第2話 ラム・パーティ ①
—— Lamb Party!——
食堂の注文カウンターにどどん、と掲げられたその手書きの文字を見て、ユウはんんと唸った。
火星は羊肉の名産地である。
かつて火星にテラフォーミング計画が持ち上がった際、家畜の出すメタンガスを利用して火星の温室効果を高める実証実験が行われた。 実験に伴い、牛と比較して飼料要求率《FCR》が低い羊が火星に導入されたが、メタンガスの生産効率は今一つで実証実験はすぐに終了される事となる。 事前試算の不十分さを大いに批判されたこの実験は、しかし思わぬ副産物を生んだ。地球と比べて低重力下で飼育された羊は肉が柔らかく、非常に美味であったのだ。
周りを見回せば、同僚たちは次々とラムチョップや煮込み料理の乗ったトレイを持ってテーブルへと向かっている。香ばしい脂の香りがそこかしこから漂ってきて、ユウの胃袋がぐう、とその存在を主張した。
「来たね、ユウ! 大活躍だったそうじゃないか。仕入れが忙しくて、ここんとこ顔見れてなくてすまないね」
「ナタリアさん」
注文カウンターから覗き見える厨房の中ほどから、火柱が上がった。フランベされたブランデーと脂の香りが鼻をくすぐる。豪快にフライパンを揺すっていたナタリアは、香り立つその肉を手早く皿に盛り付けると、キビキビとした動きでカウンターにやってきた。
「はいよラムチョップあがり! メイ、あんたのだよ」
待ちわびた顔の隊員に向かって皿を押しやると、ナタリアはカウンターにもたれかかって肘をついた。濃い桃色に染められたポニーテールが一束、カウンターに落ちる。
ナタリアは艦隊の胃袋を支える炊事班の班長だ。食べ盛りの若輩兵たちからは、台所の女神として崇められている。気っ風のいい快活な女性で、料理の腕はピカ一だ。みんなナタリアの食事が好きすぎて、寄港しても滅多に外食に出ないほどだった。火星に到着して1週間が経過しようとしているが、今日も食堂は混雑している。
ナタリアは化粧っ気のない顔に人好きのする笑みを浮かべて、メニュー表と自分の顔を交互に見ているユウに注文を促した。
「さあ、何にする? 肉? 魚? 立役者なんだろ、そこに書いてなくてもなんでも好きなもの作ってやるよ」
「ラムパーティなんだろ? 羊がいいな」
「はいよ! 火星羊のいいのを仕入れたんだ。アンタ骨付きが好きだったね? ちょっと待ってな」
軽く手を上げて、ナタリアが厨房の奥に消える。ユウは辺りを見回した。あちこちで白い皿の上に肉の花が咲いている。絵画のように垂らされた、艶めくソースが美しい。ごくりと喉を鳴らしたユウを見て、シエロが尋ねた。
「お好きなんですカ、羊」
「好きだよ。ラムチョップは大好物だ」
そう答えてユウはカウンターに背中を預けた。無意識に鼻をひくつかせているその姿を見て、シエロが「匂い機能……」と控えめなアピールをしてきたが、ユウは気づかないふりをした。
好物の到着をそわそわと待ちながらも、あえて厨房の方を見ないようにしていたその背中を、皿の感触がつんと突く。ユウはぱっと顔に喜色を浮かべて振り返った。
ラムラックだった。ラムチョップではなかった。
白い皿はみっちりと肉で埋まり、盛り付けからは余白という概念が消え失せている。他の皿では美味しそうに掛けられていたソースは、ごついグレイビーボートに並々と注がれ、別添えになっていた。
大層立派なその塊肉から8本の骨が飛び出しているのを見て、ユウは頬を引き攣らせる。
「あ……ありがとう」
精一杯笑顔を作った。ナタリアは部活帰りのハイスクール生の息子に夕食を出す母親のような顔でニコニコしている。
「あんたパイロットに復帰したんだろ? しっかり食べてもっと筋肉つけな」
ユウは黙って小刻みに頷いた。トレイを持ち上げる。重い。
「ああ、ちょっと待った」
そそくさとその場を立ち去ろうとしたのに、呼び止められた。ユウは緩慢な動作で振り返る。ナタリアがちょいちょい、と手招きした。
「ごめんよ。忘れてた」
余白のほとんど存在しないトレイの上に、ナタリアは無理やりライスの皿をねじ込んだ。大盛りだった。




