第15話 アステロイドベルト遭遇戦 ph5 不死鳥は二度死ぬ ②
混成部隊が肉の群れを切り裂いていく。先頭を行くガーゴイルを駆るのは戦闘班班長のレナードだ。戦を告げる角笛のように、太い声が高らかに回線を駆け巡る。
『一点突破だ。やるぞおめぇら!』
操縦桿を握る手に汗が滲む。じっとりとグローブの内側が冷たく濡れる感触が不快だった。早鐘のように打つ心臓を押さえつけて、先ほど交わされた会話を頭の中でなぞる。
『このままではジリ貧だ。フェイルノートの主砲が直るのを待っていて全滅してはどうしようもない。鹵獲機のほうが足が早い以上、逃げることも困難だ。ダイモスのトリアイナ同様、水素反応炉をアヴィオン部隊で潰せ』
『ま、待ってくれ艦長! アルテミスの惨状を見ただろ、近付くなんて無茶だ』
『ナギが敵方の早期警戒機を全機墜とした。艦載レーダーだけなら電子妨害でなんとかなる』
『あーこちらスサノオA-01。スサノオの誘導弾は慣性誘導とレーダー誘導のハイブリッドです。電子妨害を仕掛けるならトリアイナ戦の時より爆撃の精度は落ちますぜ』
『織り込み済みだ。幸か不幸か、フェニックス・キャプチャーの浸食度合いはだいぶ深刻だ。外装はほぼ無くなっていると見ていい。多少精度が落ちたところで問題はないだろう』
主砲の射角を逸れて回り込む。旗艦同士で睨み合っている今、主砲はお互いから逸らせないだろうという判断だ。
『ヘイムダルA-02、敵レーダーのジャミングを開始せよ!』
『了解! ジャミング開始、防衛軍標準周波数帯にノイズ信号を送信します!』
電子戦を担うのはヘイムダルを駆るユリアだった。その澄んだ声がジャミングの開始を告げた途端、レーダーにノイズが走る。次々と光点が消えた。
分かっていたことだが、本能的な恐怖にわずかに声が漏れる。おそらく他の若いパイロットたちも同様なのだろう。軽いどよめきが広がった。
『怯むな、テメェの顔についたその目を使え! しっかりついてこいよガキども!』
光の消えたレーダーマップをHUDから振り払う。ガーゴイルの陽電子砲が鹵獲旗艦の側面を薙ぎ払った。肉の合間から針のように突き出した小型砲門が削ぎ落されて宇宙にばら撒かれる。
『撃て撃て撃て! ありゃ台座が相当緩んでるぞ、どんどん引っ剥がしてやれ!』
旗艦の表面にぽこぽこと眼球が浮かび上がり、ぎょろぎょろと辺りを見回し始めた。砲門を削がれた肉が蠢き骨砲を組み始めるが、ハイドラの反物質砲がそれを消し飛ばす。
『気付かれたぞ! 周囲の砲門も急いで潰せ!』
無数の白光が閃いた。カドリガの一機が飛び出してその射線を遮る。白銀の翼を焦がしながら、カドリガはレーザー砲門ごと周囲の肉を消し飛ばした。コンラートが怒鳴る。
『馬鹿野郎! 命を粗末にすんじゃ――!!』
『エンジン、スラスタ、コックピット共に被弾なし。問題ありません、継戦可能です』
『お前帰ったら説教だかんな!?』
いつもの無機質な声に若干揶揄うような調子が含まれていた気がするのは、気のせいだったろうか。
おかんむりのコンラートの向こう側、肉の合間から新たな砲門が顔を出す。
「コンラート、こっちも!」
ユウは陽電子砲をチャージしながら機首を翻す。
紫電の閃光が迸るのと、砲門からミサイルが撃ち出されたのは同時だった。
『だー、畜生!』
咄嗟にコンラートが撃ったミサイルとそれが衝突してオレンジ色の爆炎が散る。その爆炎の向こうから、重々しい全翼機が姿を現した。
『スサノオA、ヘルヴォルD、現着!』
『いいぞ、スサノオ! 薙ぎ払ってやれ!』
『全弾投下!』
四機のスサノオから大量の爆薬が降り注ぐ。閃光と共に分厚い肉と腱が弾け飛び、脈打つその奥にひどく汚染された内部構造が覗いた。その穴に向かって、ミサイルが立て続けに飛び込む。
『退避!!』
肉が膨れ上がった。残っていた金属構造が赫灼たる輝きを放って破裂する。散乱する熱放射が周囲の肉を蒸発させ、鹵獲旗艦を覆い尽くした生体組織が苦しむように波打った。
『第一水素反応炉を撃破! 全員離脱しろ、第二水素反応炉を潰しに行くぞ!』
広範に焼き焦がされ、再生を繰り返すその場を後にして第二水素反応炉に向かう。移動するその先に次々と砲門が生えてくるが、陽電子砲がそのすべてを薙ぎ払っていく。
『補給追い付きません! 進軍速度を緩めてください!』
イドゥンのオペレーターが悲鳴を上げ、進軍速度が緩んだ。砲門を削ぎ落した部分にブツブツと穴が空く。穴の奥から、骨と腱で構成される砲身が頭をもたげた。ユウはフライトコンソールのインジケータをちらりと見、陽電子砲がもう1発撃てることを再確認してからその射線に躍り出る。
『HSU-01、生体砲対処します!』
チャージが僅かに間に合わない。生体砲のリコイルの動作に、回避のため操縦桿を引こうとしてガクンと腕が止まった。
「————え」
スローモーションのように、骨砲から大型の生体針が撃ち出されるその様を、ユウはただ見る。黄色味がかった白色の鋭い切っ先が、キャノピーを貫いた。蜘蛛の巣のように罅が広がり。
コックピットに押し入ってきたそれは、ユウの左手と左腿をまとめて貫いた。
「っぎゃああああああああああああ!!?!!」
一拍置いて、自分の喉から絶叫が迸る。痛みと共に広がる何か悍ましい感触に視界がちらついた。明滅するその視界の奥で、シエロの箱に光が灯る。
「ユウさん!?」
数時間ぶりに鼓膜を撫でた相棒の声は酷く狼狽していて、それが吹っ飛びかけていたユウの意識をコックピットの内に引き戻した。霞む頭で思考を回す。
(——クソ、シエロが起きたから命令系統が混線したんだ……!)
震える手を操縦桿から引き剥がす。動くたびに、ぞわぞわと自らの肉を内から撫でる何かの気配が強まった。
「シエ……ロ……、とりあえず操縦をたの……む」
震える手でスーツの前腕部のコンソールを叩く。まずは麻酔。痛みが僅かに緩む。
(左手……と、左、足。クソ……)
苦々しい気持ちとともに、ごくりと唾を飲み込んだ。戦闘機から部品を切り離すのとはワケが違う。だが肉の内を舐める悍ましい感触は、覚悟を決める猶予を与えてくれはしない。
全身が心臓になってしまったかのように、激しい鼓動が全身を駆け巡った。コンソールには切断部位の選択パネルが並んでいる。ぞる、と再び腿の中を何かが駆け上がり、叩き付けるように左足のパネルを押した。
感覚が消し飛んだ。体を離れた足が生体針を軸にぐるりと回転し、コンソールの端に当たって鈍い音を立てる。足の重みに腕が引きずられるような感覚を覚えるが、麻酔が効きはじめていて痛みは薄い。意識が霞んだ。
意識を飛ばすまいと歯を食いしばり、左手を示すパネルも押す。体からバランスが失われた感覚と共に、串刺しになった腕と足がまとめて宙を舞った。複数の切断機を重ね合わせるように閉じられたその断面から、ぽつりと真紅の雫がひとつ浮かぶ。
「っ、あぁ……」
猛烈な喪失感を意識の底に追いやって、HUDに機体制御のメニューを呼び出した。意識を集中させたくて、通信をすべて切る。
「ユウさん、ユウさん!! 管制室、こちらHSU-01、パイロット被弾!」
管制の声はもう聞こえなかった。ヘルメットの中にはシエロの声だけが流れ込んでくる。
「ユウさん、気をしっかり! 離脱、離脱シないと……」
「シエロ」
「じょ、状況はどうナって……」
「シエロ。聞いてくれ」
「でモ」
「聞いてくれ。兵装の、ロックを……外すよ」
「ユウさん?」
「シエロ。あとは、頼む。ちゃんと、倒して、くれ、よ」
一つずつ。漏れがないように。丁寧にロックを外していく。
——どれか撃てないと、困るもんな。
そう呟いたつもりだったが、その喉はもう音を発してはいなかった。エンジン始動ユニットのロックを解除する。それと同時に、ユウの意識は暗がりの底へと転がり落ちていった。
* * *
『シエロさん! 起きたんですか!? ユウさんは!?』
ユウが切った通信を再開すると、見慣れた電子空間の中でイコライザが跳ねた。機内カメラの映像の中では、手足を失ったユウがぐったりと首を垂れている。その横に張り付いたバイタルモニタは、弱弱しい心音を刻んでいた。
「ユウさんは、生体針を受けて……左手と左足を切断して……まだ息はあります、早く離脱しないと! ……ど、どうしテこんなことに」
『シエロさん、機能停止してたんですよ。ええと、2時間くらいかな。そんなことよりユウさんです。早く医療機に連れて行かないと……ああもう!』
無数に襲い掛かってくる小型を撃退しながらクピドが悪態をつく。援護に割り込みながら、ハイドラが声を上げた。
『今単機での離脱は無茶ですよ! レナード班長、護衛にヘルヴォルを――』
『ダメだ。このまま第二水素反応炉を潰しに行く。そいつ一人のために隊を全滅させる気か』
救助を優先するその提案を、レナードはぴしゃりと拒絶する。そのあんまりな物言いに、シエロは回路が沸騰するような感覚に陥った。
燃え上がる感情に任せて、電子空間の中に作戦資料と戦闘ログをばら撒く。数秒でそれをメモリに叩き込み、外部カメラに映るガーゴイルを睨みつけた。
「電撃でお願いしまス。私の相棒が死んだら承知しません」
『お前の働き次第だな。行くぞ!』
仮想の操縦桿を引き絞る。第二水素反応炉はもうすぐそこだった。先頭に飛び出すと迫りくる小型を引き付けて、レーザーでまとめて両断する。イコライザが跳ねた。
『おいそこの寝起き野郎、独断専行するな! 主人の手綱がねぇとまともに働けねぇのか!?』
(働き次第っテ言った癖に!!)
ちりちりと怒りが回路を焼き焦がす。猛烈に腹が立ったが何も言わずに引き下がった。ただ募っていくばかりの焦燥感を鎮めようと、電子空間を見渡す。ふとイコライザの端の通信チャンネルにピントが合った。
(——いつものチャンネルじゃない)
戦闘開始時はいつものチャンネルだったはずだ。なんとなく気になって、通信タスクを多重起動した。起動しながら、奥の外部カメラに映った生体砲を消し飛ばす。
イコライザが激しく上下した。酷いノイズだ。ノイズに混じって、人間の声が流れ込む。
『我々……は……地球へ……がえラ、なげ、ればなら、ナイ』
その音声パターンはメモリにあった。リチャード・レイ・ロバーツ。その声を聴いた瞬間、レナードに罵倒された時とは比べ物にならない激情が回路を埋め尽くす。
理由は分からなかった。だがあのロバーツ艦長が、ユウをこんな目に遭わせたのだというその事実が、ただそれだけで許し難い怒りと化して感情を焼き焦がす。
「……何が不死鳥だ」
ぼそりと、そう呟いた。砲門を薙ぎ払う。一発、二発。陽電子砲を撃ち尽くせばレーザーで焼いた。ずっとロックされていたそれらの兵装は、長年使い込んだもののようにぴったりと手に馴染む。
補給を受けながら、誰にも届かない電子空間でシエロは一人怨嗟を吐き散らす。
「死に損なっテさぞ無念だろう。だけど帰る先はない。死んだ者は蘇らない。不死鳥は存在しナい」
爆薬がばら撒かれた。不死鳥の心臓が、真空のもとに晒される。蠢き、それを覆い隠そうとする肉塊を、シエロは陽電子砲で消し飛ばした。
「灰は灰に。塵は塵に。貴方は燃え尽きて、そこで終わりです。私が報いれることは、これだけダ」
第二水素反応炉が弾け飛ぶ。それと同時にメインチャンネルの音声がぴたりと途絶えた。管制司令室が諸共吹き飛んだのか、電力供給が止まって通信が途絶したのか定かではなかったが、それは薄っすらと漂っていた人の気配が消えたようで。
無数の目玉が無秩序に動き、不死鳥だったものに張り付いた肉をさざめかせる。外部カメラ越しにそれをじっと見つめて、箱詰めの英雄は静かに呟いた。
「おやすみなさい、ロバーツ艦長。この人は、絶対に渡しマせん」




