表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
第三章 アステロイドベルト
75/232

第9話 狂犬部隊の白い悪魔 ②

「おい、大丈夫か」


 肩を揺さぶられてぼんやりと目を開ける。()()が済んでから、いつの間にか眠り込んでしまっていたらしい。

 迷彩柄の戦闘服を着こみ、小銃を肩に掛けた男が顔を覗き込んでいた。瞬間的に腹に乗せていた自動拳銃を掴んで銃口を向ける。トリガを引こうとして、引けずに指が止まった。男の手がスライドを、軽く引いた状態で掴んでいる事に気付く。


「思い切りのいい奴だな、お前。少年兵か?」

「……そう見える?」


 男は苦笑した。細い手足に、血で汚れてなお分かる素材のよさそうな、だが破かれ暴かれかけた服。血糊で固まっていない部分の、純白の絹糸を流したような髪を一房掬い取る。


「いんや。どう見てもいいとこのお嬢さんだな。何があった」

「よくある話だわ。拉致されたの」

「お前だけか? 家はどこだ。近くなら送ってやるが」

「家族はみんな死んだわ。みんな殺された」

「そいつはまた……。ここでは何があった」

「売られない努力をしたわ。みんな私が殺した」

「へぇ。お前が? 一人でか」


 翠の目が興味深そうに少女を見る。嘘をつけと一蹴されるかと思ったが、そうする気はないようだった。

 この惨劇を少女の手が引き起こしたことを飲み込んだ上で。家族を殺された悲壮感も、人を殺した恐怖感も一切感じさせない目を見て、男は笑った。


「やるな、お前。こいつら名の知れた札付きだぞ」


 来い、と促されて素直に立ち上がる。立ち上がる過程で小銃を拾い上げて肩に掛けることを咎めもせず、なぜか爆笑された。荷台を降りるときに貸してくれた手に、そのまま引かれて歩く。風がやみ、澄んだ空には宝石をばら撒いたような星々がきらめていた。


 黒い犬のエンブレムが描かれたピックアップトラックの横の焚火に案内され、毛布と温かいコーヒーが供された。厳つい男たちがなんだなんだと寄ってくるのを、少女を連れてきた男がしっしと追い払う。ぶすっとした表情でそれを眺めながら、少女は苦いコーヒーをすすった。


「貴方たちは何?」

「俺達は流れ者の傭兵だ。今はこの辺りの武装組織(クズども)の掃除に駆り出されててな。お前のおかげで一つ仕事が片付いた」

「ふぅん……」

「自分で聞いといてつまんなそうなカオすんじゃねぇよ。お前こそ何者だ」

「貴方さっき自分で言ったじゃない。ただのいいとこのお嬢さんよ」

「……7歳やそこらのいいとこのお嬢さんが武装組織の構成員を4人まとめて殺れるもんかね」

「やれてしまったんだからしょうがないわ」

「まあ嘘付いてるってカオでもねぇし、少年兵にしちゃ肌も髪も爪も綺麗すぎる。ったく、空恐ろしいお嬢さんもいたもんだ」

「そうね。どうかしら、お買い得じゃない?」


 紅の瞳が、男の目を真っ直ぐに見る。男は片眉を上げた。


「……何の話だ?」

「私、売られるところだったのよ。売り先、貴方たちでも構わないって言ってるの」

「お前なぁ」

 

 男の指が少女の額を弾く。小さな呻きを一つ零して、少女は男を睨みつけた。


「自分を売るとか軽々しく言うんじゃないよ。こんなこと言いたかぁねぇが、若けぇ女の体でよ」

「馬鹿ね、()()()じゃないわよ。貴方たち傭兵なのでしょう? 私、医療の知識もあるわ。役には立つと思うわよ」

「プライマリ・スクール生の応急処置とはぞっとしねぇな」


 男は苦笑してコーヒーをすすった。少女は男から視線を外し、ぱちぱちと爆ぜる焚火の火を見つめる。


「……本当に行く当てがないのよ。■■家の人間は全員死んでいる方が村の人たちも幸せだわ」


 地域を束ねる名家の名前が飛び出してきて、男がコーヒーを吹き出した。


「待て、なんだって? そいつぁ俺たちの雇い主だぞ」

「あら、それは申し訳ない話ね。もうお支払いできる報酬なんて何もないわ。渡せるとしたらこの無駄飯喰らいくらいのものよ」


 げほげほと咳き込む男に憐みの目を向けて、少女は肩を竦める。言いながら、何故こんなに自分を売り込もうとしているのか、よく分からなかった。再び焚き火の炎に目を向ける。


「なぁお前。行く宛がないなら、適切な場所で保護してやる事も出来る。ツテだってないわけじゃないからな。危ねぇことも汚ぇ事もない世界に戻れる」

「……ここのがいいわ」


 少女は視線も上げずに即答した。相変わらず悲壮感も恐怖感も一切見せない横顔を眺めた男は、眉を下げて僅かに表情を緩める。


「ま、向いちゃいるんだろうな……。お前、名前は」


 少女が顔を上げて男を見た。喜ぶのかと思えばそうでもない。相変わらず感情の薄い冷ややかな目の下で、乾燥してひび割れた薄桃の唇が動いた。


「死人に名前なんてない」

「そうかよ」


 焚き火から少し離れたところに立って辺りを警戒していた男が、振り返って呆れ声を放つ。


「ギルバート。そいつを拾うのは構わんが世話は自分でしろよ」

「へいへい、隊長。わかってますよ」

「ありがとう。お世話されるわ、飼い主さん。尻尾でも振ればいいかしら。わん」

「あー要らん要らん。ったく、“いいとこのお嬢さん”がどこで覚えんだそんなフレーズをよ」


 ギルバートはわざとらしい溜息をつくと、体を伸ばして首をこきこきと鳴らす。少女の体を、頭からつま先までとっくりと眺めた。ふむ、と呟いて顎を撫でる。


「だがまぁ、オンナノコってやつぁこの仕事には向かねぇな。まずそのお上品な口調を改めな。あとはまぁ、髪を切って服を変えれば当面は……」

「わかった」


 言い終わらぬうちに、少女がどこからか取り出したナイフですっぱりと己の髪を断ち切った。血糊でところどころ固まったそれを、何の躊躇いもなく焚火の中に放り込む。一瞬だけ火勢が強くなり、タンパク質の焦げる嫌な匂いが辺りに立ち込めた。

 言葉を失っている様子のギルバートに向けて、少女が冷ややかな笑みを浮かべる。


「これでいいだろ? ボクは女の子ってやつには、正直もううんざりだったんだ」

「つくづく思い切りのいい野郎だよ……。あとは呼び名だな」

「ギルが適当につけてよ。なんでもいい」


 冷え切った眼が、ギルバートをひたと見据えて言った。出会ってからずっと、無風の感情。一つの単語が口をつく。


「……ナギ」

「なぎ?」

「極東のジャパンって国の言葉でな。(Calm)って意味だ」


 紅い瞳が揺れた。口元に悪戯っぽい笑みが灯る。自分が殺した男の血にまみれたままの少女(ナギ)は、初めての鮮やかな感情を閃かせて笑った。


「ふぅん。いいね」


 * * *  


 “狂犬部隊(ブラックドッグ)”と呼ばれる傭兵団の一員となったナギは、目覚ましい活躍を見せた。その特徴的な白い髪と紅い目は、いつしかある種の恐怖の対象となり、人々が彼女のことを狂犬部隊(ブラックドッグ)の白い悪魔と呼ぶまでに昇華された。死んだような日々と打って変わって、戦いに明け暮れる日々は楽しくて仕方がなかった。


 ナギはぼんやりと目を開けた。ここは乾いた清潔なベッドの上で、焚火の爆ぜる音も、煙の匂いも何もしない。銃の手入れに使う油の香りだけが、薄っすらと鼻をくすぐった。

 すっかり見慣れたギルバートの背中を見る。戦争の対象が人間から化け物(アザトゥス)に切り替わってから、狂犬部隊の仲間達はみるみる数を減らした。いまだ戦線に立っているのはナギとギルバートくらいのものではないだろうか。


 傭兵団の後ろ盾が怪しくなってきた頃、ギルバートはナギを自分の戸籍に入れた。

 その生い立ちをガンター姓に上塗りする書類にナギの名を書き込みながら、「なぁ、ナギ」とギルバートは言う。


「死ぬときってなぁ、あっけないもんだ」

「何、藪から棒に」

「お前を見てると、死に場所を探してんじゃねぇかと思うことがあんだよ」

「……どうかな。確かに、生きてる感じがするのは戦ってる時だけど」

「そう生き急ぐなよ。誰もがヒロイックで劇的な死に方をできるわけじゃねぇんだ」


 あの時は、なんと答えたのだったっけ。そう思って、自然と唇が動いた。

 

「ああ、知ってるよ。ギル」


 ふわふわとした頭で過去の記憶に返事をしたナギを、ギルバートが怪訝そうな顔で振り返った。


「何か言ったか?」

「んーん。なんでもない」


 ナギはベッドの柵から頭を降ろすと、薄い毛布を頭から被った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ