第9話 狂犬部隊の白い悪魔 ①
「っはー、生き返ったぁ」
二段ベッドの上でごろごろと転がりながらナギはにまにまとした表情で息を吐く。体の奥のほうではまだ興奮の炎が燻っていて、零れ落ちそうなエネルギーを発散させようと足をバタつかせた。
「戦闘しねぇと死んでんのかオメーは。マグロみたいな奴だな」
振り返りもせず机に視線を落としたままで、ギルバートが呆れ声を放る。結局仮想の死闘を制したのはギルバートだった。正確には派手に暴れ回ったヤタガラスの燃料ゲージが底をつき、ナギが先に動けなくなったというのが正しい。
「そーだよ、ボクは動いてないと死んじゃうのさ」
そう混ぜっ返せば、帰ってきたのは強めの鼻息ひとつだけだった。ぷぅと頬を膨らませて二段ベッドの上からギルバートを覗き込む。カチャカチャと金属の触れ合う音がした。銃の分解清掃をしているのだ。調査大隊に転属になってからは撃つことなんてほぼ無くなったのに、定期的にやらないと座りが悪いのだと言ってギルバートは持ち込みを許されている私物の愛銃の手入れを怠らない。
低い声が、穏やかなヴィンテージポップスのメロディを紡ぎ出す。これは銃を手入れする時のギルバートの癖だった。ナギはベッドの柵に頭を預けたまま、ゆっくりと瞼を落とす。ぱちぱちと焚火の爆ぜる音が聞こえた気がした。傭兵時代は野営の夜、いつもこうして彼の歌を聴いていたから。
ぼんやりと霞む意識が、ゆるゆると時間を遡っていく。
* * *
ナギの生家は、貧しい村を束ねる名家だった。
「■■お嬢様」
皆が自分をそう呼んだ。ふわふわと座りの悪い、上質な服を着せられて。外に出れば擦り切れた服で額に汗して働く人ばかりなのに、いつも綺麗に整えられた部屋をあてがわれて、好きなことだけをして暮らしていた。
文明に唾を吐くような古い古い体質の、一夫多妻の大家族。みんな父が大好きで、誰もが父の寵愛を争っていた。少女だけが、父に愛される努力をしなかった。だが父が溺愛する少女のことを、家の誰もがとても可愛がっていた。酷く甘ったるくて胸焼けのしそうな、愛に包まれた家。
彼の名誉のために言っておくと、父親は決して性的な事を求めてきたわけではなかった。だが父が自分を見る目が、呼ぶ声が、他の兄妹たちとは違うことだけは分かって、それがとても気持ち悪かった。
愛されていたのだと思う。だが向けられ続ける好意という感情に、少女は毛ほどの興味も持つことが出来なかった。
貧しい村だった。治安の悪い村だったから、諍いも、その果てに起きる人殺しも、特段珍しい出来事ではなかった。
たまたま一人でいるときに死体を見つけたことがある。空を流れる雲を曖昧に映す濁って虚ろな瞳を覗き込み、その命を絶った凶器に手を掛けた。辺りは血の海だったのに、ずるりと体から刃を引き抜いたその穴は空虚な肉を覗かせるばかりで、それがなぜかとても可笑しかったのを覚えている。こっそり持ち帰ったそれは、丁寧に手入れしてぬいぐるみの中にしまい込んだ。
趣味は勉強だった。学んだ何もかもが、すんなりと頭にしまい込まれた。特に医学書を好んで読んだ。いつしか人の体がどうすれば壊れて、どうすれば治るのかを熟知していた。
「■■、こっちにおいで」
ある日、父が自分を呼んだ。言われるがままに膝に座ると、首に何かを掛けられる。星の光を紡いだような鎖が、しゃらりと甘やかな音を立てた。
「首飾りを贈るのは、お前を大切に想い、この先もずっと共にあること証でもあるのだよ」
髪を撫でる手の上から、煙草で嗄れた父の声が落ちてくる。全身の毛が逆立った。鎖を引き千切りたくなる気持ちを堪えて「ありがとう、お父様」と呟く。この先もずっと共に。愛し子に向けられたそれは、本人にとっては地獄のような呪いのことばでしかなかった。
第一、明日の食事にも困る人々を束ねる家の子がこんなものをつけていたら、首ごと捩じ切られかねない事が何故分からないのだろうか。
結局首を捩じ切られたのは父の方だった。一家は村人によって武装組織に売られたのだ。愛し子と愛でてくれた家族は目の前でみな殺された。売れそうな見た目だからと、ナギだけが殺されずに連れ去られた。
ぬいぐるみを抱きしめて、恐怖に震える小さな白い女の子。移送中のピックアップトラックの幌の中は薄暗い。戦利品が雑多に積まれた薄闇の片隅にうずくまる少女に、賊の一人が舌なめずりをする。
「なぁ、売り飛ばす前にちょっとばっかし味見をしたって構いやしねぇよな?」
「……けっ、胸糞の悪い野郎だぜ。俺はガキにゃ興味は無いんでね。お前の貧相なモノを見るのも御免だし、向こう向いててやるからさっさと済ませろよ」
見張りの一人が背を向けた。下卑た笑いを浮かべながら、ベルトに手を掛けた男が近づく。少女は怯えたように抱えていたぬいぐるみを背にして竦み上がった。両の手が後ろに回り、お誂え向きに胸元のボタンが男の眼前に晒される。華奢な2本の足の間に、森林迷彩の戦闘服が割り込んだ。スカートの重く艶のある生地が押し退けられ、滑らかな白い太腿が露わになる。細い霜を集めて作ったような、白く透けた睫毛が紅玉の瞳の上に色濃く掛かった。その細い視界に自らの顔を映してやろうと、男がぐうっと顔を近付ける。
白い髪と服の上に、ぱっと紅の花が咲いた。華奢な体躯に圧し掛かっていた体が、力を失ってそのまま少女を押し倒す。喉をぱっくりと切り開かれた男は、口元に下卑たにやけ顔を貼り付けたまま、目だけをカッと見開いて絶命していた。
悪路が尻を突き上げ、どさりと肉の塊が落ちる音がした。少女は冷たい冷たい目をしながら恐怖に怯えたような声をあげ、自らのスカートをびりびりと音を立てて縦に裂く。幌を少し開け、荷台の外を向いて煙草を吸っている男が、呆れたように肩を竦めた。
ガタン。トラックが揺れる。拒絶の言葉を口にしながら靴を投げ捨てる。ひとつ。ふたつ。「胸糞の悪い野郎だ」と男が紫煙と共に苦言を吐き出す。裸足になると身を低くして、座ったまま煙草を燻らせる男の背後に素早く忍び寄った。トラックの揺れに合わせて男の背に飛びつくと、一息に喉を搔き切る。
どさり。命を失った肉体がくずおれる。ガタン。ピックアップトラックの荷台が跳ねる。死体から武器をかき集める。よく磨かれたナイフが2本。自動拳銃と、自動小銃が二挺ずつ。弾薬。小銃ひとつを手に取り、残りは荷台の奥に倒れている男の陰に置いた。
うつ伏せになり、幌の合わせ目へ向けて小銃を構える。自分の体躯では衝撃を殺しきれないはずだから、死体の肩口にストックを当ててその腕を絡ませた。深く、深く息を吸う。
砂煙に濁る空気を切り裂くように、少女の悲鳴が響き渡った。長く、長く、長く響くその声に車が止まる。ばたんとドアが開き、閉まる音。ブーツが砂利と枯葉を踏みしめる音を幌越しに聴きながら、トリガに指を掛けた。
「おい、どうした……」
グローブに包まれた厚い手が幌を掻き分けて光が差し込んだ瞬間、少女は鉛弾をばら撒いた。