第10話 小惑星帯採掘場 ②
小惑星帯。こうして文字にすると小さな星々がぶつかり合うような位置でひしめいているような印象を受けるが、実際は星と星との間が月と地球ほども離れていたりする。
旗艦の腹から吐き出されたユウは、目の前にぽつんと浮かぶ無機質な星を眺めた。戦略データベースから提供されたデータによればそれは火星の双子月、フォボスとダイモスを合わせたよりも大きい質量を持っているらしい。だが比較対象も近くにない中、その大きさを実感することは難しかった。
『後方待機たぁ、楽な仕事でお有り難ぇな』
近距離無線特有のざらついた音質でコンラートが言う。ダイモスで二機が墜ちたアルテミス編隊は再編され、そこに所属していたコンラートは正式にユウ達の異機種編隊へと異動になっていた。
ともすれば欠伸の一つもおまけについてきそうな台詞に、後方での楽な仕事にトラウマのあるユウが渋い顔で応える。
「群体との遭遇があるって艦長も言ってただろ。交戦前提の配置なんだから気を抜くなよ」
『つってもなぁ。巣があるわけでもねぇし、新しい駆逐艦の砲も照準ばっちりだ。俺らの出番なんてそうそうあるまいよ』
『気を引き締めたうえで何も起きなければそれが一番ですよ、コンラートさん。ユウさんも、少し肩の力を抜いたほうが。長いお仕事ですからね』
ハイドラの穏やかな声にたしなめられて、ユウはむっつりと押し黙るとジャガイモのような形の星を見る。ごつごつとしたクレーターによる陰影はモノクロのシルエットを見せるばかりで、そこにあの蠢く肉の彩はなかった。
二機のヤタガラスがゆっくりと地表面を走査している灰色の星に向けて、駆逐艦の砲がぴたりと狙いをつけている。火星基地から移管されたその駆逐艦の名はフェイルノートと言い、グングニルの後継試作機として作られたものだった。
「オーケー、クリアだ。ラニ、周辺の哨戒に戻ろ。ふあぁ」
回線にコンラートよりもさらに腑抜けたナギの声が乗った。欠伸のおまけつきである。ゆるやかに小惑星を離れたヤタガラスを、もう一機が追った。
『ちょっとナギ、気が抜けるからやめてもらえます!?』
『ほらな、エース様だってあのザマだぜ』
ぷりぷりした様子のラニの声に、コンラートの呆れ声が被さった。
小惑星では、ヤタガラスと入れ替わるように、補給機であり工作機としての機能も持つイドゥンが地表に近付く。普段は簡易修理や補給に使われるそのロボットアームを駆使してイドゥンが地表面からいくつかのサンプルを集めれば、この小さな星での仕事は終わりだった。10分ほどの作業の後、イドゥンが小惑星を離れたのを皮切りに各々が旗艦へと戻っていく。
着艦して補給を受ける。次の小惑星への移動時間は20分程だ。この一連の流れを繰り返す。時折小規模な群体に遭遇する以外は、緩慢な時間が流れていた。最初はぴりぴりしていたユウの緊張もすっかり溶け落ちて、異機種編隊ではテーマを決めた物の名前をひたすら挙げていくゲームがダラダラと続いている。
『これ、面白いですね。ええと……カピバラ』
『何がだ? イタチ』
『いえ、人工物のあるところでしか遭遇してないな、と思って』
『アザトゥスは何でも食べるけど、人の気配がするとこが好きなんだよ。アノマロカリス』
「クピド、何で古生物縛りなの? まあ、有機物のほうが侵食スピード早いし、食べやすいってことなんじゃないかな。タツノオトシゴ」
『知識の偏りについての苦情はオリジナルにどーぞ。でも言われてみれば不思議ですね、みんな放棄されててもう人なんて残ってないのに』
『ゴミでも棄ててたんでしょうか。んん……ジェレヌク』
『ジェ……なんて? 有機物は今や貴重品だぞ。なんなら採掘資源より高値がつくものをホイホイ棄てていくとも思えんがね』
「初侵攻の頃にはこの辺りも稼働していたんでショウ? そいつらが残っているのでは? センザンコウ」
『そんなに長く巣食ってりゃもっとこう、ダイモスみてーになってそうだがなぁ。カンガルー』
『カンガルーもう出ましたよ。ちなみにジェレヌクはレイヨウの仲間です』
『クソ、また俺の負けか。お前ら変な生き物の名前知りすぎだろがよ』
『ここの艦内ライブラリ、ジャンル豊富で見てて楽しいんですよね』
『管制室より待機中の全隊に通達。5分後に次の作戦ポイントに到達する。各員出撃に備えよ』
ゲームに区切りがついたところで、タイミングよく管制室からの通信が入る。ユウは狭いコックピットの中で大きく一つ伸びをすると、ハーネスのバックルを止め直した。
* * *
目の前に浮かぶ小惑星は、骨型の犬のおやつのような形をしていた。作戦資料から該当データを引っ張り出して眺める。ヤタガラスからデータリンクされてくる情報と統合され、ガタガタとした荒いポリゴンで構成されていたデータが精彩を帯び始めた。惑星や衛星と異なり、小惑星の地形データは詳細なものが存在しない。採掘業者が取ったデータはかつてあったはずだが、それは侵攻のごたごたで失われてしまったままだ。
「クレオパトラですか。悲劇、裏切り、策謀。不吉な名でスねぇ」
「嫌な事言うなぁ。そういうのがフラグになるんだぞ」
小惑星の名を見て冷やかすような調子で言ったシエロに、浮かび上がる採掘機の人工的なラインを視線でなぞりながらユウが唸る。ここもかつては採掘が行われていた星らしい。人工物のあるところにアザトゥスがいる、という先ほどの会話が頭をよぎった。
ピン、と電子音が鳴る。ユウはじろりとコックピットに据え付けられた箱を睨みつけると、中指の関節でそれを弾いた。
「そら見ろ、変な事言うから」
「私が何を言おうと出るときは出まスよ。ほら、お仕事おしゴ――」
ルーティーン化した戦闘に入ろうとしていたシエロの声に、友軍識別信号の通知音が重なる。ユウの背中を、氷の手がぞろりと撫で上げた。
友軍機。悲劇。裏切り。策謀。
――鹵獲機。
脳裏をいくつもの単語が駆け巡る。誰も言葉を発さない。誰もがそうだろうと思い、それと同時にそうでなければよいと思っているかのようだった。
死を思わせる沈黙を破って、歌うような調子のナギの声が無慈悲に響く。
『うーん、人間じゃないなぁアレは。みんな、ドッグファイトの時間だよ』




