第5話 次元孔絶行戦 - Phase 1:遭遇 ②
『おーい。大丈夫ですか、上官どのー。なんかバイタルすげぇけど』
「だだ、大丈夫ですわ。なななんのこれしき」
『いや声が震えてんだよ』
心配するのか茶化すのかどちらかにして欲しかった。いや、これは完全に馬鹿にされているほうだろう。くつくつと笑うフライトバディの声に、ツェツィーリヤはヘルメットの中で頬を膨らませた。
「仕方ないでしょう! これが初出撃なんですのよ!? い、いきなり見つけるなんて思わないじゃありませんの」
『おめでたいこって。俺らの初出撃は"フォボスの悪夢"だぞ。それユウの前では絶対言うなよ』
「……すみません、失言でしたわ」
『まあいいよ、俺は別にさ。それより機体は変にこっちに合わせようとしなくていい。そこまで期待してないから調整は俺に任せとけ』
「〜〜っ! わ、わかりましたわよごめんなさいね!!」
広範囲走査の範囲を維持しようと必死にしていた小まめな操作をやめると、レーダーの視界は嫌味なくらいに安定した。ユリウス機との相対位置の固定を自動操縦に任せて操縦桿から手を離す。ヘッドレストに頭を預けると、一瞬だけ通信のインプットを切ってヘルメットの中に腹の中をぶちまけた。
「っあ〜〜むかつきますわあの男!!!」
『わざわざミュートにしなくていいぞ。言いたいことあんならそのまま言えよ』
「あの、独り言くらい好きにさせてくださいます!?」
わざわざ通信を切ったのに見透かされている。だがわざわざ言ってくる方もどうなのかと唇を噛んだツェツィーリヤの耳に、はぁ、とわざとらしいため息が滑り込んだ。
『なー俺ら何聞かされてんの? 痴話喧嘩?』
『よせ、フォルテ。ああして緊張を解してやっとるんだ。茶化してやるな』
『少尉〜。全部聞こえてるんすよー』
『そりゃァお前さん、聞こえるように言っとるんだよ。仲良しさんは自覚してもらわんとな!』
『誰がですの!』
だっはっは、と笑うクロエの豪快な声はどこか優しい。気を使わせているのを感じ取って、わざと一度噛みついてから小さく小さく息を吐いた。
気を使わせて当然だと思う。少し落ち着いてきた心臓は、未だ早鐘を打っている。艦内の事務作業を二人目のコピーに任せ、不足していたヘイムダルの予備人員にねじ込んでもらったのは自分で希望してのことだ。司令官補佐としてこの艦に着任した自分の仕事ではないと、自分でも分かっている。
ユリアが死んだ時も、ユリウスが死ぬかもしれなかった時も、自分は何も出来なかった。管制指令室のに並んだパイロットのパネル越しに戦況を、安否を見るのは、もう怖くて嫌だった。だがいざ管制指令室を飛び出して、艦の守りもアヴィオンの守りもない最前線で、自分のレーダーに敵が映っているのにはまた別種の怖さがあった。臓腑の真ん中に冷たい楔を打ち込まれたかのような、生命に根ざす恐怖だ。
震える身体を一度ぎゅっと抱きしめて、再び操縦桿を握る。逃げ出したくなるその恐怖をしかし、手放す気は毛頭なかった。
『大丈夫だ、まだ』
少しトーンを抑えたユリウスの声が、穏やかにツェツィーリヤの鼓膜を撫でた。ヘイムダルに乗る、と彼に告げた時、ユリウスは黙って青玉の瞳でツェツィーリヤをじっと見てから、一言「そうか」とだけ返して寄越した。やめろとも、戦場に行くのはコピーにさせればいいとも言わなかったのは、彼なりの優しさだったのだろうとツェツィーリヤは勝手に思うことにしている。そのユリウスが告げる大丈夫は、すとんと心臓の横に静かに収まった。
敵はまだ、広範囲走査のほんの端に引っ掛かっているにすぎない。管制の指示に従って後退すれば、旗艦と駆逐艦の艦砲が頼もしくそれを引き裂いた。"母星"から直接やってきているらしいそれらには兵装もなく、今のところ反撃の兆候もない。そうだ。こんなところで怯えている場合ではない。ツェツィーリヤはぐっと腹に力を込めると、深く息を吸い込んで吐き出した。
「……ええ。そうね」
これは遊びではない。戯れで乗せてもらっているのではなく、戦場に飛び出すと自分で決めたのだ。いつまでも気遣われて接待のような事をさせているわけにはいかなかった。
キャノピーの向こうに艦砲の光が閃く。ポン、ポン、と鳴る音と共に撃墜マーカーが灯っては消えていった。何体か確認されていた大型も、接近を許す前に消し飛ばせたらしい。レーダーに映る敵影が全てなくなると、全身からほどけるように力が抜けて、思っていたよりずっと力んでいたらしいことを知る。ヘッド・アップ・ディスプレイの片隅に張り付いた自分のバイタルサインが、ようやくユリウスのそれと同じレベルに落ちてきた。
『敵影、全撃墜を確認。チームアルファ、哨戒を再開せよ』
『A-01、了解。よし、行くぞ』
「わかりました」
ペダルを踏み込めば、メインスラスタが力強くそれに応じて広範囲走査を保ったままの機体を前へと進める。足元に見えていた旗艦の姿が後ろへと流れていくと、奇妙に色の混ざり合う現実離れした空間が威圧的に視界を支配した。できるだけリラックスしてレーダーを確認する。広範囲走査の維持も良好だ。
(わたくしにだって、ちゃんとやれ――)
――ピン。
敵影の検出を告げる音が鳴る。再び心臓が軽く跳ねた。む、とユリウスが軽く唸る。
それを皮切りにしたかのように、無数の検出音が連続してコックピットを満たし、レーダーの端を真っ赤な光点の群れで染め上げた。
次回の更新は10/3です。
それではまた、次回。




