第12話 アステロイドベルト遭遇戦 ph2 識別信号 ②
「ヘイムダルA、出撃を許可する。幸運を祈る」
「「ヘイムダルA、出撃します」」
青白い光の軌跡を描いて、左翼格納庫01番から四機のヘイムダルが飛び出した。味方機がずらりと並ぶ作戦領域に進路を向けるが、戦列に加わる前にシキシマから指令が飛ぶ。
『ヘイムダルA、すぐに広範囲走査展開してくれ。この小惑星の向こうに鹵獲機化したフェニックスが隠れている。随伴機を含めた位置と向きを割り出したい。アヴィオンにはマーカーを貼ってくれ』
「了解、艦長。アンヘル、ハウメ。そっちは右翼側に行ってくれ。管制室、第一編隊は左翼に展開、第二編隊は右翼側に向かわせる。通信終了」
『兄さん、データリンク』
間髪入れずにユリアからデータリンクの要請が飛んでくる。広範囲走査は複数機のレーダーを構成的干渉させることで走査距離を延ばすシステムだ。複数のレーダー波は統合されることで走査距離を延ばすだけに留まらず、遮蔽物の向こう側をも暴き出す。
データリンクを受ける。ユリアは第二編隊の二番機と既にクロスリンクを確立していたらしく、レーダー視界がさぁっとズームアウトして広がった。
「ありがとう、ユリア」
「えぇ。それじゃ、行くわ」
ユリアの機体が離れていく。つっけんどんなその声が僅かに震えている事を、ユリウスは聴き逃さない。今すぐにユリア、と叫んで追い縋りたかった。コックピットを飛び越え、震える体を抱いて頭を撫でてやりたい。
——違う。怯えているのは、自分だ。マーカーを貼れ、とシキシマは言った。鹵獲機は味方の識別信号を出してくる。戦闘の混乱を避けるために、敵性マーカーの付与は必要不可欠だ。だが、それは。所属も名前も明らかになったかつての戦友たちに、“殺せ”という札を貼り付けるということでもあった。
ピン、とレーダーの検出音が鼓膜を揺らす。ひとつ、ふたつ、みっつ。AR領域を操作しようと操縦桿から離した掌は、じっとりとグローブの内側を重く濡らしている。今やらなければならなかった。今ならまだ、ただの検出信号だ。レーダーに灯る白点は敵も味方も示さないが、あの向こうに味方はいない。だから、すべて敵でいい。戦闘が始まれば、本当に名前と所属を確認した上でマーカーをつけていかなければならない。
先ほど断続的に鳴った、澄んだ識別信号の通知音が脳裏をかすめた。闇の底から死者が手招きをする。縋り付いてきた酷く重い罪の手を、ユリウスは振り払った。
(ユリアに……、ユリアに1発目をやらせるわけにはいかない)
引き金を引く、戦友たちを迷わせるわけにはいかない。
ユリウスは唇を引き結ぶと、人殺しの免罪符をばらまき始めた。次々と灯る白点を、無心で赤に塗り替えていく。ひとつ貼る毎に指は軽くなり、心の底にはひどく粘ついた澱が溜まっていった。敵性マーカーの付与数が2桁に達しようとしていた時、フォーカスしていた白点が操作する前に赤に塗り替わる。
『私も、やるから』
「うん……」
震えを無理やりに抑え込んだ妹の声。ユリウスがユリアの気持ちを理解するように、ユリアもまたユリウスの事を理解していた。もうこの世でたった二人になってしまった家族。お互いの魂を絆の糸で絡めあって、共に地獄の底へと深く沈んでいく。
『……っ、見えた。旗艦……』
ユリアが低く呟いた。敵性マーカーで塗り込められた小惑星の向こう側に、一際大きな影が姿を現す。
——何人、乗っていたのだろう。班分けされた人員に指折り始めた意識を、慌てて脳から追い出しに掛かる。余計な事を考えるな、と頭に言い聞かせた。
「……第二編隊寄りだな。アンヘル、そっちの精度を上げてくれ」
『了解! ——よし管制室、こちらヘイムダルA-03だ。戦艦サイズの機影を捉えた。これで向きは割り出せると思うんだが、どうだ』
『確認した。そのまま待機せよ』
『わかった。待機する』
不気味だった。巣がない場合、アザトゥスは大抵獲物を見つけると一直線だ。まるでピラニアの群れのように見境なく襲い掛かり、貪り尽くす。だから大規模な群体を発見した時は、向こうがこちらの射程に飛び込んでくるのを待つのが定石だった。
機内にはレーダー周期を知らせる音が定期的に響いている。発見した敵影は周期ごとに更新されているはずだが、全く動きを見せなかった。巣の攻略時でさえも、巣の周りをゆったりと動くアザトゥスの姿を観測できるというのに。
ぴたりと動かない味方機と、敵影。まるで互いにどちらかが動くのを待っているようだ。ヘルメットの内側を冷たい汗が滑り落ち、ごくり、とユリウスの喉が鳴る。
ややあって、シキシマから指示が飛んだ。
『フェイルノート、小惑星を回り込んで射程外から砲撃を開始しろ。フェニックスの間合いに入るなよ。ガーゴイルA、B、ヘルヴォルAは護衛に回れ。ヘイムダルは観測を続けろ』
『『了解。各員聞こえたな、右舷に旋回せよ!』』
フェイルノートが動き出す。グングニルの後継試作機であるフェイルノートは、大口径圧縮陽電子砲の射程距離をグングニルよりもさらに1割伸ばした試作型の駆逐艦だ。グングニルに搭載されていた大型圧縮陽電子砲ですら、フェニックスの主砲の射程を3割ほど上回っていた。適切な距離を保ちながら撃てれば、一方的に攻撃できるはずだった。
ユリウスは深く息を吐き出した。戦局が動き出した事への緊張感と、自分の役割がまだ変わらない事への安心感が胸の中で複雑に混ざり合う。
(——っ、集中)
ユリウスはヘルメットをがつんと殴りつけると、意識をレーダーに向け直した。フェイルノートはクレオパトラの外周を回る方向に艦首を向け終わり、アヴィオンが追随できる速度でゆっくりと動き出している。
骨のように膨らんだ両端の一方向を回り込み、赤いマーカーと青いマーカーが小競り合いを始めた。青点が危なげなく赤点を消していく様に胸を撫で下ろしていたユリウスだったが、ふととある違和感に気付く。
『兄さん。フェニックスが移動してる』
「うん、気付いた。——管制室、フェニックス・キャプチャーが移動している。このままだとこちらに出てくるぞ」
『こちら管制室。こちらでも確認している。フェイルノート、一旦戻れ』
『了解。フェイルノート、作戦初期位置に後退する』
ユリウスはレーダーを睨みつけた。フェイルノートは機首をフェニックス側に向けたままゆっくりと後退を始める。進行していた時より速度が出ていないのは、逆推進で動いているからだろう。そのフェイルノートの動きに合わせて、フェニックス・キャプチャーが対角線を保つように逆方向に動き始めた。
『……視えているとでも言うのか?』
シキシマの苦い声が回線を駆け抜ける。ユリウスははっとしてフェニックス・キャプチャーに随伴して動く数個の赤い光点を見つめた。互いの距離を保ちながら、進路をぶらさずに飛ぶその動きを、自分は知っている。
(広範囲走査——)
鹵獲機のレーダーがどの程度生きているのか、ユリウスにはわからなかった。だが、番人の勘が告げている。神の地の見張り番の目は、確実にこちらにも向けられていると。
『挟撃したいところだが、旗艦を出すのは出来れば避けたい。アルテミスA、前進せよ。ヘイムダルの照準補助で、クレオパトラの陰からミサイルで攻撃しろ。照準は第二水素反応炉』
ざわ、と嫌な気配が首筋を撫でた。ユリウスは僅かに黙考してから口を開く。
「艦長。ヘイムダルA-01、ユリウスです。レーダーの動きを見る限り、あちらも広範囲走査をしている可能性が高い。前に出すのは危険です」
『先ほど接敵したナギのレーダーログから、各個体の機体識別が完了している。ヘイムダルは確かに存在したが、レドームが崩壊していることを確認済みだ。戦艦の大まかな位置を把握できても、細かなアヴィオンの機影までは識別出来ていない可能性が高い』
ユリウスは唇を噛んだ。胸の底からざわざわと危険を告げる感覚が消えない。だが駆逐艦が接近できない以上、他に打つ手を思いつかないのもまた事実だった。喉をせり上がってくる上申を飲み込んで、ユリウスは声を絞り出す。
『…………了解。ヘイムダルA-01よりアルテミスAへデータリンク要請。——データリンク確認、照準補助を開始する』
祈るような気持ちで戦列を離れて進む青点を見つめ、照準を定める。第二水素反応炉。二つある戦艦の心臓のうちの一つ。確かにこれを壊せれば戦局は大きくこちらに傾くはずだ。
『照準固定! 撃て!』
アルテミスAのフライトリーダーがそう叫んだのと同時だった。固定した照準点の消失を告げる耳障りなビープ音がコックピットに鳴り響く。
(——電子妨害!! そんなものまで残ってるのか!?)
ビープ音はそれだけでは終わらなかった。照準点消失のそれとは音程の異なるビープ音が、立て続けに三度鳴る。味方機撃墜。胸の底に溜まっていた危機感が、それ見たことかと心臓に刃を突き立てる。息が詰まった。
『戦死者3! アルテミスA-01、03、04大破! 畜生、反撃ミサイルがきやがった!』
* * *
「反撃ミサイルだと!? …………くそっ」
シキシマは悪態をつきながら、立体投影地図の投影機に拳を叩きつけた。光で編まれた球体がノイズに揺れる。珍しく感情を露わにしている幼馴染に、アサクラは揶揄うような言葉を投げかけた。
「生体針でも肉弾でもなくてミサイルが飛んできたのぉ? やーだねー、随分溶けてるくせにちゃーっかり兵装残ってるのか。装填のほうはどうかなぁ? この調子だとまた撃ってきそうだね?」
「……わからん。だがこの調子では接近戦はさせられん。どうしたものか……」
苦々しく言うシキシマに、アサクラがあはは、と笑いを返す。
「もうさぁ。隠れ場所ごとぶち抜くしかないんじゃなーい?」
「……なんだと?」
「だからぁ。隠れてるの、所詮小惑星でしょ? フェイルノートの主砲でぶち抜いちゃえって言ってんの。お誂え向きに折れそうな形してるじゃない」
「馬鹿を言うな。一番外周が細い部分にしたって80kmはある」
そう言ってシキシマは黙り込んだ。わずかな逡巡のあと、フェイルノートの艦長であるエッジレイに是非を問う。
「……エッジレイ艦長。一応聞くが、可能か?」
『無茶です。とてもじゃないですが破壊しきれませんよ』
火星基地から移籍してきたばかりのエッジレイは、当然のように拒絶を示した。回線越しにも分かるほどの付き合っていられない、と言わんばかりの口調にアサクラが薄く微笑む。
「そうだねぇ。中身が詰まっていればね? ここは採掘場だよ?」
その台詞にはっとした様子で、ツェツィーリヤが手元の情報端末で観測したばかりのクレオパトラの地形データを呼び出した。
「艦長、これは……」
クレオパトラのその骨のような形状の、一番脆そうな部分に穴が空いている。深さは分からない。だが穴の縁にずらりと打ち付けられた採掘機は、掘り出した資源を係留し集積するためのものだ。かつてここで行われていた、確かな露天掘りの形跡。
シキシマは眉根を寄せて情報端末とアサクラの顔を交互に見る。アサクラは薄い笑みを湛えたまま、シキシマが決を下すのを待っていた。
「——賭ける価値はあ、る……むぐっ」
「よくできましたー」
命令のために開いた口に、にたりと笑ったアサクラが何か白いものを放り込む。目を白黒させて咀嚼し、少しむせながらそれを飲み込んだシキシマの手に、アサクラは落雁の入った子袋を押し付けた。
「まだそんな顔して決める段階じゃないでしょ。ほら頑張れ司令官」
「……放っておけ」
シキシマはふいっと目を逸らすと、若葉色の砂糖菓子をひとつ、口の中に放り込んだ。




