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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
最終章 黎明のアヴィオン
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第10話 アザトゥス母星 ①

「月にはうさぎがいる、というのは本当ですか?」

「へ……?」


 きらきらと2割増しに輝くヘーゼルの瞳に見上げられたユウの口からは、なんとも間抜けな声が出た。


「さっきの艦内通達です。艦長が、うさぎに宿を借りに行く、と」

「ああ……」


 ユウは小さく肩を竦めると、スクラップをこれでもかと詰めたコンテナを脇に降ろした。膝を折って、少女(ミラ)の目線に自分のそれを合わせる。


「あのね、ミラ。本物のウサギは月にはいないんだ。あれはただの言い伝えっていうか、その」


 歯切れ悪く言い淀むユウの言葉に、少女の表情があからさまに曇った。


「……火星に羊はいたのに?」

「えっとね、あれは人間が持ち込んだからで……」


 すっかりむすー、としてしまった少女にユウはどうしたものかと眉を下げた。きょろきょろとあたりを見回すものの、こんな時に限ってコンラートの姿も見当たらない。


「そ、そもそもここは太陽系じゃないよ。こんな高線量のところにウサギが住むのは無理じゃないかなー……」

「それを言えば、太陽系第三惑星の衛星である月だって生き物が住める環境ではないかと。艦長はなぜうさぎなどと?」

「シルエット遊びみたいなものなんだ、あれは。月の地形の凹凸が、模様になって見えるだろ。俺や艦長の故郷の国では、そのシルエットはウサギに見えるってことになってた。あれは"月"なんだけど"地球の月"じゃないから、きっとウサギはいないと思う」

「なるほど……」


 納得したような、しかねるような、そんな微妙な表情でミラはこくんと頷く。ユウは淡く微笑んで、少女のふわふわの髪の上にそっと手を置いた。


「せっかくだから、ここの"月"に何がいるか、一緒に見てみようか。……うーん、ラウンジは放射線対策でシャッター閉まっちゃってるから……外部カメラかな……」


 拡張視界(オーグメント)を操作して、義体左手の簡易ホログラムを起動する。ホロモニタの要領で平面の表示領域を作り、そこに艦外部カメラの映像を投影した。まだ少し遠い白い衛星にフォーカスして、ピントを合わせる。

 それを覗き込んだミラが、むむむと唸った。


「これを何かに見立てればよいのですね? これは……人の横顔……いえ……カニ……? カニ。カニです。ユウさん、ここの"月"にはカニがいますよ」


 数秒悩んだあと、少し得意げにそう言ったミラの言葉に、ユウは返事をすることができなかった。焦げ茶色の二つの擬似瞳が、凍りついたように白い星の表面を見つめる。


「……ユウさん?」

「ごめん、ミラ。俺ちょっと、アサクラさんのところに行かなきゃ」


 ホログラムが掻き消える。鈍色の床に落ちた少女の戸惑う声を残して、ユウは猛然と走り出した。


 * * * 


「やぁ。一番乗りはユウか」


 ぶち破りそうな勢いで研究室の扉を開けたユウに、濃い隈に彩られた深淵の瞳が昏い笑みを返した。


通信(オンライン)で話せばいいのに、わざわざ走ってくるなんてテンパってるねぇ」

「憶測に過ぎない話を誰かに聞かれたくなかったからです。……まあ、声出さなくても話せるのは忘れてましたけど」


 ミサイルを軽々持ち上げる義体の膂力で、勢いづいて開けてしまった扉の蝶番は緩んでガタついている。一瞬気まずそうな表情を浮かべてから、ユウは壊れ物を扱うようにそっと扉を閉めた。相も変わらず混沌(カオス)に満たされた研究室の中心に座るアサクラの元へと、静かに歩み寄る。


「――月、じゃないんですか、あれは」

「月だねぇ」


 緻密に設計されたデスクチェアの人体工学を嘲笑うように体勢を崩したアサクラが、肩を竦めて首肯した。ユウの眉根が、ぎゅっと強く寄る。


 月。その言葉を、"惑星に対しての衛星"という意味付けで使う事もある。火星の双子の月、フォボスとダイモス、のように。だが、今のユウとアサクラの確認作業において"月"は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()として使われた。

 ユウは拡張視界(オーグメント)に表示しっぱなしにしてある"月"の映像を睨みつけた。明瞭でないながらも確実にそれと分かる、餅をつくウサギのシルエット。子供の頃から慣れ親しんだその造形が、粘つくような嫌悪感と化して牙を剥いた。もう存在しないはずの胃の腑のあたりに、嘔気が鈍く張り付く。


「あれは――アザトゥス母星は地球じゃない。俺だってさすがに世界地図を見間違ったりはしません。放射線量だって異常に高い。ここは太陽系じゃない。なのに」


 ユウはそこで一度言葉を切った。一定のペースで脳に送り込まれ続ける人工血液と、ヘッドスペースを広げる拡張電脳は、取り乱すことさえ許してはくれない。


「月だけが、俺たちの月です」


 アサクラはくったりと崩していた姿勢の重心を、逆側に寄せた。足を組んで、その上に肘をつく。深淵の瞳の上に薄い瞼が覆い被さって、長めの睫毛が濃い影を落とした。


「いいや」


 (いろ)の悪い唇が、否定を紡ぐ。脳味噌の外側で高速に回る思考が、()()に対しての否定だと喚き散らした。ともすれば口に登ってきそうなそれを腹の底に押し留めて、目線で続きを促す。


「ユウ。星は生きている。変わるんだよ、地形は。キミだってかつての超大陸(パンゲア)の事くらいは知ってるんじゃなぁい? 長い時をかけて、大陸はその姿を変えるんだ」

「でも……それじゃあ……月が、何も変わっていないのはおかしいのでは」

「月はほとんど死んでいるんだよ。そう、()()()()()の頃からねぇ。月の内核はほんの僅かしか残っていない。それは地球ほどの地殻変動を起こす力足り得ない」

「…………」


 拡張電脳のサブタスクが、アサクラの言葉を裏付けていく。周辺宙域の高線量は、太陽のライフサイクルがわずかに前進しているからだ。

 まるで自分が青年から老人へ変わっていくモーフィング映像を見せられてるようだった。まったく知らないはずだった光景の上に、時を経て歪み果てた故郷のそれだという根拠だけが積み上がっていく。


「あれが、地球だと……」

「そうだね」

「それじゃ、アザトゥスは……」


 アサクラは答えず、黙って目盛り付きのガラス容器のコーヒーを啜った。ユウの視線が、タクティカルブーツを履いた自分の爪先に落ちる。その先に続く言葉は、出来ればアサクラに言って欲しかった。だがアサクラが答える気配はなく、やがて耐えられなくなったユウは、絞り出すように呟く。


「あれは、人類の――俺たちの、成れの果て、なんですか……」

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