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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
最終章 黎明のアヴィオン
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第3話 さよならとさよならを ②

 こつこつと、ヒールの踵が格納庫区の床を鳴らす。いつも通りに亜麻色の髪をきっちりとまとめ上げたツェツィーリヤは、足早に艦の後方格納庫へと向かっていた。

 歩きながらバングルのホロモニタを起動し、輸送艦から旗艦への積み替え状況と新しい人員配置をチェックする。輸送艦が土星圏に向かう日は、もう明日に迫ってきていた。出来る限りの資材を旗艦に寄せねばならないが、帰る人員のための資材もまた重要だ。割り振りになにか不備はないかとリストのあちこちに目を走らせていたツェツィーリヤの爪先が、何かを引っ掛けた。

 まずい、と思った時には身体はもう、完全にバランスを崩している。何とかリカバリしようと動かした足首が致命的な方向に曲がった。小さく悲鳴を上げながら倒れ込む。衝撃を覚悟した身体はしかし、冷たい床に叩き付けられはしなかった。


「……あんた何してんだ、ちゃんと前見て歩けよ」


 思わずぎゅっと瞑ってしまっていた目を恐る恐る開くと、呆れたような青玉の瞳と目が合った。パイロットスーツの前をわずかにくつろげたユリウスの身体からは、かすかに汗の匂いがたちのぼる。斜め正面に抱えられた形になったツェツィーリヤは慌てて身体を離そうとした。


「いっ…………!」


 足に力を入れた瞬間に耐え難い痛みが足首に走る。再びバランスを崩したツェツィーリヤの肩を、ユリウスの手が掴んだ。そのまま丁寧とは言い難い手つきで床に降ろされる。深いため息が落ちてきて、思わず首をすくめた。


「医務室か?」


 足首を押さえたまま立ち上がれずにいるツェツィーリヤを見下ろして、ユリウスが言う。ツェツィーリヤは首を横に振ると、表情を歪めながら立ち上がった。


「そんな暇、は。ありませんの」


 そのまま足を引きずりながら歩き出したツェツィーリヤの背に、ユリウスのため息が再び跳ねる。つかつかと足音が追ってきてツェツィーリヤを追い越すと、背を向けてしゃがみ込んだ。訝しげな表情で立ち止まったツェツィーリヤに、振り返らずにぶっきらぼうな声が言う。


「急いでんだろ。その足で行ってる暇もないんじゃないのか」


 でも、と言いかけた言葉をツェツィーリヤは飲み込んだ。時間がないのは事実だった。足首は一歩を踏み出すたびに、ずきずきとひどく痛む。亀の歩みでユリウスに歩み寄ると、その背に体を預けた。

 小さな子にそうするように両足を抱え込んでおんぶの姿勢を取ると、ユリウスは立ち上がった。汗の匂いが鼻を突く。本当に哨戒が終わったばかりなのだろう。帰艦後の除染中は暑いと聞く。申し訳なさが込み上げるが、何も言えずに首に回した腕にぎゅっと力を入れた。

 皮肉の一つも言われるかと思ったが、ユリウスは行き先を尋ねただけでその後は黙って歩いている。忙しげに行き交うクルー達が珍獣を見るような目を向けてくるのが居た堪れなかった。


 * * * 


 ほどなくして、二人は補給機(イドゥン)の格納庫に辿り着いた。搬入口リアエントランスを開いて並んだ四機の傍では、慌ただしく積み下ろしが行われている。コンテナの合間からリペア・アンド・メンテナンスユニットが一機、モーターの唸りを上げながら近付いてきた。


『ちょっと、どうしておぶわれているんですの?』

「……転びました。足を捻りまして」


 カメラアイのフォーカス音が無遠慮に鳴る。ずいっとマニュピレータを突き付けて、RAMは()()()()()()()()()()()()()()()。ユリウスが軽く片眉を上げる。


「あんたは」

『オリジナルが迷惑を掛けましたね。わたくしが引き取ります。乗せてくださいまし』


 ツェツィーリヤをオリジナルと呼ぶことで自らをコピーだと示したそれは、タイヤを格納して脚を展開すると平らになっている背部を押し上げた。ユリウスは軽く頷いて、ツェツィーリヤをその上に降ろす。軽くなった肩をぐるぐるとまわして、ユリウスは皮肉げな笑みを浮かべた。


「なるほどな。コピーを置いてってくださるわけか、上官サマは」


 ツェツィーリヤはすぐには答えず、伏し目がちに腰の下のRAMを見て、その背にそっと指を滑らせた。数秒の沈黙ののち、「いいえ」と答える。


「戻るのは"彼女"です。わたくしはこの艦に残ります」

「は?」


 ユリウスは眉根を寄せて、訝しげに唸った。ツェツィーリヤは自らの分身の上に座ったまま、肩を竦める。


「今から義体のリハビリをしたって使い物になりませんわ。生身のわたくしの方が役に立ちますから」

『わざと露悪的な言い方をしなくてもよくってよ、オリジナル。わたくしはあなた。どうしてあなたが残りたいかは分かっているつもりです』


 マニュピレータが白皙の頬を小突いて、少し呆れた声がそう言った。そうですわね、と呟いてツェツィーリヤはポケットから小さな袋を取り出した。RAMのコンパートメントを開き、そっと中に入れる。


「ツェツィーリヤ・リーゼンフェルトのすべてをあなたに譲り渡します。その中には階級章とわたくしの認証情報のすべてが入っています。カスティーリャ准将宛ての書面も。あなたは土星圏で新しい身体を手に入れて、わたくしとして生きてくださいまし」


 ぱちんとコンパートメントを閉じて、ツェツィーリヤは俯いた。

 

「……ごめんなさい。わたくしのやるべきことをあなたに押し付けて」


 ふう、とプリセットの溜息をわざとらしく鳴らして、RAMが微かに上下動する。


『まったくですわ。あーあ、自由な人生は望めなさそうで嫌になっちゃいますの』

「何でだ」


 険しい表情でそのやりとりを眺めていたユリウスが、低い声で言った。


「あんたは帰れるはずだろ。この先に行ったって死ぬだけだぞ」


 ツェツィーリヤは眉を下げて、憐みを含んだ目でかすかに笑う。


「だって、あなたも帰らないじゃない。それと同じよ」


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