第7話 命の紡ぎ方 ②
「うーん。こっちは随分見慣れた光景のような」
培養槽の立ち並ぶ食肉培養エリアに足を踏み入れたクピドは、そう言って苦笑いを浮かべた。薄紅色の液体が満たされた培養槽の中には、赤々とした肉塊がぷかりと浮いている。
「肉塊ってこたぁねぇだろうがよ」
少女よりも仇敵を思わせる光景に、コンラートは嫌そうな顔で言った。
立ち並ぶ肉の森の中に繊維質な桃色の肉を見つけて、ハイドラが培養槽の中を覗き込む。
「色んな種類を作ってるんですね」
「それは魚肉だよ。そいつはそろそろ頃合いだね。出してみるかい?」
案内を買って出てくれた人の良さそうな糧食班の男が、培養槽横のレバーを引いた。培養槽上部の蓋が開くと同時に天井を走るレール上を巨大な鈎が滑ってくる。鈎がざぶんと培養槽に飛びこみ、子供の背丈ほどもある肉塊を引っ掛けて持ち上げると、子供たちの口からは控え目な歓声が上がった。
鈎が降りてくる位置に、ユウと一緒に半透明のシートを広げていた男にクピドが問う。
「大きいですねぇ。どれくらいあるんです?」
シートをラップのようにぐるぐると巻き付けた肉塊を持ち上げ、男は重さを確かめるように少しそれを上下させてからユウに肉塊を手渡した。
「20kgくらいかな。さてユウ、こいつを保管庫に頼むよ」
肉を抱えて去っていくユウを見送って、ハイドラは再び培養槽に視線を戻した。糧食班の男は培養槽下部にあるトレイを引き出して、中から小さな肉片の入った試験管を取り出している。その小さな肉片と、隣の培養槽に浮いている肉塊を見て、ハイドラは首を傾げた。
「さっき屠殺にも立ち会いましたが、食肉は全てこの方式の生産ではダメなんですか? 生きて動いているものを食べるために殺すのは、なんだか気の毒で」
「今日は屠殺のある日だったのか。キミ達みたいな小さな子にわざわざ見せる事もないのになぁ」
培養槽に肉片を投入しようと梯子に手を掛けていた男が、そう呟いて少年に向き直る。
「少なからず食っていくというのはそういう事だよ、少年。動物はより僕らに近いだけで、殺して食うということについては野菜——植物だってそうは変わらない。人間食わなきゃ生きていけない。どこで線を引くかだね」
「どこで、線を引くか」
「この培養液を作るのにも家畜の血液が必要なんだよ。そもそも畜産場で屠殺されるコたちは副産物みたいなものだからね。卵も乳も作れないオスや程よく成長した豚を長く食わせておく余裕はないから、食べるために殺すというよりは殺したから食べている、というのが正しい」
「私たちの運用と、似ていますね」
培養槽を向いて会話していた二人は、少女の声に振り返る。車椅子に乗ったミラは、失った左足にじっと視線を落としていた。
「私たちは役目のために作られました。役目を果たせなくなったQPは処分される。それと同じことなのですね」
「うーん……?」
返答に窮した男を見て、慌ててコンラートが割って入る。
「お前、こりゃ家畜の話だろ。飛躍しすぎだよ」
ミラは顔を上げて、透き通ったヘーゼルの瞳でコンラートを見た。
「いいえ、コンラートさん。私たちは動物よりさらにあなたに近いだけです。火星では私たちも線を引かれる側でした。あなたたちは私たちを線の中に入れてくれただけの話です」
「……俺には、お前たちのほうが線を引いてるように見えるよ」
「それは仕方がないですよ。わたし以外のType-QPには自己認識としてクローンである事、人間ではないという事は強めに刷り込まれていますからね」
「はい。だからここの畜産動物たちにはシンパシーを感じます。彼らはきっと不幸ではないでしょう、私たちのように」
「なんだって?」
「世界は主観出来ているということです、コンラートさん。彼らは生存に支障のない環境で穏やかに暮らし、心地良く眠った後で知らぬ間に最期を迎えます。この主観の中に、不幸はあるのでしょうか。彼らが不幸に見えるのは、あなたの世界から彼らを見ているからではありませんか。私たちの世界も同じでした。生きて、戦って、人間に被害を出さないことが私たちの世界の全てでした」
少女は息継ぎをするように、淡い呼吸を吐いた。
「かつて命だったものを食べて明日を生きることも、私たちが戦った分誰かが死なずに明日を生きられるのも、同じ命の紡ぎ方であるように思います」
「怖く、ないのかよ。自分が死ぬかもしれないのに」
コンラートのその問いかけに困ったような顔をしたミラを見て、クピドが肩を竦める。
「この子たち、本能的な恐怖の部分には感情マスキングが掛かってますからね。そのあたりの恐怖感は基本的にないんです」
「……クソ研究所のクソ仕様かよ」
「それは悪い事なんでしょうか」
「ミラ、お前の言葉を借りるがな。俺の世界から見たらお前みたいなガキの命をすり潰すやり方はクソだよ」
灰色の瞳は、もうそこにはない少女の足をじっと見ていた。少女の視線が、男のそれをなぞる。
「私は、あなたが死ななくてよかったと思っています。私に、死ぬのを恐れて手を止めてしまう機能が備わっていなくてよかった。ここにきて、世界が広がって。私たちは知りました。私たちはちゃんと、役目を果たせていたのだと」
「だから、自分を消耗品みたいに扱うのは」
「違います。これは刷り込まれたからではありません。私があなたを、一人の人間として理解したうえで、あなたが生きていてよかったと思っています。あなたの今を、私が作ったと思うと――嬉しい。そう、嬉しいのです」
そう言って少女は鮮やかに微笑んで見せた。これまで表情をほとんど動かすことがなかった少女の突然の笑顔に、コンラートは目を見開いて固まっている。
クピドがくすくすと笑った。
「諦めてください、コンラートさん。わたしたちのお母さんはこのクローン実験に身を捧げて、人類のために戦って死んだ人です。自我を取り戻したってこんなものですよ。これがわたしたちです」
「私は自我を、取り戻したのですか?」
「そうだよ、ミラ。あなたたちは情緒データを抜かれてるから感情が分からないだけで、別に感情も自我も消されてるわけじゃないんだよ。もう死んでもいいって思ってないでしょ?」
「はい。死への恐怖はよくわかりませんが、私はまだ私の世界を見ていたい。明日がこないのは、いやです」
「それがね、ミラが見ている世界に、自分がいることを見つけたってことなんだよ。ここに来てからエンジェルズのみんなも少しずつ変わってきてるけど、やっぱりミラが一番早いね。コンラートさんってば開発上手なんだから」
そう言ってクピドがつんつんとコンラートの背中をつついているところへ、ユウが戻ってきた。会話の内容を全く理解していないユウは、最後の言葉だけを拾って眉を顰める。
「ミラが一番早い……? 開発……? コンラート、何してるんだよ……?」
「違うわ!! なんでそこだけ拾うかなぁ!?」
* * *
「あれ。糧食班に来るの、ほんとだったんだ」
ぞろぞろと食料生産プラントの最期の区画である艦内菜園にやってきた一行を迎えたのは、白髪赤目のエースパイロットだった。
菜園での農作業が最も似合わない戦闘狂は、小さなじょうろを片手に立ち上がる。
「ナギ? 君も糧食班の手伝いとかやるのか」
「やらないよ。ボクは隅っこ貸してもらってるだけ」
ナギは肩を竦めて足元に顎をしゃくる。4つの鉢植えの中で白い蕾をつけている小さな花を見て、クピドが歓声をあげた。
「わぁ、可愛い! なんてお花なんです?」
「スノードロップ。花言葉は希望だよ。ボクらの旅にぴったりだろ?」
「へぇえ、素敵ですねぇ……」
しゃがみ込んでうっとりと花を眺めているクピドを尻目に、青年たち二人は声を潜めて囁き交わす。
(花!? ナギが? そんなことある? ほんとにナギだよなあれ?)
(いやわからんぞ。毒とかあるのかもだぞ、ほら暗殺用とか)
「ちょっとー。聞こえてるよー」
漏れ聞こえてくる失礼な言葉の数々に、ナギは半眼を向けた。小さくため息を漏らすと、花に指先を伸ばそうとしていたクピドの額を軽く押す。
「まぁ毒はあるけど。触んないでね」
「ほらやっぱりぃ!」
コンラートがクピドの腕をつかんで鉢植えから引き剝がす。
「はいはい、手伝いに来たんだからな。油売ってないでいこうなー」
「うぅ。そうでした。ナギさん、ばいばいですー」
「ばいばーい。ユウ、約束忘れてないよね?」
しょんぼりと表情を萎れさせて手を振るクピドに掌を振り返して、深紅の瞳がユウを見る。
「う……。覚えてる。覚えてるよ」
先延ばしにして記憶から消し去っていた約束を念押しされてユウは渋々頷くと、子供たちの背を押してそそくさとその場を離れる。
背中を押されながら、クピドがユウを振り仰いだ。
「約束って?」
「前シミュレータ戦やった時にボロ負けしたんだ。再戦することになってて……練習しとくって言ったからなぁ……」
「あらま。練習、お付き合いしましょうか?」
「ここ終わって体力残ってたら、是非お願いしたい……」




