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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
第二章 複製の天使と悪竜の落し子
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第6話 天使と悪竜 ②

「いや……も……無理……」


 誰かが脱落するまで走り続けるという、地獄のようなトレッドミル競争で、最初に脱落したのはユウだった。時速20kmに設定されたランニングベルトには途中から全く足がついていかなくなり、転がり落ちるようにベルトを降りて座り込む。荒い呼吸の合間に、ぽたぽたと汗が滴り落ちた。


「わ、大丈夫ですか〜?」

「水飲んだほうがいいですよ」


 小さな体でリズミカルに大きなストロークを刻みながら、わずかに紅潮した顔でクピドが言う。気遣わしげな表情を向けてくるハイドラに至っては、汗一つかいていなかった。


「いやあんたたち、おかしい、でしょ……」


 呼気に喘鳴を混ぜ込み、びっしょりと汗でシャツを上半身に貼り付けながらユリアが言う。子供たちは互いに顔を見合わせてから、にこっと笑って異口同音に答えた。


「「人外なので?」」


 和やかな様子の子供たちの向こうでは、大人気のない二人がデッドヒートを繰り広げている。


「上官サマはっ、デスクワーカー、でございましょ……ハァ……無理すんなよ、腱がっ、ブチ切れんぞ……」

「ゼェ……貴方こそだいぶ……っ、息が、上がってるんじゃ、なくて……ゼェ……」


 何故この二人が隣り合って舌戦を繰り広げているかといえば、緩衝材代わりに間に挟まっていたユウが脱落したからである。


「兄さーん、ファイトー」

「イリヤさん負けないでー!」


 お子様二人がその争いを突然煽りだし、マイボトルからスポーツドリンクを口に含んでいたユウは吹き出した。それをまともに足に浴びたユリウスが、ぎゃっと叫んで足をランニングベルトから踏み外す。そのままもんどり打ってトレーニングルームの床に叩きつけられると、小さく呻いて動かなくなった。


「お兄ちゃん!!」


 悲鳴じみた声を上げてユリアがトレッドミルから飛び降りて兄に駆け寄る。床に転がったままカブトムシの幼虫のように体を丸めているユリウスを睥睨しながら、ツェツィーリヤも悠然とした仕草でトレッドミルを降りた。


「わたくしの……勝ち、ですわね」

「ノーカンだろがこんなの!」


 勝ち誇ったように言うツェツィーリヤに、一声吼えてからユリウスは逆に勝ち誇った笑みを返して見せる。


「まあユリアにお兄ちゃんと呼ばれて、介抱されてる俺のほうが勝ちですが?」


 ユリウスを抱き起そうとしていたユリアがぴたりと手を止めた。ぱっと兄の上半身から手を離す。両手で脛を抱えていた(泣き所をひどくぶつけたらしい)ユリウスは受け身を取れず、床に肩をぶち当てて悲しい悲鳴を上げた。


「ユリアちゃん!?」

「黙れクソ兄貴」


 冷たい冷たい目をしてユリアは吐き捨てた。ユリウスがきゅっと縮み上がり、ツェツィーリヤが呆れたように「ドローですわね」と呟いた。

 

「いーえ! わたしとハイドラ君の勝ちです!」


 そう言ってぴょんとクピドはトレッドミルから飛び降りる。頬をわずかに紅潮させ、肩で息をしているクピドの横に、汗一つかかずに立ったハイドラを見て、ユリアは肩を竦めた。


「優勝はハイドラね」

「僕のはちょっとズルみたいなとこありますからね」


 そう言ってくすくすとハイドラは笑う。そんなハイドラの脇を肘で小突いて、えへんと胸を張る。


「わたしたち小さいんだから、ズルじゃなくて補完だよ。そこは小さくてもちゃんとお役に立ちます! ってアピールするんだよ」

「あはは、頼もしいな。俺の方が頼りにならなそうだ」


 ユウはそう言って笑うとドリンクのボトルを差し出した。クピドは可愛らしい丸いフォルムの小鳥が描かれたボトルからくぴくぴとドリンクを飲むと、ぷはっと息を吐く。そのままそれをハイドラに差し出したが、ハイドラは首を振ってユウからシンプルな銀のボトルを受け取った。


「ありがとうございます」

「足りなかったら給水器はあっちね」


 そう言ってユウが入口付近の給水器を指し示した時だった。その指の示す先で、カチャリとトレーニングルームの扉が開く。


「あらもうそんな時間」


 ツェツィーリヤは慌ててバングルで時計を確認した。時間外利用の場合、入口には認証が掛かっている。申請リストにいない者は入ってこられないはずだ。誰かが入ってきたという事は開放時間を過ぎていることを示しているはずだったのだが、時計はまだ7時を指していた。

 リスト間違えたかしら、と呟いたツェツィーリヤは眉を下げて入ってきた男に声を掛ける。


「ごめんなさいね、まだ時間外なのだけど――」

「大丈夫です、副艦長。俺が呼びました。申請リストにも入ってます」


 のっそりと入ってきたコンラートの姿を認めたユウが、笑顔でそれを制した。


「来てくれてありがとう、コンラート」

「……おう」


 少し不貞腐れた表情のコンラートは、自分のつま先を見つめてぶっきらぼうに返事をした。


「……コンラートさん」


 その姿を認めたハイドラが、隠れるようにユウの後ろに移動する。その上でさらに見せないように手を自分の背後に回して縮こまった少年を見て、コンラートは唇を噛んだ。


「ハイドラ」


 遠慮がちな声でコンラートが少年の名を呼ぶ。そっとユウの背後から顔だけ出した少年の目線に合わせ、コンラートは膝を折った。


「昨日は悪かった。お前は悪くない」

「いえ、僕の方こそ配慮が」

「謝んな」


 謝罪に謝罪を返したハイドラの言葉を、コンラートはぴしゃりと遮った。その強い語気に気圧されたように、ハイドラが口を噤む。コンラートが慌てたように言った。


「いや違う、そうじゃなくてだな。昨日のあれは、事情も聞かずに脊髄反射でキレ散らかした俺が悪い。だからその、悪いのは俺だから、お前は謝らなくていいんだって言う意味で」

「つまりコンラートは、君と握手したいってことさ」


 くつくつと笑いながらユウはハイドラを振り返った。コンラートが鼻白む。


「なんだよ藪から棒に、握手って」

「昨日ハイドラは握手が友情の証だってことを覚えたんだよ」

「はぁ? 何当たり前の……」


 言い掛けてコンラートは黙り込んだ。昨日部屋に戻ってから繰り返し反芻していたハイドラの生い立ちを、もう一度記憶の中でなぞって渋面を作る。


「……そういう事かよ」

 

 そう吐き捨てて、コンラートは手を差し出した。


「ん」


 ハイドラは恐る恐るといった動きでユウの後ろから出てきた。小さな手を差し出そうとして、思い出したようにポケットを探る。


「すみません、今手袋を——」

「要らんわ、んなもん」

「わっ!」


 コンラートの手がハイドラの肘を掴み、ポケットから乱暴にその手を引っ張り出した。強めの力で手を握られながら、ハイドラは目を丸くする。


「強引ですね」

友達ダチには遠慮しねぇのが俺の流儀だよ」


 ハイドラは軽く瞠目し、すぐに柔らかく目元を緩ませた。


「ここにはいい人しかいませんね。来てよかった」

「今日はドッキリはなし?」


 悪戯っぽく笑ってユウが問う。ハイドラは生真面目な様子で頷いた。


「必要がありませんから。びっくりは別に提供させてもらいます」

「んぁ?」


 怪訝な顔をしているコンラートに、ハイドラはユウを真似るように悪戯な笑みを向けて見せる。


「今みんなで、体力勝負をしてるんですよ。次は力比べです」

「ほぉー。その細腕で俺に敵うのか? 友達ダチ相手に手加減はしねぇぞ」

「はい、ぼくも全力でお相手します。お友達ですからね」


 そう言って獰猛な笑みを見せたコンラートは、穏やかな笑みを返したハイドラにぜんぜん勝てなかった。


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