訪ねてこなかった。午後からまた点滴を受けに行って、部屋に戻ってもいいと言われたのは消灯時間間際の事である。


 まっすぐ部屋に戻らず、食糧生産プラントの方へ足を向ける。消灯時間間際で、人影はまばらだった。消灯されたからと言って別に出歩いてはいけないわけではないのだが、比較的面倒な申請を通さなければ灯りは使えないため、夜勤以外の人間は大抵部屋に戻る。艦で扱う時間は基本的に地球出発時の24時間サイクルを維持していて、消灯時間に合わせて生活することは宇宙の暗闇を進む中では健康維持にとっても重要な事だった。


 プラントに着く頃には艦の灯りは落ちていた。()()は賑やかに鳴き交わしている動物たちも、今は薄暗がりの中で静かに呼吸のみを繰り返している。

 ひっそりとその横を通り過ぎ、菜園に足を踏み入れた。入口のすぐ傍に貰った小さな場所で、4つの鉢植えがつけた花がその白い花弁を非常灯の淡い緑に染めている。 


 腿を探って小さなナイフを取り出すと、ナギはスノードロップの鉢植えの前にしゃがみ込んだ。ぷつんぷつんと、ナイフでその花を切り取っていく。

 摘み取った花を携えて立ち上がろうとして、ナギは目を細めた。

 

「……誰?」

「すみません、僕です」


 誰何(すいか)の声に応じて姿を見せたのは赤毛の少年だった。


「何?」


 短く問われて、ハイドラは金の瞳をナギの手の中に向ける。


「その……花を、少し譲ってもらえないかと思って。今回、QP達もたくさん死んだから――クピドが少し元気がないんです。花をあげたら元気が出ないかなって思って……その、気に入っていたみたいなので」


 ハイドラがおずおずと話すのを黙って聞いていたナギは、肩を竦めてひょいと小さな花束をハイドラの頭より高い位置に持ちあげた。


「だーめ」

「え……」

「これはね、人に贈るもんじゃないよ。女の子に花を贈るときはね、花言葉なんかを調べてからにしなさい」

「でも、前に花言葉は希望って」

「そうだよ、そっちはね」


 ナギはそう言って鉢植えに残った花に向けて顎をしゃくった。ハイドラの表情が疑問符で埋まる。

 ナギは目を眇めて少年を見降ろした。


「人に贈るときのスノードロップの花言葉はね、“あなたの死を望む”だよ。どうする? 持ってく?」


 ハイドラは目を瞬かせた。数秒の沈黙ののち、「……いえ、やめておきます」と細々と答える。

 その肩にぽんと手を置いて、ナギは背を向けた。


「花なんてあげるくらいならドーナツでもあげたほうが喜ぶよ。じゃあね」

「でも、その花は一体……」


 戸惑ったようなハイドラの声が、細い背に跳ねて花弁を揺らした。ナギは答えず、少年を残して歩き去る。

 プラントを後にして、ラウンジに向かった。まばらだった人影は完全に姿を消し、自分の靴音だけが小さく響く。いつかの夜に自分を迎えに来たギルバートが、自分を背負っても足音を立てなかったことを思い出した。足音を立てずに歩くことはナギにだってできるが、なんとなく自分がここにいることを示したくて、小さく踵を鳴らして歩いていく。

 

 ラウンジの近くまでたどり着いた時、ナギはぴたりとその足を止めた。ラウンジの中からは、低い男の声が漏れてくる。足音を消してラウンジの入り口に忍び寄り、出入り口から死角になっている場所に身を沈めた。


「サイトウ、お前の采配はいつも見事だった。お前をフライトリーダーに任命したのは間違いではなかったよ。地球を出る前、ナタリアさんが苦労して手に入れてくれた牡蠣は旨かったなぁ。また一緒に食いたかったよ。……すまない。すまない……」


 低く通る声はシキシマのものだ。ナギは狭い空間に頭を預けて目を閉じる。この司令官が夜更けにひっそりと死者の元に足を運んでいることを、艦の誰もが知っていて、誰もが知らないふりをしていた。

 穏やかに生前の思い出を語り、そうしておいて最後には謝罪を繰り返す。一人一人に、丁寧にそれを繰り返した。身勝手だな、と思ってナギは口の端を緩める。でもそれでいいのだ。追悼というものは一見死者のためのものに見えて、それは生者が赦しと区切りを求めるためのものに他ならない。


「ギルバート。お前がどれだけこの隊を支えていたか、お前知らないだろう。私も本当に頼りにしていたんだよ。正直お前がいなくなって、これからナギのことをどう扱うべきか悩んでいる。だが心配するな。私が必ず何とかする。だから安心して……いや、私にこんなことを言う資格はないんだ。私の指揮が至らないせいで辛い戦いを強いた。すまん。本当にすまない……」


 狭い空間の中でナギは淡く笑う。恐らくそんな大層な話ではないのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう、それだけの話で。

 シキシマの悔恨は滔々(とうとう)と続いた。繰り返される低い声に、意識がふらりと眠りの縁を越えかけたところで、ようやくシキシマがラウンジの入り口に足を向ける。

 ふらふらと、普段は決して見せない弱弱しい足取りでラウンジを出ていく司令官の姿をひそやかに見送って、ナギは狭い隙間から這い出した。長時間ぎゅっと縮めて詰めこんでいた体をぐうっと伸ばす。その胸元で鋭利なシルエットの十字架がかすかに揺れ、死者のためにともされた灯りを反射して淡い銀の光を振りまいた。


 ラウンジには棺を模した小さな箱が並んでいる。一番眺めのいい場所に置いてやろう、と誰かが言い出したためここに移されたそれらの中身は、ほとんどが空っぽだった。僅かな遺品と仲間たちからのささやかな贈り物を詰めたこれらは3日後、宇宙へと送り出される。かつて船乗りたちが海で死んだ仲間を海に還したように、星と星の狭間で死んだ者は宇宙へと還されるのだ。


 ナギは小さく、小さくなってしまった養父の前に立つ。「……ドジ」と小さく呟いてから、しゃらりと鎖を鳴らして十字架を見せつけるように持ち上げた。


「お守りってのはね、(シルバー)だからお守りなんだよ。素材替えるとか、馬鹿じゃないの」


 くつくつと喉を鳴らす。こんな情緒の欠片もない事をする男だから、ギルバートはもう一つの意味もきっと知らない。


(――首飾りを贈るのは、お前を大切に想い、この先もずっと共にあること証でもあるのだよ)


 知っていたら、きっとこんなしょうもない死に方をするはずもない。それが大層小気味が良くて、笑いが零れた。

 

 今日、自分を抱きしめたラニの体温を思い出した。何かあるたびに怖かったね、と抱きしめてくれたかつての家族を思い出した。

 ギルバートは家族を殺され、殺人に手を染めて血溜まりの中にいた自分を、抱きしめもせず、ただ手を引き、毛布と温かいコーヒーをくれて、それから話を聞いてくれた。

 あの日感じた疑問の答えを、唐突に理解する。どうしてこの男についていきたいと思ったのか。怖かったね、も。もう大丈夫だよ、も。この男は言わなかった。それが心地よかったのだ。自分に対して何を決めつけることもなかった、最初のひと。


「ねぇギル」


 いつかこんな日が来ると思っていた。だって自分の方が強いから。ナギの手から白い花が離れ、小さな棺の上に乱雑に散らばる。


「ちゃんと死んでね。生き返ってくるなよ(アザトゥスになるなよ)

 

 この花を、ずっと(ねつ)を込めて育ててきた。いつか来るこの日に、雪の雫(このひと)をあとかたもなく融かし尽くしてしまうようにと。



お読みいただき、ありがとうございます。

これにて3章は完結となります。


このあとおまけを2つ挟んで、4章開幕となります。

4章は木星圏を舞台に、今までとは少し違った展開をお見せする予定です。

彼らの旅は折り返し地点。

今しばらくお付き合いいただければ幸いです。

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