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黎明のアヴィオン - 第13調査大隊航海記  作者: 新井 狛
最終章 黎明のアヴィオン
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第3話 さよならとさよならを ①

 旗艦(フェニックス)のラウンジには、軍制服に身を包んだクルー達が集まっていた。ラウンジの窓の外には補給機(イドゥン)が一機浮かんでいて、皆それを黙って見上げている。

 イドゥンの搬入口(リアエントランス)が開き、オペレータがひとり姿を見せた。パイロットスーツに身を包んだオペレータが軽く手を挙げてみせると、命綱(セイフティテザー)だけがゆっくりと宇宙にたなびく。


『こちらイドゥンE(エコー)-02。準備完了しています。始めてよろしいですか』


 スピーカーモードになったバングルから、電子変換された声が流れ出る。シキシマはラウンジを見渡した。

 ここにいるのは旗艦(フェニックス)のクルー達だけだが、ずいぶんと少なくなってしまった。イドゥンの向こう側に佇む駆逐艦(フェイルノート)輸送艦(フィディピディス)に目を向ける。その動きが見えたはずもないが、それに呼応するように各艦から応答が上がった。


『こちら駆逐艦(フェイルノート)。全員揃っている』

『こちら輸送艦(フィディピディス)。揃っています』


 隣に立つツェツィーリヤに視線を送れば、彼女は小さく頷く。頷き返して、シキシマはバングルに口を寄せた。


「こちら旗艦(フェニックス)、始めよう。まずは全員、一分間の黙祷を」


 しん、と満ちた沈黙の中に、押し殺したようなかすかな声とすすり上げる音がいくつか交じった。点のように落ちたそれは、さざなみのように淡く伝播していく。

 それはシキシマの胸の中にもぽつりと落ちて、波紋を広げるように全身に感情を行きわたらせた。鼻の奥がつんと熱くなるのを、バングルが小さな振動で十秒ごとの経過を示してくれる感覚に集中してやりすごす。昨晩時間をかけて別れを先に済ませたつもりだったが、つもりはつもりでしかなかったことを思い知った。 


 バングルが六回目の振動を刻む。シキシマは目と同時に口を開いた。


「黙祷、やめ」


 衣擦れの音がかすかに重なり合い、すすり泣きの声が一層大きくなる。シキシマは目の端から細く流れた雫を拳で乱暴に拭うと、まっすぐにイドゥンを見上げて声を張り上げた。


宇宙(そら)に還る仲間たちよ。ここに在った命を、我らは決して忘れはしない。君たちの意味は我らの胸に刻まれ、最後まで共にある。——どうか、安らかに。願わくば、君たちの光が我らの航路を照らし続けんことを」


 イドゥンのオペレータが手を掲げる。その手の中から、小さな光が滑り出た。宇宙葬に使われる棺を模した小箱には、探査用のマーカーライトが取り付けられている。

 オペレータが軽く箱を押しやると、光は抵抗のない虚空の中を一定の速度を保って離れていった。三人に増えたオペレータたちが、次々と小箱を宇宙に放流していく。流れてゆく小箱たちは淡い一本のラインとなり、それはまるで天に登っていく階のようにもみえた。


 誰かが、堪えきれずといった様子で泣き崩れる声が聞こえた。隣に立つツェツィーリヤからも、押し殺した吐息が漏れる。

 シキシマは軍帽の鍔をわずかに下に傾けた。その両の目からも、涙の粒がこぼれて顎に伝う。制服の胸に落ちていくそれを拭いもせずに光の列を眺めているシキシマの隣に、並び立つ靴音がした。

 正装ではなく、いつも通りの白衣を着たアサクラは、濃い隈の縁取る目で光の列を見上げると。

 ただ一言、「綺麗だね」と、そう言った。


 * * * 


 悲しみの満ちたラウンジから、徐々に人がはけていく。ユウはじっと佇んだまま、遠くなっていく光の列を見上げ続けていた。一緒に葬列を見送ったユリウスはフォルテに連れられて帰っていき、ユウはぽつんと一人取り残されている。


 フロストアーク戦の後は、犠牲者を弔っている余裕がなかった。今日のこの葬送は、フロストアーク戦からの犠牲者たちのために執り行われたものだ。


 ユリア、シエロ、クピド、ハイドラ。


 みんな、いなくなってしまった。

 広くなってしまった格納庫に一人取り残されながらも、その事実は現実感を伴って肚に落ちてはこなかった。光の列から視線を外して、自分の掌を見る。

 ラウンジに立つこの身体の中に自分はいない。自分専用になってしまった格納庫にぽつんと置かれたガーゴイル、そのコックピットの黒い箱の中にいる。かつての相棒(シエロ)がそうだったように。

 人の枠から大きく転がり落ちて、それでもなお今の自分は人の形をしていた。だからだろうか。死や消滅といった絶対的な断絶を経てなお、彼らがひょっこりとまた顔を見せてくれるような、そんな気がしていたのは。


 俯いた顔を上げる。かりそめの双眸に映る、光の列が離れてゆく。自分のまわりにまだ薄っすらと漂っていた友人たちの気配を、連れて去ってゆく。

 行かないでくれ、と叫び出したい。置いていかないでくれ、と泣き縋りたい。この偽物の身体の指の先までそんな気持ちで満ちているのに、どうしてか同時にひどく安堵していた。

 彼らの旅は終わったのだ。()()()()()()()()()()。彼らが残した意味は、後悔は、未練は、まだここに立つ生者たちに受け渡され、その魂はきっとどこまでも軽く、かるくなって宇宙(そら)を揺蕩う星に融けてゆく。


「——さようなら」


 義体の敏感な聴覚センサが、ちいさなちいさな呟きを拾い上げた。人がまばらになったラウンジの窓の傍で、リペア()アンド()メンテナンスユニット()の硬質な背に腰掛けた少女(ミラ)がじっと光を見上げている。

 ユウは静かに少女(ミラ)RAM(コンラート)に歩み寄った。しゃくりあげもせずにただひたすらに上を見つめているミラの目からは、ぽろぽろと涙が溢れ続けている。

 ユウが隣に立ったのを察知したRAMが、マニュピレータを一本持ち上げた。細いその先端に拳で軽く触れる。よぉ、と冷たい機械は戦友の声を吐き出した。

 操作訓練(リハビリ)を機体操作に全振りしているコンラートは、未だに義体を使っていない。遠隔操作のユウと違って、コンラートの電脳はRAMに直接接続されている。増設されたサブポートに繋がったケーブルはRAMのコンパートメントに伸びていて、電脳はその中に収められていた。出撃時はこれを引っこ抜いて機体の操縦モジュールに接続する。そして未だコンラートの事を名前で呼ばないミラは、この電脳の傍から頑なに離れようとはしないのだった。

 ぎゅっとマニュピレータのひとつを握りしめている、細い指の先はほのかに白い。淡桃の唇がかすかに動き、再びひそやかな別れの言葉を告げた。透明な雫がまたひとつ、鋼鉄の背に弾ける。

 遠ざかっていく光がコンラートを連れて行ってしまうのに、背に乗せた少女のふわふわした髪を少し乱暴な仕草で撫でるRAMのマニュピレータには、間違いなくその意志が宿っていた。まだ死んでいない自分が皆の意味を、後悔を、未練を引き継げたのなら、メモリの上に新たに起動した複製体にだってきっとそれは引き継がれている。

 マニュピレータの先のカメラアイが葬送の光を見上げて、電子変換されたコンラートの声が、そっけなく「じゃあな」と呟いた。

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