第6話 痛覚遮断 ①
翌朝。神経を擦り下ろすような酷い疼痛に揺り起こされて、ユウは目を覚ました。目の奥に火箸を突っ込んで掻き回しているような痛みに呻いて身じろぎすると、後頭部にも鋭い痛みが走って悲鳴を上げる。触ってみれば昨日椅子で転んでぶつけたところが、ぷっくりと大きなコブになっていた。
押し殺した呻きを上げて悶えているユウに気付いたユリウスが、二段ベッドの上から下を覗き込む。
「どした、ユウ。大丈夫か?」
「う。ちょっと、大丈夫じゃ、ないかも」
「……目が痛む感じ? 待ってろ、アサクラさんに連絡取ってみる」
ユリウスの頭が引っ込んだ。間を開けずにバングルで通話をする声が落ちてくる。ユウはゆっくりと身を起こしながら、再び低く呻いた。
「ユウ、研究室まで来いって。歩けそうか?」
二段ベッドから降りながらユリウスが訊く。ユウは頷くと立ち上がったが、刺すような鋭い痛みによろめいた。ユリウスはズボンを履くとタンクトップの上からジャケットを羽織り、ユウの前にしゃがみ込む。
「ほら、連れてってやるから」
「自分で歩けるよ……」
「そんなヨロヨロふらふらで行ったらどんだけ時間かかるんだよ。シエロも呼んだ、あいつが来たら代わってもらうからさ。取り敢えずおぶられときなって」
「俺も着替えたい……」
親指で自分の背を指すユリウスに、パジャマ姿のユウはしょぼしょぼとした声で訴えた。ユリウスが首を横に振る。
「いいよそのままで、俺と違ってとりあえず着てるんだから。あ、あのサイバネマスクも持ってこいって」
反駁する元気もなくて、ユウは補助装置を掴むとユリウスの背に身体を預けた。よいしょ、と掛け声ひとつでその体を揺すり上げると、ユリウスは部屋を出て走り出す。走るその衝撃が痛みを揺さぶり、ユウは声にならない重い息を吐いた。
廊下に出て居住区を抜ける頃、格納庫区の方面からタイヤを軋ませてシエロ操るRAMがやってくるのが見えた。ユリウスが軽く手を挙げて合図する。
「こっちだ、シエロ」
「昨日は久々に来ないと思ったら、一体全体何が起きてるんでス? ……そして医療区は向こうですが」
「アサクラさんとこ連れてくんだよ。こいつを頼……ああ気絶してる。シエロ、君なら揺らさず運べるだろ」
「まだ……おきて……」
「おう起きてるか。いいよ、喋んなくて。降ろすよ、シエロ」
「あ、ちょっと待っテ」
RAMの背の平らな部分にユウを降ろそうとしたユリウスをシエロが制した。ガコン、とサイドの収納スペースが開いたかと思うと、そこから板状のパーツがぱたぱたと展開しながら現れる。あっという間に簡易担架のようなものが出来上がった。
「……準備がいいね」
「この人、一昨日も倒れたでシょう。だから昨日テッサリアさんに頼んで着けてもらったんですよ。こんなスグ使うことになるなんテ」
ぶつくさと文句を言いながらも、ユウの体を支えるマニュピレーターの動きは優しい。
「ごめ……」
ユウのかすれた声に応えるように、その体を支えたマニュピレーターがぺしぺしと背中を叩いた。
「とにかく行きましょう。……後で事情は伺いますかラね」
* * *
「いやーごめんごめん」
一行はあっけらかんとしたアサクラの明るい声に迎えられた。
「痛覚遮断が切れちゃったんだね。言うの忘れてたよ」
フレームドパワードスーツを身に付けたアサクラが、ひょいとシエロの上からユウの体を持ち上げる。入って、と促されてユリウスとシエロは視線を見合わせた。
「どう考えればこの部屋に私が入れると思いまス?」
「諦めるしかないんじゃないかな……」
シエロを廊下に残して、つま先立ちでそろりと研究室に踏み込んだユリウスの視線が、物を雑にかき分けながら進んでいくアサクラの足を捉えた。ひとつ肩を竦めて、混沌に引かれた獣道じみたその跡をついていく。
「やあハイドラ、代われるかい?」
「はい。ありがとうございました」
クリーンルーム中央の台に座ってジャケットのファスナーを閉めていたハイドラが、こくりと頷いて台を降りる。アサクラがユウを横たえると、バイタルモニターの向こうからクピドがひょこりと顔を出した。
「あら、ユウさん? どーしたんです?」
「いやあ、僕の調整不足だよ。痛覚遮断が切れちゃったんだ。さて補助装置の……あれ補助装置持ってきた?」
きょろきょろと辺りを見回すアサクラの手に、ユリウスが補助装置を渡した。アサクラは慣れた手つきでユウの頭にそれを装着すると、ごちゃごちゃと置かれている機械のひとつからコードを伸ばして補助装置のコネクタに接続する。ぱちぱちとトグルをいくつか切り換え、ツマミを調整してから投薬機を取り上げると、アンプルをセットしてユウの首筋にあてがった。
ぷしゅ、と軽い音が響くや否や、ユウがばちっと目を見開いて飛び起きる。ユウは水中で息を止めていたかのように荒い呼吸を数度繰り返すと、淡く光る右目を押さえて顔中に疑問符を浮かべた。
「痛く、なくなった」
「……どういうことです?」
ユリウスが訝しげに眉をひそめる。
「電気刺激と薬物投与で痛覚だけを遮断してるのさ。麻酔にしちゃうと視覚の調整ができないからね」
「痛覚だけを遮断……」
ユリウスは顔をしかめた。月での任務の際に肋骨が折れた時、使っていた痛み止めが大して効かなかった事を思い出す。医療班で施される処置では、すっぱり痛みがなくなるようなことはなかった。医務室ではなく、研究室に呼ばれたのは。ユリウスの声のトーンが1段階下がる。
「まさか、ユウで人体実験を」
「実験は自分で済ませてますから許してあげてください。臨床試験ってとこです」
「あ、こらっ」
する、と猫のような動きで近づいてきたクピドが、アサクラの白衣の袖をぺろりとめくる。その腕の広範囲に及ぶ無数の火傷の痕を認めて、ユリウスは口をつぐんだ。
「勝手にバラさないでくれないかなぁ」
「ヤです。あなたが偽悪的に振る舞いたがりなのはよく知ってます。だからこれは嫌がらせです」
クピドはそう言うと、アサクラに向かってべっ、と舌を出して見せる。次いでハイドラも会話に割って入った。
「ぼくも同じ処置を受けてます。今のところ特に問題はないですよ」
「ハイドラも……?」
状況を飲み込めていない様子のユウがぼんやりと問う。そのユウが先ほど漏らしていた重い吐息と、ノクティス迷宮で回線越しに聞こえてきたハイドラの重い吐息が重なった。ユリウスは不快感を隠そうともせず、ハイドラの前に立ちはだかるようにしてアサクラを睨みつける。
「まだあのクソ兵器使わせる気なんですか」
そのユリウスの袖口を、小さな手が引っ張った。
「ペニテンシア……あ、いえ反物質砲を外したくないって無理言ってるのはぼくのほうなんです。アサクラさんはぼくの体に負担がない方法を探してくれているだけで」
「ちょっと。僕にも喋らせてくれない?」
アサクラはめくられた白衣の袖を戻しながら、ユリウスに向き直る。
「そうだよ。ハイドラの善意に乗っかって反物質砲運用の継続を決めたのは僕とノブだ。そのために出来ることは惜しまないつもりだとも」
「だからって……ああクソ」
反駁しようとしたユリウスの袖が再度強めに引かれ、碧眼が少年の錆色の赤毛とアサクラの白衣の腕の間を行き来した。小さく肩を落として両手を上げると、「わかった」と呟いてお兄ちゃんモードをひっこめる。
そのやり取りを黙って聞いていたユウが、口を開いた。
「……ええと。切れる、ってことは。毎日来ないとダメってことです?」
「そうだね。遮断しっぱなしだと体の不調に気付かないこともあるから、1日1回は切らしてから更新したいところだねぇ」
「えぇ……」
先ほどの痛みを思い出してユウは眉を下げる。
「ごめんねぇ。本当は痛みはなくても痛いことは分かるようにするところがゴールなんだけど。そこまではまだ実現できてなくてね」
「痛みがなくなれば十分なんですが……」
「痛みってのは人体のリミッターでもあるんだよ。無闇に外すと体が限界に気付けなくて壊れちゃうのさ。まあ術後痛は3日が山だからね、少しだけ我慢してほしいかなぁ」
「う……3日」
「少し量を調整したからねぇ、明日は多分これくらいの時間までは保つはずだよ。さ、今日の処置は終わりだ。みんな帰っていいよ」




