第9話 ノクティス迷宮探査戦 - Phase 1:捜索 ①
戦闘用試作型クローンType_QP、シリアルナンバーBat13-03。少女は自分の事をそう認識していた。
彼女がぴったりとしたパイロットスーツを着るのは2度目だった。検品と呼ばれる慣らし飛行が1度目で、2度目の今日は実戦である。
Bat13-03はバングルとリンクしている、前腕部のコンソールに目をやった。安定した数値が、緑に淡く輝いている。
「バイタルチェックは異常なしです。搭乗可能です」
誰にともなく報告を行う。そうするのだという事を、彼女は知っていた。少女は、その小さな体躯が登るには少し幅の広い梯子をよじ登る。
キャノピーの内側は、一般的なアヴィオンのコックピットとは異なる作りをしていた。計器も操縦桿もないそのコックピットには、小ぶりの棺のような装置が置かれている。コックピットに上がってきた少女の体を感知して、白に近い銀色の蓋が開いた。同時にかすかな駆動を立てて、横倒しの装置が起き上がっていく。
装置の中のブーツのようなパーツに、Bat13-03はゆっくりと足をはめ込んだ。ぐちゅり、と粘着質な音が響く。スーツ越しに、心地よい温かさがじわりと足を包んだ。
とろみのある蛍光色のその液体の正体は、G耐性ジェルだ。宇宙進出黎明期に、宇宙船の加速度で影響を受ける乳幼児のために開発された、加速度によるダメージを軽減するジェル。民間の宇宙航空機に標準搭載されている、人体への影響が少ない動静システムが開発されてからほぼ使われなくなっていたそのジェルは、天使の欠片の運用のため再び日の目を見ることとなった。乳幼児用として開発されたそのジェルからは、かすかに苺の匂いがしている。
Bat13-03はゆっくりと底面に背中を預けた。体の各部が機械パーツで覆われていく。ふわふわの栗毛が揺れる小さな頭にヘルメット状のパーツが覆いかぶさると、全身をジェルの暖かな温度が包みこんだ。柔らかな起動音と共に鮮やかなARウィンドウ達が一斉に視界に躍り出る。
『カドリガメインシステム起動します。生体データスキャン中……ようこそ、Type_QP:Bat13-03。脳神経接続同期を開始……3…2…1…同期しました」
幼い体躯への負担を下げるため、QPシリーズはその体を完全に固定しG耐性ジェルで包まれた状態で搭乗する。操縦桿を握らない彼女たちの機体制御は、脳神経からの信号を直接利用することで行われる。これにはソラコ・アサヒナの機体制御実験で調整されたデータが使われていた。
脳神経信号の利用には個人毎に非常に細かな調整が必要で、アサクラが調整を手掛けたアサヒナ以降その技術を有効に活用できたパイロットはいない。調整のコストと難易度が非常に高いそのデータは、同じ人間の脳でしか使えない。それは裏を返せば、同じ人間の脳であれば使うことができるということだった。
Bat13-03は制御システムを仮実行モードにして幾つかの入力テストを実行する。ぴたりと固定されて動かない体の中で、薄い色のヘーゼルの瞳だけがARウィンドウの表示を追って忙しなく動いた。
「管制室、こちらカドリガA-03。アルゴノート右翼格納庫出撃準備完了」
『こちら管制室。カドリガA-03、その場で待機せよ』
待機指示に淡い息を吐く。Aチームの出撃準備完了のコールが次々と入った。
『カドリガA、出撃を許可する。ヘイムダルが上空にて待機中。合流せよ」
『「了解。カドリガA、出撃します」』
少女の棺を乗せた機体はふわりと浮き上がり、砂混じりの濁った空へと勢いよく舞い上がった。
* * *
谷を見下ろして、ユリウスの乗るヘイムダルは浮いていた。
火星は地球と比べて大気が薄い。その成分の大半は二酸化炭素で占められ、大気圧は地球のおおよそ1パーセント程度しかない。航空力学というものは地球の重力と大気組成によって成り立つ物理学であり、地球外では機能しない。アヴィオンには地球大気圏内外での運用を可能にするため、反重力を利用した機動モードが搭載されていた。
久しぶりの反重力機動を確かめるように、ユリウスはゆっくりと機首を巡らせた。眼下には先ほどブリーフィングで眺めた地形データと同じ地形が広がっている。幅30kmに及ぶ谷は、近くに行くと谷というより巨大な山の連なりのようにも見えた。
6km下方にある谷底は、砂嵐の影響がまだ残っている火星の濁った空気に遮られ、曖昧な輪郭をしている。レーダーにも味方を表す以外の光点はなく、ワイヤーフレーム状に示された谷底は生き物の気配を感じさせない冷たさで広がっていた。
レーダーマップを眺めているユリウスの視界の端で、イコライザが跳ねる。インカムから、幼い少女の声が流れ込んだ。
『友軍機確認。こちらカドリガAリーダー、Bat13-01です。ゼロワンとお呼びください。Aチーム合流します。どうぞ』
「確認した。こちらはヘイムダルAのユリウスだ。よろしく、ゼロワン」
1小隊、つまり4機のカドリガは、ユリウスを挟むように2機編隊を前後に展開させる。
ユリウスはマップデータを呼び出し、捜索ルートを確認した。今回は速やかに広範囲の捜索を行うため、ヘイムダルは2機編隊を組まず単機でQP達の乗るカドリガ1小隊の護衛の元、捜索を行うことになっている。
「管制室、こちらヘイムダルA。カドリガAと合流した。ルートAに沿って捜索を開始する。応答を求む」
『こちら管制室。合流を確認した。捜索を開始せよ。通信終了』
「ゼロワン、捜索を始めよう。まずは救難信号か友軍識別信号《IFF》が拾えないか、ルートをざっと巡回したい。先導を頼めるかな」
『了解しました。ゼロスリー、後方の警戒をお願いします』
『了解しました』
動き出したカドリガを追って、ユリウスは機首を巡らせた。火星の赤い大地を深く裂いた谷の上を、なぞるように飛行する。コックピット内にはレーダー周期を知らせる静かな音だけが、定期的に響いた。
ユリウスは地形データだけが更新されていくウィンドウに打たれた、友軍機を示す光点を眺める。少しだけ先行しているリーダー機に搭乗しているのがゼロワンだった。ユリウスはクピドと同じ造形の少女たちの顔を思い出しながら、インカム越しに呼びかける。
「ゼロワン、何か気付いたことがあれば教えてほしい。あと、他のメンバーは何て呼べばいいかな?」
『当チームに所属している欠片は連番です。ゼロツー、ゼロスリー、ゼロフォーとお呼びください。前衛をゼロワン、ゼロツー。後衛をゼロスリー、ゼロフォーが務めています。また当機には走査・管制用のレーダーシステムはありませんので、ヘイムダル以上の情報収集は不可能であると判断します』
ふむ、とユリウスは呟いた。
「この捜索は長丁場になると思う。話をしながら飛ぼう。今回の任務は捜索だ。同じチームで行動する君たちにも、捜索の目の意識を持ってほしい」
『……そのような運用は、インプットされていません』
「うん、君たちはみんな今日が初陣だ。少しずつ覚えていけばいいよ。まずはデータリンクをしよう」
『了解しました。当機から確認できる敵影はありません。照準補助をお願いします』
「違う違う、敵はいない。ただ一緒にレーダーを見ようってこと。早期警戒機が通常2機編隊で飛ぶのは、目が一つだと見落としが起きるからだ。今回の捜索は範囲が広いから、エリア分担しての単機走査になっただろ。だから俺は僚機の目に頼れない。そこで君たちの力を借りたい」
インカム越しに、少女の淡い吐息が応えた。ユリウスは催促せずに、ゼロワンがかみ砕いて返事をするのを待つ。
『了解しました。データリンク開始します』
少しの沈黙の後、ゼロワンはデータリンクを受け入れた。ユリウスはわずかに頬を緩めると、他の3機にもデータリンクを促す。
「ゼロツー、ゼロスリー、ゼロフォー。君たちも」
『……了解しました』
ARウィンドウの端に、4機とのデータリンクを示す小さな表示が現れた。
「何か気になることがあれば言ってみて。なんでもいいよ」
『こちらゼロスリー。地形データにいくつか不自然に直線的なラインが見えます。人工物があると思われます。応答を求めます』
「いいね、ゼロスリー。ブリーフィングで配布された作戦マップを見てごらん」
『……プラント構造物のある位置です』
「そう、それはプラントだ。救難信号が見つからない場合、優先調査対象になるからピンを打っておこう」
ユリウスが、発見したプラントの位置にピンを立てる。データリンクしているカドリガの地形データにも反映されたそれを見て、ゼロフォーが疑問を呈した。
『ゼロフォーです。作戦マップをオーバーレイすれば走査の手間を減らせるのではないですか?』
「オーバーレイすると、地形の線は見えづらくなるからね。それに昨年の侵攻で崩れて埋まっているプラントもある。1本ずつ立てていった方が確実だ」
QPたちとレーダーを眺めながら、救難信号を探して6時間が経過した。陽が傾きはじめた火星の大地は、砂嵐の名残で濁った大気も手伝って視界が悪い。
「管制室、こちらヘイムダルA。ルートAを一通り回ったが、救難信号は拾えなかった。砂嵐の名残もあって視界が悪い。帰投の判断を願いたい。応答求む」
『こちら管制室。他ルートでも痕跡は拾えなかったようだ。気候状態は把握している。帰投を許可する、右翼格納庫に着艦せよ。通信終了』