第5話 電子の目 ②
「6時間半だ。俺とお前が別れてから6時間半だよ、ユウ。何が言いたいか分かるよな」
食堂で向かい合って座ったユリウスが、じっとりとした目でそう言った。ひたと見据えてくる青玉の瞳には、呆れと怒りと困惑の色がぐるぐると入れ替わり続けていて、ユウは目を明後日の方へと泳がせる。
「いやあ……うん」
曖昧な相槌だけを返してくるユウに、ユリウスはくわっと目を見開いた。
「何ですかその目は! ロボみたいになっちゃって! ちゃんと説明しなさい!」
「えーとその、視覚補助装置のモニターを頼まれちゃって……?」
何故かお兄ちゃんモードで詰められて、思わずユウはあからさまな嘘をつく。
「いや目の色変わってんじゃん!」
「おや、カラコンをご存じない?」
「カラコンで押し通せると思うなよ!? カシャカシャカシャカシャ、シエロの目と同じ音がしてんだよそこから!」
一通りまくし立ててから、ユリウスは小さな溜息を吐き出した。見つめる視線には、ただただ心配だけが残っている。
「ジョークはここまでだ。……お前の意思なんだな?」
「……うん」
ユウはこくんと頷いてユリウスの目を見返した。焦茶と、透き通るアイスブルーが強い意志をシンクロさせる。ユリウスは目を伏せて「ならいい」と言うと、魚のフライに噛り付いた。それに倣ってユウもスプーンを手に取る。すすりこんだトマトのシチューはぬるくなっていた。
「どんな感じで見えてんの、それ」
「わりと普通に良く見えるよ。まだピントがずれてる時もあるんだけど……」
「あっ、何それカッコイー!」
冷めてしまった夕食を食べ始めた二人の横に、ガシャンと雑な動きでトレイが置かれる。体をぶつけるようにして隣に座ってきたナギが、おもむろにユウの顔を覗き込んで人工眼と補助装置を無遠慮に眺めまわし始めた。
「いいなーいいなーなにそれ、見えてるの? ねぇねぇ見えてるの?」
「う、うん」
「ギルー! こっちこっち来て来て見てみてぎるぎるぎるぎるーー!!」
ぱっと視線を離して立ち上がったナギが、ぶんぶん手を振る。その視線の先のカウンターで、シチューの皿を受け取っていたギルバートが煩そうに手を振り返した。面倒くさそうな表情を隠そうともせず歩いてきたギルバートは、ナギの向かいにトレイを置くとうんざりした様子で息を吐く。
「うるせぇんだよお前はいつもいつも」
「だってー。ほらほら見てみてコレコレ!」
「……あ?」
そこで初めてユウの顔に目を向けたギルバートは、訝しげな様子で眉根を寄せた。
「どしたユウ。なんだそのサイバネティックファントムマスク」
「サイバネティックファントムマスクぅ!?」
ぷふー、とナギが吹き出す。よく通るその声で復唱された耳慣れない単語に、周りの隊員たちがなんだなんだと振り向いた。
「うわ、なんだそれ!」
「オレ昼過ぎにユウがアサクラさんの研究室入ってくの見たよ」
「なんだアサクラさん案件か」
「ユウ改造されたって!? やっぱ五体満足で出てこれないんじゃんあそこ」
「こわー……」
たちまち人だかりが出来上がり、その輪に入り損ねた隊員たちへと伝言ゲームの要領で情報が広がっていく。食堂の端っこまで行ったら全身サイボーグくらいになってそうだな、と遠い目をしながらユウはパンをシチューにひたした。
もぐもぐとパンを噛みながら奇異の目を一身に集めているユウの視線の前に、ナギは再びずいっと顔を割り込ませる。
「近い近い」
軽く身を引いたユウに、ナギは紅玉の瞳をきらめかせて更に迫る。ギルバートが机の向こうでため息を付いた。
「ねーねーその目なんかロボっぽいことできんの?」
「うん。パイロットスーツのヘルメットのHUDっぽい感じで、色々情報出せたりはする」
「えーいいなー。どこでもドッグファイトごっこできるじゃん」
「何だよどこでもドックファイトごっこって……」
白皙の顔に呆れ顔を向けながら、ふと隊員のバイタルデータを見るモードがあることを思い出してユウは補助装置のボタンに触れる。たちまち視界にいる隊員たちの上に、半透明なオレンジ色のカード型ウィンドウが貼り付いた。最も近くでその存在を主張してくるナギのカードに、なんとはなしに目を向ける。
—— 名前:ナギ・ガンター
—— 年齢:18
—— 性別:Female
上から順にぼんやりと項目を眺めていたユウは3つ目の項目に目を剥いた。
「Female!? ナギ、女の子だったのか!?」
「はぁ?」
オレンジのカードの向こうから、呆れ声が飛んでくる。慌ててオーバーレイ視界を非表示にすると、口付けられそうな位置にナギの顔があって、驚いたユウは椅子ごとひっくり返った。
「何だよもー。失礼なヤツだなー」
後頭部をぶつけて目を白黒させているユウを覗き込んで、ナギは頬を膨らませる。ついさっきまで何とも思わなかったのに、女の子だと思った途端に距離感がバグって無理だった。何故か痛みが全くないもののくわんくわんと揺れる頭を必死に回しながら、ユウはナギを見上げる。
「ええ……。いやだってナギ、ギルバートさんと同室じゃん……」
艦の個人居室は二人部屋である。そして事故の防止のために、ルームメイトは身体的同性であることが定められていた。ユウは起き上がりながら、おずおずとギルバートに目を向ける。
「ギルバートさん、まさか」
ギルバートは靴底にガムが張り付いていたのを見つけてしまったような表情で、手の甲を嫌そうに振った。
「やめろやめろそんな目で見るな。俺は生粋の男だし、なんなら両方ちゃんとついてる」
「えーやだーギルやらしー」
「お、ま、えがゴネたからだろうが」
口に手を当ててわざとらしいクスクス笑いをして見せるナギを翠の目がじろりとねめつける。ユウは眉をひそめた。
「ゴネた……?」
「ああそうだ。コイツあろうことかエースの称号を盾に、俺と同室にしないなら軍をやめるって艦長に交渉しやがってな。とんでもねぇクソガキだろ」
「むっふっふー。力こそパワーだよユウ君。実績は武器になるのだよ」
「黙れクソガキ。……で、俺が知ったのは全部が終わった後だった。逆にしっかりお守しろって釘を刺されちゃもうどうしようもねぇ」
「拾った子犬はちゃんと最後まで面倒見なきゃねー?」
「あぁん? お前犬だったか? 首輪つけて躾けるか?」
「そういうシュミがあるなら早く言ってよ。付き合ってあげてもいいけど」
「あーいらんいらん。もう俺は喋らんぞ」
面倒臭そうに視線を逸らして、夕食を取り始めたギルバートをユリウスが可哀想なものを見る目で見ている。ユウも黙ってシチューの皿の底をパンでぬぐった。
めいめい、食事を再開したことでナギも夕食の存在を思い出したようだった。ぱくぱくと綺麗な所作でみるみるうちに皿の中身を減らしていく。物凄い速さで平らげていくにも関わらず、パン屑の一つも落とさないナギは、スプーンを咥えたままもごもごとユウに言った。
「ねぇユウー、見えるようになったんならまたシミュレータやろうよ」
「いいけど……」
そう言いながらユウはちらりとユリウスを見た。巻き込まれまいと大人しくサラダを突いているユリウスが、その視線に気付いて迷惑そうに首を振った。だがユウの視線を追いかけたナギは、ニコニコしながらユリウスにスプーンの先っぽを向ける。
「そんなカオしないでよ。もちろんユリウスも誘うとも」
ユリウスは巻き込むなと言わんばかりにユウをじろりと睨んだ。そのユリウスの表情を気に留める様子もなく、ナギはうきうきと指を折っている。
「ユリアも連れてくるでしょ? それからそれからレナードはんちょーと……」
「あ、あー。そういえば、明日から糧食班の手伝いに行くんだよね。だからしばらくは無理、かも」
なんとかしろ、と目線だけで訴えられて、ユウはおろおろと口を挟んだ。ナギは「なんだよー」と言って唇をとがらせる。
「そんなの誰かに譲っちゃえばいいじゃん。どーせみんなやりたがりなんだからさ」
「無理言って譲ってもらった枠なんだよ。ハイドラとクピドの案内も兼ねてるからさ……。あ、あとはうん、そうだな、まだ目も慣れてないし、練習したい。練習」
「ふぅん。練習ね」
ナギが再びユウの新しい目をじっと覗き込む。仄かに甘い香りが漂ってくるようで、心臓が跳ねた。目の奥に繋がっている脳の中身を見透かすようにじっと見つめてから、白い悪魔はニッと微笑む。
「オーケー分かった。きっちり仕上げてきてよね?」




